キャットポリス執念日記

  3月,4月,5月

2006年5月30日(火)
神童

さそうあきらさんの漫画「神童」が映画化されるんだと。
[のだめカンタービレ」などの影響で、クラシック音楽ブームが来てるらしく、「クラシック名曲100」みたいな
CDが売れたりして、そのまた影響でか、神童の映画化が決まったらしい。

うた役は成海璃子という人。知らない。和音はだれだかすら忘れた。
見に行ってみようかな〜。バカみたいな仕上がりにはならなそうな感じだから期待できるかもしれない。


右のは、オカメインコのふわこ。「オス!オラ悟空」とか喋る。

2006年5月29日(月)
大変だ!

たった今。Yahooのニュースで、「岡田真澄さん死去」と出ていた。
ついに亡くなってしまいました・・・

だんだん素敵な人が居なくなっていってしまいますね。
残念です。ご冥福をお祈りします。

2006年5月29日(月)
テレビ大好き

昨日の「迷宮美術館」は面白かった。
「スキャンダラスな画家」とか言うテーマで、「アングルvsドラクロワ」とか、カラヴァッジョとかに
混じって、何故か河鍋暁斎!
どんなラインナップだよ!と突っ込みを入れといた。しかし中村有志さんのパントマイムは
毎回凄い。

その後の「週刊ブックレビュー」には、ゲストに浅見光彦シリーズの内田康夫さんが来た。
ちょっと感動した。

テレビってなんてありがたいんだろう。

右のは、正座する犬。
この体勢で30分くらいボーっとするのが日課。
羨ましい限り。いや、正座がじゃなくってね。

2006年5月24日(水)
名探偵遥cp

仕事に行ったら、例のデーンは無事に生存していた。思ったよりずっと元気で、歩いたりしてた。昼ごろに再手術をした。
先生が言うには、1週間もてば大丈夫とのこと。
一つの命が救われたことに感動してたら、その裏で、悲惨な事故が起こった。

沢山ある犬舎の一つにうさぎが5羽くらい入っていて、最近子供が生まれたのだが、どこからどうやって抜け出して、更に侵入したのか
分からないけれど、ともかく夜のうちに子供うさぎの1匹が、隣の一人暮らしのコーギーの犬舎に入ってしまっていて、今日の朝みたら、
バラバラ死体にされていたのだった。名探偵遥cpは、すぐさま「コーギーの仕業だ!」と気付いたのだけれど、時すでに遅し。
よりによって、そのうさぎが黒くて、また朝一だったもんで、まだコーギーのウンチがゴロゴロしてたから、もげた手足とウンチの区別が
付かないような状況で。それがまた何とも悲惨で滑稽で。

そんな光景を見ながら、わたしは「自然界とは、かように残酷で、厳しくて、同時に滑稽さも含んでいるのだな・・」などと思った。
かわいそうな、子うさぎ。心よりご冥福をお祈りいたします。
救われる命あれば、去って行く命あり。人間を含め、生き物と接するということは、こういう現場を繰り返し見るということである。
しょうがないから、kちゃんに霊柩車の第一乗車人を譲ってあげよう。
きちんと弔ってやること。それが、生きているわたしたちの務めであるからして。

2006年5月22日(月)
あなたは独身だけど

いいよね?と言われて、グレートデーン(超大型犬)の交配を手伝わされそうに(別に手伝ったっていいのだけれど)なったのだが、
オスのほうの体調が悪くて中止になった。そしたら、そのオスが実は胃捻転を起こしてて、ほっといたら後2時間くらいで死んでしまう、
という急展開で、あっという間に犬が意識不明になってしまい、犬舎で緊急手術が始まった。でも、捻じれた胃を急に元に戻すと、
滞っていた悪い血が、一気に全身に回ってしまい、ショック死してしまうんだそうだ。だから、手術も2回に分けてやるんだそうだ。
捻転は大型犬に多いという。死亡率は90%と高い。大抵の場合病院に連れて行く前に死んでしまうのだそうだ。運良くその前に
気付ければ、手術などで救うこともできる。大型犬を飼っているみなさん、気をつけてね!食後すぐに激しい運動をさせては
いけないんだってよ。全部先生の受け売りだけど。
手術成功したかしら?明日元気で会えると良いけど。

