kon.8  フランツ・リスト「パガニーニによる大練習曲集 s.414より《ラ・カンパネラ》」
                 
Franz Liszt
「Grandes Etudes de Paganini S.414 《La Campanella》」



「パガニーニによる大練習曲集(*1)」は、その名の通り、イタリアの作曲家であり、名ヴァイオリニストであった
ニコロ・パガニーニのヴァイオリンの作品

を、リストがピアノ独奏用に編曲(作曲)した6曲をまとめたものだ。

その中でも、一番有名なのがこの「第3曲 ラ・カンパネラ」だ。今だったら、フジ子・へミングさんの演奏が有名なので、聞いたことある人も多いだろう。

ラ・カンパネラは、イタリア語で
「小さな鐘」のこと。

この曲の元になったパガニーニの作品は
「ヴァイオリン協奏曲第2番 ロ短調」の第3楽章「小さな鐘のロンド」だ。

パガニーニは、サラサーテ、ヴィエニャフスキと並んで、3大ヴァイオリニストと言われるくらい(新・3大ヴァイオリニストはなかなか決まらないね。旧の人たちは

みんなとっくに死んでるからね。)の、名ヴァイオリニストだった。その余りのテクニックの凄さに、「パガニーニは悪魔に魂を売って、技術を手に入れたのだ」とか、

「悪魔にヴァイオリンを習ったらしいぞ」などという噂が流れた。彼が人前では決して練習をしなかったことも、この噂に拍車をかけたらしい。

そんなパガニーニの演奏を聞いたリストは、大いに感動し、驚き、「自分はピアノのパガニーニになる!」と決心した。その結果、実際もの凄いピアノのヴィルトゥオーソ

(*2)になった訳だが。

それはともかく、それをきっかけにまず、
『パガニーニの「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲(Grande Fantaise de Bravoure sur "La Clochette" de Paganini, S. 420)」

(ロ短調)
というピアノ曲を書いている。その後、「パガニーニ(の主題)による超雑技巧練習曲(Etudes d'Execution Transcendante d'apres Paganini, S. 140) 」という

ピアノ曲集を書いているが、これの第3曲(変イ短調)が、「パガニーニの《鐘》による〜」を改良したものである。

しかし、この曲集が難しすぎたため(どんなだ!)、少々レベルを落としてさらに改訂をしたのが、
「パガニーニ(の主題)による大練習曲集」である。この曲集でも

やはり、第3曲目が「ラ・カンパネラ」(嬰ト短調)で、今現在一般に聞かれる「ラ・カンパネラ」は、この稿のものだ。

   因みに、「大練習曲」の他の5曲は全て、パガニーニのヴァイオリン独奏曲「24のカプリス」の6番、15番、17番、1番、9番、24番をもとにして作られている。

わたしは、「超絶技巧練習曲集」のほうは聴いたことがないのだけれど、資料によると、他の5曲は、「大練習曲」と比べても、基本的な構造は同じであるらしいが、

「ラ・カンパネラ」は、前半は同じなのだが後半はまるっきり違うらしい。

大練習曲のほうが、ABABABAC(cがコーダに当たる)という構成なのに対し、超絶技巧のほうは、ABACDBDAE(Eがコーダ)となっている。

超絶技巧の、Dの部分は、パガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」の第3楽章からとっている。また、超絶技巧バージョンのほうが、原曲「小さな鐘のロンド」に

近いし、こちらのほうが技術的にも難しいのだが、音楽的にはやっぱり、大練習曲バージョンのほうが完成されていて素晴らしい。ということである。


「ラ・カンパネラ」というと、今ではこのリストによるピアノ曲のことをさすが、原曲の「鐘のロンド」のことも「ラ・カンパネラ(ラ・カンパネッラ)」という。が、区別をつける

ためか、原曲のほうは、「鐘のロンド」とされていることが多い。


原曲も、難しいテクニックが要求される難曲なのだが、それを更に難しくしてしまったリストは凄いというかバカというか。でも、お陰で現在のわたしたちがいろいろ

楽しめるのだから、ありがたいバカである。勿論、バカではないんだけれど。

わたしは勿論弾けないけれど、トリルと旋律を片手で同時に弾く、とかとんでもないです。


因みに、同じリストの作品でただの
「超絶技巧練習曲(Etudes d'execution transcendante S.139)」という、これまた有名な全12曲のピアノ独奏曲があるが、これと

「パガニーニによる超絶技巧練習曲」は別物ですので、要注意!!


それから、作品名の後に書かれている「S.○○(数字)」というのは、作品番号(*3)で、リストには「サール番号」というのと「ラーべ番号」という二つの分け方で番号が

つけられている。わたしは詳しくは無いので、よく分からないが、わたしが見る限り、サール番号がメインのようだ。




*1
 練習曲(etude)   演奏技術の習得を目的に書かれた曲。普通、1曲の練習曲には例えばトリルなど、一つのテクニックの練習のために書かれている。
                作品としてみると、形態は様々で、単純に練習を目的としたものもあれば、レベルの高い、演奏会用練習曲(erude du concert)もある。
                前者を演奏会で弾いても、とてもつまらないだろう。が、これで人を感動させられたら、本物の音楽家かもしれない。

