雑誌「望星」2008年7月号掲載
「MANGAを受け入れ、楽しむ若者たち」
ーヨーロッパ当世マンガ事情を探るー


   はじめに 大学より特別研究休暇をもらい、昨年(二〇〇七年)十月から十一月中旬にかけて私は「四十日間世界一周」 ならぬ「ヨーロッパ一周」の調査旅行を行った。テーマは言うまでもなく「ヨーロッパにおける日本マンガの普 及についての現地調査」である。調査した国は、ドイツ、フランス、スペイン、イギリスの四カ国である。  といっても地方都市まで含めてほぼ全域を廻ったドイツを除けば、他の四カ国では主要都市だけの調査である。 すなわちフランスではパリとリヨンとアヌシーの三都市、スペインではマドリッド、イギリスではロンドンのみ である。しかしそれでもヨーロッパにおけるマンガ・アニメのグローバル化した現状について自分なりに多くの 成果を得ることができた。以下は、その結果報告である。   (イ) フランクフルト国際ブックフェア  ドイツのフランクフルトに到着した十月十日は、ちょうど世界最大規模を誇る書籍見本市「フランクフルト国 際ブックフェア」の開催初日であった。この書籍見本市には、百十の国から七千を超える出版社が学術専門書か らコミックに至るまでありとあらゆる種類の本を展示し、主に出版関係業者同士が版権等の交渉を行うのである が、土曜日と日曜日には一般の人にも入場が認められる。私が見学に訪れたのは開催三日目の金曜日であったが、 四千円の入場券を買うのに教育関係者であることを示す身分証明書の提示を求められた。五日間の開催期間中で 三十万人もの人が入場するという会場は、人の波である。会場の国際見本市会場には広大な敷地の中に例えば東 京お台場のビッグサイト大のビルが八ツも九ツもあって、会場から会場に移動するにもマイクロバスに乗らなけ ればならない。コミックの会場は3.0号館という。大勢の人とあちこちにあるカフェの熱気でムンムンという 感じである。日本の主なマンガ本の出版社が出展ブースに所狭しとマンガ本を並べている。小学館、集英社、白 泉社、講談社などのほか、日本のマンガのドイツ語版を数多く出版しているドイツのカールセン社をはじめ、外 国のコミック本出版社も数多く展示ブースに新刊本を展示している。今年のコミック・マンガ関連の出版社は、 世界十カ国から全体で九十四の出展者が参加していたが、日本のマンガはコミックの中でも特に人気があり、中 心的な役割を演じているようであった。  このブックフェアは単に書籍の展示だけにとどまらない。開催期間中、様々なイベントが行われる。初日には、 オーストリアの漫画家・マンフレッド・ダイクスが登場し、シンポジウムが開かれたし、三日目と四日目にはド イツの漫画家ユディス・パークがマンガの描き方のワークショップが開かれた。コミックとマンガの世界で名の 知られた人々やオタクらしき人々が一堂に会し文化紹介イベントや展覧会などが開催されるお祭りでもある。コ ミックとマンガがグローバル化していることを実感させられた。また、日本の出版社の展示はここだけではなか った。6号館でも、岩波書店や講談社、福音館、雄鶏社など十社以上の出版社が自社の出版物を展示していた。 ドイツ語版の分厚い「マンガ年鑑2007」を買って、私は会場を後にしたのであった。 (ロ) 書店のマンガ売場と現地マンガ家養成  ドイツに限らず、パリでもマドリッドでもロンドンでも大きな書店には必ずコミックとマンガ売場が設けてあ る。コミックとは絵を主体とした物語の本一般を意味するので、マンガもその中に含まれるのであるが、日本の マンガは特別の扱いをされているのが普通である。つまり、広義のコミックの中に日本マンガと狭義のコミック があると考えた方がいい。狭義のコミックはその国独特の「漫画」やアメリカのディズニー絵本や「バットマン」 とか「スパイダーマン」といった映画の絵本版などを意味し、オールカラーであり、日本の翻訳マンガとは区別 される。従って、マンガはあくまで日本のマンガを意味するのである。フランスでは、伝統的な「絵本(漫画)」 はバンド・デシネ(デッサンを束ねたものの意)と呼ばれ、文学や絵画、映画などに続く第九番目の芸術として 認められている。バンド・デシネの中にあって独特の領域を成しているのが日本マンガである。同じように、イ ギリスでも広義の「絵物語」をグラフィック・ノベルといい、その中に日本マンガが独自の地位を占めている。  とはいえ、本場日本においてもマンガの社会的評価に関しては「軽く」みなされる傾向があるように、ヨーロッ パにおいても文学や絵画や映画などと必ずしも同じレベルで評価されているわけではない。マンガやアニメは、 ポップ・カルチャー(若者の大衆文化)とかサブ・カルチャー(特定の集団の下位文化)などと呼ばれるのが一 般的である。