命と言えば
(言ってないけど)、金沢に行ったときに、街を歩いてたら立派な霊柩車が走っていた。それを見たKちゃんがわたしに
「やっぱりああいう霊柩車がいいんでしょ?」というので、「理想はね。葬式費用貯めてからじゃないと死ねないね。ああいうのは
高いから。」と答えたら、「じゃあ、半額だすからわたしの時にも貸して」とKちゃんは言った。それって、葬儀屋から借りるんじゃなくて、
個人で霊柩車を買えってこと?余計高くつくじゃん。まあ、Kちゃんだけじゃなくて、他の人にも貸したら安くなるな。その場合、早く死んだ
方が得だな。新しい内に乗れるもん。でも普段はどこに置いておこうか・・・。あれで買い物とかには行けないし。
あんまり不本意な霊柩車に乗せられると、わたしによる祟りのターゲットになりやすくなるから、遺族の人は気を付けて下さい。

さっき、報道ステーションを見ていたら、どっか外国
(アジア)の8歳の天才少年が大学に入り、「超ひも理論」の解明に挑んでるという
ニュースをやっていた。超ひも理論はどうやらすごい理論らしい、ということしかわたしには分からず。残念。24歳のわたしの下らない
人生を、彼はどう思うのだろうか?もしわたしが今後何かで大物になって、彼と話すチャンスをもらえたら、是非聞いてみたい。

2006年5月18日(木)
新たな野望

金沢から帰ってきたとたん、風邪引いた。
今回の風邪は今までとちょっと違う。何故か耳に来る。耳がとっても聞こえづらい。くしゃみも連発。今までは風邪引いてもくしゃみは
でなかったのに。体が老いているのだろうか。心配。

金沢は楽しかった。京都みたいな感じなんだけど、京都ほど人が多くないから、本当に落ち着いて見れた。憧れの兼六園にもいけたし。
友禅の作家さんの作業も見れたし。花の季節だったらもっときれいだったかな。
あいにくの雨だったけれど、じとじとしてなくてよかった。昔の日本的建物や庭だと、梅雨時期も不快な気分にならない気がした。
これが正しい日本の梅雨の姿だと思った。美しかった。

さて、このごろまた歴史の勉強に力を入れています。歴史の勉強とはちょっと違うけど、最近読んだ本では、「日本人なら知って
おきたい武士道」
という本と、「歴史人物 意外!仰天!のその後」という本が面白かった。
武士道の方は、目からウロコな部分がたくさんあった。本当に、日本人なら知っておきたいな〜と思ったもん。同じシリーズで、
「日本人なら知っておきたい神道」という本もある様なので、そっちも読みたい。
で、もう一冊の歴史人物のその後、を読んで、新たな野望が芽生えた。
この本は、歴史上の人物の晩年や、死に様、死後への影響などが見開き1ページにつき1人を取り上げて書いてあるんだけれど、
その中の、菅原道真と平将門のページを読んで、「わたしも自分の死後、世を震撼させるような祟りなどをおこして、民衆に、
これは神社でも建てて祀るしかない!と思わせて、神社か塚か祠などを建ててもらう
」という野望を抱いたのだ。
本によると、将門の祟りは戦後GHQにも襲い掛かったそうで、なんとも凄いではないか。道真だって、今でも参拝者は大勢いるし。
特に理不尽な死に方をした場合は、絶対祟ってやろうと心に決めた。道真のように、自分の敵である天皇を一発の雷で即死させる、
というような荒業をやってやる!だから、わたしを迂闊に怒らせないほうがいいよ〜。
生きてる間は、どんなに嫌いな人がいても、殺すだなんてしたくないから、死んでからやる。
今のところ、そこまで嫌いな人がいないのは幸いなのか。
高校生の頃は、おなじ成りたい系でも「紫式部のように、花の名前に自分の名前がつけられる様な人になろう」とか思ってたのに、
今では、「祟りを恐れて祀られる存在に成りたい」のだから。一体どこでこうなったのか。ふしぎである。
しかしこんなことを書いてると、もし万が一、この先わたしが犯罪を犯したり、自殺をしたりするようなことがあった場合、今日の日記は
大変まずい。「ほら!やっぱりこういう人なんじゃん!」と言われかねない。気をつけよう。気をつけつつ、将門や道真のようになろう。