*2 
ヴィルトゥオーソ   今では音楽家にしか使われないが、「優れた人」ということ。技術的に素晴らしい音楽家のことと思ったら良い。

*3 
作品番号     クラシック音楽の作品につけられる番号。つけ方には色々有るが、
              @作曲者が自分で付ける  A楽譜の出版社が、(出版した順に)付ける    Bその作曲家の研究家や、知人などが、整理してつける    
              が、主なところ。
              1の場合、途中でめんどくさくなったのか、全てにつけてあるとは限らなかったり、何が気に入らないのか何度も並べなおしてみたり、出版社も
              適当につけてたり、1と2が混ざってわかりにくくなったりしているものもある。混乱の元である。
              ともかく、1、2の場合は、ラテン語で仕事、作品を意味する「Opus(オーパス)」を略して「Op.123」というように表記する。

              Bの場合は、まとめた人の名前の頭文字をとるなどして、Opとは違う、別な記号で番号をつけていることが殆どだ。この番号を、整理番号とも
               呼ぶ。これが、完璧かといえばそうではないが。例は、それぞれの作曲家のページで。




リストについて


1811年10月22日〜1886年7月31日


ハンガリー生まれの、ドイツの作曲家、ピアニスト。

リストの祖父・父は、ハンガリーの名門
エステルハージ侯爵家に仕えていた。この家では、ハイドン(オーストリアの作曲家)が、宮廷楽団の

楽長をしていた(楽団を持ってるって、凄い家だ)。リストの
父、アーダムは楽団のチェリストで、音楽の才能があったことから、、ハイドンに

かわいがられていた。アーダムは、1811年に、ドイツ人の
アンナ・ラークラーと結婚する。リストはこの2人の一人息子だ。


6歳からピアノを習い始めたリストは、8歳の時には公開の席で演奏を披露するほどだった。9歳の時には、難曲を弾いて見せたり、即興演奏を

してみせたりした。リストの演奏を聴いたエステルハージ侯は、大変驚き、リストに年額600グルデンを与え、本格的にピアノの勉強をさせることを

決めた。リストは、カルル・チェルニーにピアノを18ヶ月習った。同時に、アントニオ・サリエリに作曲も学んでいる。その後には、他の当時の有名な音楽家

などについて、学んでいる。


1824年頃から、パリやロンドンなどで演奏会を行い、大成功を収める。時に即興演奏が人気だった。

27年には、父・アーダムが死亡。それをきっかけにパリに移り、ピアノ教師として働き始める。パリでの生活の中で、ロッシーニのオペラ「ウィリアム・

テル」や、ベルリオーズの「幻想交響曲」の初演や、オペラ座でのパガニーニの演奏、ショパンの演奏会に触れ、大いに感銘を受ける。それに影響され、

リストは再び、ピアニストとして人々の前に立つことになる。自ら作曲した作品も演奏した。


活躍を続けるうちに、マリー・ダグー伯爵夫人と愛し合ってしまったリストは、3人の子供をもうける。その内の
次女コジマは、後にヴァーグナーの妻となる。

39年にマリーと別れたリストは、長い演奏旅行へ出るが、その後、また別の伯爵夫人と不倫してしまう。(リストの肖像を見ると、冷たそうだがかっこいい)

それも上手くはいかなかった。後に法王に仕える身となったリストは、宗教音楽の作曲をたくさんしている。65年には、大修道院長「アヴェ」の称号を得る。

1869年、ヴァイマルで再びピアノ教師、そして指揮者として活躍する。

1886年、娘コジマの夫であるヴァーグナーのオペラ
「トリスタンとイゾルテ」を見るために、バイロイトに急行したリストは、途中で風邪をひき、肺炎をおこして

しまう。バイロイトに着いたものの、「トリスタンとイゾルテ」を見ることなく亡くなってしまうのでした。74歳だった。


他の作曲家の作品を、ピアノ用に書き直したり、
交響詩という新ジャンルを作り後に標題音楽に大きな影響を与えるなど、リストの功績は大きい。


リストの本名は「
List(ドイツ語表記)」だが、後半は「Liszt(ハンガリー語表記)]に変更している。これは、ハンガリーでも正しく「リスト」と発音してもらうため

だ。ハンガリーでは「List]は、リシュトと読まれてしまうのだ。

リストはハンガリー生まれであるが、ハンガリー語は一切出来なかった(父・アーダムはできただろうが)。育ったのはドイツなのだが、ハンガリー人は、

リストをハンガリーの作曲家として誇りに思い、また、リストも、ハンガリーの人々の思いに答えてか、自分にハンガリーの血が流れていることを意識している。

その為リストのプロフィールを紹介する時には、ハンガリーの作曲家、と書かれているものもあるし、ドイツの作曲家と書かれていることもあるが、まあどちらも

間違ってはない。


リストは、ピアノのテクニックも凄いのだが、美貌も大したもので、彼の演奏会や後援会には、女性たちがたくさん集まっていたという。上にもあるように、

既婚女性にも大変な人気で、リストは女性関係で苦労することがしばしばあった。このことに関しては、父・アーダムは、死ぬ直前に、リストに向かって

「お前の女のことが心配だ・・・」と言っていることからも伺える。


これは、全くの余談だが、リストは、竹宮恵子さんの漫画「風と木の詩」のオーギュストに似ている。順番から言えば、オーギュストがリストに似てるんだけど。