とりわけゲーテやシラーといった文豪たちを輩出したドイツでは、活字文化に対する信頼は未だに 強く、四十代以上の人々には、「マンガなんか見てないでちゃんとした本をよみなさい」といった価値観が根強 く残っているのも事実である。実際、書店のマンガ売場にやって来て、マンガを立ち読みしたり、あるいは床に 座り込んで熱心にマンガを読んでいるのはたいてい十代、二十代の若者たちである。イギリスでもほぼ似たよう な事情のように思われた。ただ、フランスとスペインではやや違った印象をうけた。マンガ売場にやってくる人々 の年齢層がかなり上の人までいたからである。さすがに私のような白髪の老人は見かけなかったが、三十代、 四十代くらまでの人は見かけたし、中には幼い子どもと一緒にやってくる親もいる。この事情は、日本でも同じ である。  ところで、調査を始めた当初は、どんな日本マンガが翻訳出版されているのか、メモをとっていたのだが、途 中から止めにした。というのは日本で出版されたマンガはほとんどが翻訳出版されていることが分かったからで ある。日本貿易振興会(ジェトロ)の統計によれば、例えばドイツでは、ここ五年間で三八〇タイトルのマンガ がドイツ語に翻訳されて出版されたこと、金額にして日本円で約八百億円だということであった。またある市場 データによると、二〇〇四年にフランスで発行されたマンガのタイトルは三〇七〇(四三三〇万部)に及び、ス ペインでは二〇〇六年に六百点以上の日本マンガが翻訳出版されたとされる。従って、日本で発行されたマンガ 本はほとんどがヨーロッパ各国で翻訳出版されているといっても過言ではない。スペインのマドリッドでは、マ ンガ専門書店がいくつか見られたし、マンガ売場の光景が日本のそれと変わらぬのも当然である。 もちろんヨーロッパで特に人気の作品はいくつかある。忍者を主人公にした「NARUTO」を筆頭に「BLEACH」や 「DEATH NOTE」「NANA ナナ」「鋼の錬金術師」「花より男子」「ハチミツとクローバー」「のだめカンタービ レ」などである。また注目すべきは、最近ではマンガ本の中に韓国人マンガ家や現地のマンガ家が描いた作品が 増えつつあるということである。どこの国の書店でもマンガ本の中に「マンガの描き方」「マンガ家入門」とい ったハウ・ツーものが並んでいることがその傾向を示している。事実、私が訪問したパリの専門学校「ユーラジ アム」でもマンガ家養成のコースがあり、数十人のフランス人学生が学んでいたし、アヌシーの美術学校にも同 じようなコースが設けられていた。ロンドン近郊の地方都市・ノーウイッチの美術専門学校も同様である。  このように、国によって若干の違いはあっても、ヨーロッパ各国においてマンガが文化として定着し、その傾 向が今後も続いていくことは間違いない。 (ハ) ミュンヘン大学日本語学科学生へのアンケート調査  ドイツのミュンヘン大学日本語学科に高橋淑郎という若い先生がいる。私の大学の後輩に当たる人である。日 本語クラスの授業を少し早めに終わって、私が直接学生たちにアンケートを取らせてもらえないかとお願いした ら、快く協力して頂いた。大学の秋学期が始まったばかりの十月二十三日のことである。四十人ほどの日本語学 科の学生たちは二年生だという。私は、ドイツ語で自己紹介したあとアンケート調査の趣旨を説明し、用意して きたマンガ・アニメに関するアンケート用紙を全員に配布して記入してもらった。質問の要点は、彼らが日本の マンガをどの程度読み、かつ自分でもマンガ本を所有しているか、アニメについてはどうか、コスプレについて どう思うか、といったことであった。男女の比率はほぼ半々であり、年齢は殆どが二十代であり、一人だけ三十 代、意外なことに十代の学生は皆無であった。その結果判明したのは、私の予想以上に彼らが色々な日本マンガ を読み、かつ自分でも所有しているということであった。マンガの本を一冊も持っていない学生も四十人中八人 いたが、その他は何冊か持っている。驚いたのは二百冊以上持っているという男子学生、七十冊以上はあるとい う女子学生がいたことである。平均すると十冊程度ということになる。読んだことのあるマンガで目立ったとこ ろは、「naruto」「ドラゴンボール」「どらエモン」「one piece」「21世紀少年」「セーラ ームーン」「無限の住人」「犬夜叉」「天使禁猟区」などであった。またマンガ本を持っていない学生でも日本 アニメは観ている。ドイツでテレビ放送されたアニメや近年話題の宮崎アニメについては殆どの学生が観たこと があると答えている。「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」「ものもけ姫」などはDVDとして書店にも 並んでいるくらいである。