2006年5月11日(木)
旅行

明日の夜から、金沢に旅行に行きます。わたしは、金沢に過度な憧れを抱いているので、憧れの余りに一緒に行く人たちに迷惑を
かけやしないかと今から心配です。

わたしは、憧れとか、好意とか、期待が過剰すぎて、人に迷惑をかけることがよくあります。憧れるのはいいことですが、人に迷惑を
かけるのは考えものです。長年そのことについては反省しているにもかかわらず、治る気配無し。
昨日も、Kちゃんと歴史の話で大盛り上がり
(100人の偉人の話や、新撰組や、三国志や、花魁の話など)したのですが、もしかしたら
盛り上がっていたのはわたしだけかもしれません。
わたしは、自分の過剰な感情
(シャムシェイドみたいだ!)を、普段は普通だと思って生きているのですが、人と関わる中で、それぞれの
ものに対する情熱の差に愕然とすることがあります。しょっちゅうあります。人と何かを共有したい願望が強いわたしは、そのことによって
しょっちゅうがっくりしなければなりません。だから、いつも、無闇にもりあがるのはよそう、と思うのですが、好きなものはしょうがない。
無意識に盛り上がっちゃうくらい好きなんですもの。で、結局最後はがっくりする。の繰り返し。わたしの人生は、こういうふうに成り立って
います。
わたしは、常に心の平安を求めているのですが、わたしのこの性質が変わらない限り、平安は訪れまい。
もし、わたしと、わたしの好きな大抵のものを、同じテンションで共有してくれる人が現れれば、わたしの心はきっと救われると思います。
それが、美輪明宏か、インリンか、小倉優子か、ほしのあきであればいいなあと思います。これは妄想です。

わたしは新撰組が大好きですが、現代に適応した土方さんや沖田さんのような人がいたら是非会いたい。やっぱり救われる気がする。
現代に適応してない土方さんたちは、怖いので本の中だけでいいです。

2006年5月9日(火)
パソコンの周りに蟻がたくさん

タイトルの通り。なんとなく痒い。

一昨日放送していた「日本人が好きな100人の偉人」という番組を録画していたのを、今日見た。
1位は意外なことに織田信長だった。2位は坂本龍馬
龍馬は好きな人多いから、上位は予想できた
(わたしは、1位じゃないかと思っていた)けれど、まさか織田信長が来るとは!
秀吉もベスト10には入ってたから、その辺の武将って、わたしが思ってるより人気があるようだ。
しかし信長ね〜。織田信成
(フィギュアスケート)効果なのか?そんなにみんな好きだったんだ。
わたしは信長より明智光秀のほうが好きだな。

それはさておき、わたしが順位をつけるなら1位は新撰組の土方歳三だ。
このランキングでは、土方さんは10位、近藤勇が20〜30くらい
(忘れた)。沖田総司が80位くらい。
漫画や小説で読む沖田さん
(特に風光る)はとてもかっこよくて、尊敬すらするけれど、資料系の本を読む限りでは、そこまでの
偉人ではない印象。良い人そうでかっこよくははあるけれど。
でも、土方さんはかっこいい偉人だと思うのだ。自分が決めた道を、それが間違ってる、流れに逆らってる、無駄なこと、と分かっても、
それでも一度決めた道を曲げずに、幕府の為と信じて、暴れん坊集団新撰組を取り仕切ってたんだから。
龍馬とか、薩長藩の人たちの、日本を変えていこうとする力もかっこいいけれど、偉大ではあるけれど、信じたものを守り通すことも
同じくらいかっこいいと思うのだ。どちらの側も、良い日本のためというのは同じだと思うから。
改革したらよくなる、と考えるか、このまま徳川家の天下が続くのが日本のためと考えるのかの違いなだけだ。新撰組のほうが、愚直とは
いえるけれど。未来を見据える力は欠けてたのかもしれないけれど。もうやめなよ〜って言ってやりたくなるけれど。

結局、どっちが本当に日本のためになったのか分からないし。
やっぱり、新撰組がいなければもっと早く維新が起こって、よい日本になったのかもしれない。新撰組は、隊内での静粛も激しかったし、
敵も沢山切った訳だし、恐ろしい集団ではあっただろうから、そんな集団なければよかったと言う人もいるだろうさ。
でも、わたしが一番の新撰組のかっこいいところだと思うのは、最後まで刀で戦おうとしたところだ。勿論時代の波に乗って、大砲や
鉄砲も少々使ったということだが、一番自信を持っていたのは、新撰組は剣士集団であるというところだと思うのだ。
朝廷側が、沢山の鉄砲兵や大砲を使って遠くから攻撃してきて、たくさんの死傷者を出すことになった。土方さんも、もはやこの時代
刀では鉄砲に勝てない、と本音をもらしたりしてるし。
でもでも、わたしは「戦国無双」というゲームにはまって思ったことなんだけれど、鉄砲は超卑怯だ。
風光るのなかで、沖田先生が「相手を至近距離で認識せずに殺せる鉄砲を使うようになってしまったら、殺人マシンになってしまう
気がする」というようなことを言うのだけれど
(勿論マシンなんては言ってません。わたしの意訳ですから。)、戦国無双をやってみて
本当にその通りだ!とわたしも憤慨した。わたしは刀しかもってないのに、敵はバンバン遠くから鉄砲や弓を撃って来る。しかも大勢で。
選べるキャラには鉄砲を武器にしてるやつもいるんだけれど、雑賀孫市
(人の名前ですよ)はあまり使いません。卑怯だから。

実際の沖田さんや、土方さん近藤さんがどう考えてたかは知らないけれど、最後まで人対人の戦をした、自分が人を斬ったという重み
を感じて戦い抜いた新撰組が、本当に素敵だなあと思うのです。龍馬よりも、信長よりも。

この番組を見て、一番嬉しかったのは、司会の島田紳助とゲストの荒俣宏さんが、一番好きな偉人に土方さんをあげたこと。
わたしは荒俣さんが大好きなので、なんか趣味があって嬉しかった。

2006年5月7日(日)
見なきゃよかったかな

「さくらん」のキャストを見てみた。
主人公「きよ葉」は土屋アンナさんだった。わたし期待の「粧ひ」は管野美穂さん。「若菊」は美波さん。椎名吉平とか、
小栗旬とかもでるらしい。
土屋アンナか〜。なんかイメージ違うな〜。きっと顔が派手だから花魁姿は似合うと思うけれども、リアリティが無いような・・・
もっと和顔でキツイ目の人がいいな〜 いいな〜 駄々こねたいな〜
管野美穂も違うよな〜。もっと思いっきりキツイ人のほうが良いな〜。で、、もっと整った美人が良い。管野さんも綺麗だけれどさ。
そんで美波って誰?この人は知らないから評価の仕様が無い。
誰かわたしにキャスティング頼んでくれれば良いのに。
いつの日か、自由漫画党
(知らない人は、妄想の小径→漫画に挑む→自由漫画党活動報告を参照)の活動が認められて、
キャスティング事業の専門会社としてやっていけたらいいのに。そしたら、全部に劇団ひとりを推薦するのに。


さて、わたしの友人、、町工場ますみのブログ
「OL日記」をここで推薦しておきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/machikouba
です。宜しく。

2006年5月6日(土)
突然思い出した

この間、お笑い芸人の「粋なり」が解散していたことを知った。2003年に解散したらしい。
かつてのわたしは、テレビで見るお笑いマニア
(ライブ等には行かないが、という意味)で、深夜のお笑い番組を録画するのを趣味と
していたのだけれど、ある時
(2003年ころ)急にめんどくさくなって、それほど熱心に番組を見なくなってしまったのだ。
最近はまた色々見ているのだが、その空白期があったがために、好きだった芸人さんがいつの間にか解散・引退していた、という
ことを知ることになるのだ。
以前にも書いたが
(時期は前後するかもしれないけど)、バカリズム、プラスドライバー、ツインカム、スープレックス、あばれヌンチャク
アメデオ、などが該当する。中には現在はピンや新コンビなどで活動してる人もいるから応援はするけれど、世の無常を痛切に感じる。
因みに、粋なりの大輪さんも「大輪教授」という名前で一人で活動している。相変わらずのネタで面白かった。ちょっと安心した。