その他のアニメ作品では、「エヴァンゲリオン」「ヘルシング」「Bleach」 「ルパン三世」「鉄腕アトム」「City Hunter」などのタイトルが挙げられていた。コスプレについ ては、「好きではない」「問題ないが私はやらない」といった回答も少数見られるが、ほぼ半分の学生は「興味 深い」「かっこいい」などの好意的な意見が多く見られた。  こうした回答の結果から、ドイツの大学生たちの間にも、日本のマンガ・アニメがかなり浸透していることが 推察できる。彼らが日本語を学ぶ学生たちだから特別なのではないか、ということも考えられるが、しかし書店 のマンガ売場にやってくる十代の若者たちから判断すると、彼らが日本語を学ぶ学生だからマンガやアニメを読 んだり、観たりしているのではなく、逆に彼らが十代の若い頃にマンガやアニメに親しんだ結果、日本に関心を もち、日本語を学ぶ学生になっていると考えた方が事実に近いのではないかと思われる。もちろんマンガとアニ メの影響だけではないだろうが、それらが少なからず好影響を与えたであろうことは容易に推理できる。この点 の質問項目を準備していなかったのは返す返すも残念であが、このアンケート調査は、貴重な資料である。 (ニ) ベルリン日独センター主催シンポジウム「クール・ジャパン」  十月三十一日にベルリンの日独センターで行われたシンポジウム「クール・ジャパン」に参加する機会を得た。 ベルリン日独センターでは二年前にも同じような内容の「サブカルチャー、日本製大衆文化について」というシ ンポジウムを開催、マンガやアニメ文化をテーマにヨーロッパの日本学研究者たちが集まってワークショップを 開催するのは二回目。前回、「サブカルチャーとオタク、ニッチ文化としての日本のマンガ・アニメ」を発表し たジャクリン・ベルントさんが今回も主役のようであった。  発表者五名とそのテーマについて簡単に紹介したい。 (1) シュテフィ・リヒター(ライプチッヒ大学教授):“クール・ジャパン”“美しき日本”:国際化する     ポップと国家的大衆主義の間の新しい日本主義。 (2) アレクサンダー・ツア―ルテン(フランクフルト・日本コネクション):日本の映画文化の最近の変化     とそのヨーロッパへの影響。 (3) 吉岡洋(京都大学教授):想像の日本化?−文化のグローバル化と変性した他者性。 (4) ジャクリン・ベルント(横浜国立大学准教授):グローバル化するマンガ、マンガ的文化―表面的なも     の、象徴、ネットワーク。 (5) ボルフラム・マンツエンライター(ウイーン大学助教授):世界のマンガ化―日本の大衆文化、文化外     交と新しい国際的分業。  以上の研究発表のテーマからも分かるように、日本の大衆文化であるマンガ・アニメを中心とした「大衆文化 がなぜ突然世界を征服しはじめたのか?その背景に日本のどんな変化があるのか?そして今後日本は世界にどん な影響を及ぼすのか?といった視点から日本化の真の意味を問う必要がある」(リヒター教授の言)という内容 であった。  概してマンガ・アニメという日本の特殊文化が広く普及し、ヨーロッパの若者たちに浸透しつつある現状を認 め、その魅力がどこにあるのかという問題を追究していることは皆、共通であった。もっとも唯一の日本人発表 者である吉岡教授の発表(日本語で行われた)だけは、マンガ・アニメの文化的価値についてやや懐疑的であっ たが。  ともあれ、ヨーロッパの大学で「日本学」の学科や講座をもつ大学は増えているが、その「日本学」の中で、 マンガやアニメを研究対象とする研究者たちも増えている。マンガを研究する者の一人として嬉しいことである。 (ホ) パリのマンガ喫茶  パリのど真ん中、ルーブル美術館の近くにヨーロッパ初のマンガ喫茶があると聞いて訪ねた。地下鉄のルーブ ル美術館前から歩いて五分くらいの大通りから少し奥に入った裏通りにそれはあった。店の名を「うらばす」と いう。目立たない入り口の脇に「アルバイト募集」の日本語の張り紙があった。店内に入ると日本人の従業員が 迎えてくれる。店内には2万冊の日本マンガが並び、インターネットもできる。店長に面会を申し込むと、快く 応じてくれた。フランスにおけるマンガ事情を知るのにとても参考になる話であったので、以下にそのやりとり の概略を記すことにする。 高月:野村さんがマンガと関わりを持つようになったきっかけは? 野村:私はもともとファッションデザイナーでした。自分のブランドを持っていました。私の友達にマンガ家が    何人かいて、その付き合いからですね。青山剛昌くん、ご存知ですよね、あの「コナン」の・・。彼とは    最近まで付きあっていました。また、森園みるく、「HUNTER+HUNTER」の冨樫義博。それに    私の妻の弟がマンガ家になるんだというので、青山君のところで修行したことがあるのです。 