世の中は諸行無常である。そんな当たり前のことを、お笑い芸人の移り変わりで感じ取ることになるとはね。

2006年5月5日(金)
本との出会いは人生の宝

素敵な本との出合いは、自分の人生にとって大きな財産となる。

安野モヨコさんの「さくらん」という漫画に大きな衝撃と刺激を受けた。
安野さんのほかの作品は、余り絵が好きでないことと、登場する主人公たちとわたしのタイプが違うが為にあまり共感できない、
という理由から、好きになれず、ちょろっとしか読んだことが無かったのだけれど、何しろわたしは花魁好きなのだ。
あ、語感がいいので花魁好きと言っているけれど、別に吉原の遊女のみ好きなわけではなく、祇園でも島原でも他の遊女のみなさん
も好きです。飼ってる犬に太夫
(たゆう)と名付けるくらいですから。
「さくらん」は花魁漫画なのだけれど、わたしはこれを読んで「安野さんの絵は、花魁を描くためにあったんだ!」と大いに感動した。
さくらんに出てくる遊女は誰もみな美しい。わたし好みの遊女たちだ。わたしは三雲花魁と粧ひ花魁が好き。かっこいいから。
風光る
(渡辺多恵子)に出てくる、明里さんや小花さんも素敵だけれど、実際の遊女は「さくらん」に出てくるような人のほうが
多かったのではないか、とわたしは思っているのだ。
生まれ変わったら花魁になりたい。いや、前世が花魁だったら良いのに。体を売るのは嫌だけどさ〜

「さくらん」を映画化するという記事を以前に読んだのだけれど、その時はまだ漫画を読んでいなかったのでまじめに読んでおらず、
出演者は誰、とかいうことが一切記憶に無いのだけれど、誰が出るのかしら?
きちんと花魁がこなせる人にやって欲しい。大河の「新撰組!」の優香による深雪太夫のようなことにならないで欲しい。
鈴木砂羽さんは良い。映画の吉原炎上に出てた人たちも良い。ただ「さくらん」に出るには歳がね。
後、安直だけれど椎名林檎さんに出て欲しい。あの人はもともと綺麗な顔だけれど、花魁顔だと思うのだ。PVでも似合ってたし。
それに、風光るの明里さん役は無理だけれど、「さくらん」なら見た目的にもタイプ的にもぴったりだと思うのだ。
ついでに主題歌も歌ったら良いよ。茎とか、アイデンティティとか、真夜中は純潔とか。東京事変はちゃんと聴いたこと無いから、
分かんないけど。ベタベタで行ったら良いと思う。林檎さんには粧ひ役をやって欲しいかな。三雲役は砂羽さん。若しくは木村多江さん。
きよ葉は、成長してってしまうので分かりづらいな。大きくなってからのきよ葉なら、好きじゃないけどあびる優とか?うーん、誰か他に
いそう・・・ 若菊は佐藤めぐみさんが良い。ここまで妄想してしまうと、実際誰がやるのか見るのが怖いな。

本との出合いといえば、毎週日曜日にBS2で放送している「週刊ブックレビュー」という番組が、最近の一番のお気に入りだ。
この番組のメインのコーナーは、毎回本好きのゲストを3人呼んで、それぞれがお勧めの本を3冊紹介。その内、それぞれ一番の
お勧めの本1冊については、他のゲストや司会の2人も事前に読んできて、みんなでその本について評論しあう。というものだ。
凄く為になるし、良い情報源でもあるし、という面でも楽しみにしてるのだけれど、それ以外にもみんなが本が好きな余りに時に
手厳しい発言をするもの面白い。
2ヶ月ほど前の放送で、ゲストに漫画家の吉野朔実さんが来た時があった。その時の他のゲストは男の人2人で、その内の一人、
作家だかジャーナリストだか
(忘れた!)の人が「初めての超ひも理論」という本を一番のお勧めに挙げたのだ。本の内容は、
(わたしもよく分かってないけど)今までこの世の最小の単位は粒子、つまり粒だと思われていたけれど、実はそうではなく、
その粒に見えていたものは本当は紐だったのだ!風に吹かれたホコリが部屋の隅で集まって丸くなる様に、紐が丸くなって
粒に見えていたのだ。この発見によって、今まで謎のまま解明されていなかったことが次々分かってきたのだ。