高月:パリにマンガ喫茶を開店したのは?  野村:3年前、バスチーユの方で開店し、このルーブル美術館の近くに移ったのは1年前です。 高月:どんな人がここに来るのですか? 野村:今は殆ど日本人だけです。人数はだいたい一日四十人から八十人です。 高月:フランスの一般書店でのマンガの取り扱いはどんな状況ですか? 野村:マンガのコーナーがあり、MANGAと表示され、BDとは区別されています。ただ年配の人には、    MANGAとBDの区別がつかない人が多いと思います。そもそもフランスでは、BDは「第八芸術」と    して立派に芸術として認定されています。日本のマンガを翻訳した本を多く出しているのは、フナックと    いう本屋です。翻訳マンガでよく読まれているのは、「NARUTO」[ONE PIECE] [NANA]「バガボンド」あ    たりでしょうか。 高月:何か、日本の政府とかマンガ界に対して希望することがありますか? 野村:一言でいうと、ポップカルチャーの育成ですかね。つまり、マンガを文化として認定することです。まだ    まだ日本ではマンガをオタッキーなものとして、蔑むような風潮が根強くあって、マンガの社会的地位が    低いものと見なされているので、日本でもこちらでもマンガの普及の妨げになっています。 高月:日本では、マンガがアニメになり、キャラクターグッズになり、フィギュアーになったり、コスプレにな    ったりして、その連動がまたマンガに反映されるという状況がありますが、フランスではどうですか?ド    イツでは、まずコスプレがあってマンガがあとから付いて行くという事情のようでしたが。 野村:それはもうフランスでもありますよ。フランスでは早くからマンガが読まれ普及しましたから、ドイツと    は事情が違うと思いますよ。ドイツでは多分フランスの逆で、先にコスプレがあり、アニメが見られ、マ    ンガを読むという順番だと思います。日本ではあまり注目されなかったのにフランスで大ブレイクしたア    ニメに「カウボーイビーバップ」というのがあります。するとこれが日本に逆輸入されて日本でも人気が    出るということがありました。これなどフランスがマンガやアニメを単なるポップな現象としてでなく、    ひとつの文化として受け容れている証拠でしょう。 高月:フランスにも日本流のマンガを描く人たちが現れたのですか? 野村:そうですね。確かに何人かの人たちがいますよ。フランスに有名なマンガイラストを描くムーシャという    人がいます。もうかなり年配ですが。この人の絵など1枚何万何十万とするくらいです。だからこちらで    は1枚の絵だけで食っていける、あるいは自分の画集を出せるようマンガ家になることが最終目的です。   (ヘ)ロンドンの「カーツーン・ミュージアム」と「カフェ・マンガ」  大英博物館に向かう正面の通りから左の路地に入ったところにその小さなミュージアムがあった。イギリスの 「風刺画」の伝統と歴史が分かるような展示だ。一階が一コマ・マンガ、二階が短編マンガの展示である。二階 の一室にはテーブルと色鉛筆、紙が用意されていて、子供たちがここで絵を描くのだという。二階にいたお婆さ んが私にわざわざ紙と「マンガの描き方」という本を持ってきて、私にもこれを見て描きなさいという。私は自 分の似顔絵を描き署名した上で、お婆さんに渡した。すると、「おお、素晴らしい!」といい、これを壁に張っ ておきましょうという。恥ずかしいですよ、というと、ここに来た子供たちが描いた絵も、ほらそこに張ってあ るでしょう。あなたは絵描きか何かですか、というので、いえいえ私は日本のマンガとアニメを研究している者 です、といって名刺を渡すと、「ええ、教授ですか?」と驚くので、「まあ、そうです。」すると、そのお婆さ ん、名刺と先ほど描いた似顔絵を一緒にガラスケースの掲示板に張りつけた。  一階のショップで土産物を物色していると、先ほどのお婆さんが降りてきて、ショップの係りの女性に、「日 本からマンガの教授が来ているよ、ほらあそこに」と説明している。何ともアット・ホームなミュージアムであ る。それにしても、私の描いた似顔絵は、いつまで参観者の目に晒されるのであろうか、冷や汗ものである。  次の日、テムズ河の岸辺を散策していたら、「カフェ・マンガ」という大きな看板が目に入った。「マンガ喫 茶?」と中に入ってみると、普通のカフェであった。残念ながらマンガの本は一冊も置いてない。「なんでマン ガという名前なのか?」と店員に訊いても「さあ、分からない」という答え。マンガのグローバル化を象徴する 店を、私はコーヒー一杯飲んでから出た。
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