というような内容らしい。わたしは読んでないのだけれど。
で、それを読んだ吉野さんの感想が「よく分かりませんでした」だけだったのがとても面白かった。薦めたゲストも一生懸命「いや、
ここはこうだから面白い」とか説明してくれたんだけれど、「でもやっぱり分かりません」という取り付くしまの無い答え答え。
薦めたゲストも最後には「僕もよく分かってないんですけれどね〜。男のロマンなんですかね。」としょんぼりしていた。一応最後に、
「理系の友人はおもしろいと言っていましたよ」と吉野さんもフォローしてたけど。

2006年5月1日(月)
完璧主義で貧乏性

この間、わたしが生徒として通っているバレエの教室(もちろんモダン)の発表会があって、それを友達が見に来てくれたので
その帰りにみんなでファミレスで食事をしたのだけれど、その時以前の日記に書いた「No.1を目指すことの素晴らしさと重要性」
、わたしはオリンピックや学生生活やダンサーなどを例に挙げて力説したのだけれど、今ひとつ理解してもらえず悶々とした。
そして先月29日に、その中の友人の一人と一緒にフラメンコの公演を見に行ったのだが、その帰りにまたファミレスで同じ話をした。
今度はもっと具体的に話したためか、かなり理解してもらえて共感もしてもらえた。
そこでの話し合いの結果、わたしは完璧主義で貧乏性だということが判明。貧乏性の自覚はあったが、完璧主義者だとは思いも
よらなかった。しかしわたしは完璧主義者なのだった。
世間で言う完璧主義者は、実際の生活で、いろんなことに完璧を求め、自分もいろんなことを完璧にやっている
(努力をしている)している
人だと思うが、わたしの場合はちょっと違う。いろんなことに完璧を求めるのだけれど、生まれ持ったいい加減な性格や才能の所為で
いろんなことが完璧に行かず、現実の自分と理想の自分のギャップに葛藤するのだ。わたしの求める完璧・理想は、限りなく高いところに
ある。ある意味で、本物の完璧主義者より哀れで苦しい。

そもそもは好きなテレビ番組の話をしていたはずなのに、いつの間にこんな話になったのかよくわからない。
たしか、一緒にいた友人の一人が
(フラメンコに人とは別の人)、オリンピックとか相撲とかのスポーツや舞台作品などの、わたしの
好きなものを殆ど見ない、ということが判明し、それに対してわたしは自分の考えを述べ始めたらこんなことになったのだと思うが。

わたしは毎回、オリンピックや好きなスポーツの世界選手権は録画してるにも関わらず寝る間も惜しんで見ているのだけれど、
なぜそんなにオリンピック等に熱くなるかと言うと、以前に書いたように「夢を見られる」というのも勿論あるけど、他にも理由がある。
夢を見ると同時に、発奮する為。世界にはこんなに頑張ってる人がいるということに刺激されて、わたしも自分の頑張るべきこと
(バレエ等)を頑張る力にする。
それから、憧れと嫉妬。もし、自分がその選手だったら、と考えるとぞくぞくする。何かに賭ける人生に対する憧れが、わたしには凄く
あるのだ。その人みたいになりたい、と思う反面、自分も過去にこうなれるチャンスはあったのではないか、と思うと悔しい。
実際そういう人生を送ってる人が、世の中にはたくさんいるんだから。それを見せ付けられてるのだから。
そのチャンスに気付けなかった自分、努力が出来なかった自分、今何者にもなれてない自分がとても情けない。やればできたかも
しれないのに。1位にはなれなくても、目指す権利くらいは夢見ることが出来たかもしれないのに。
今、大抵の選手が年下であることが、さらに拍車をかけている。未来があるということ、若いということは本当に素晴らしい。
などという複雑な気持ちでスポーツや舞台を見ているのだが、わたしは自分が今更いい加減な性格を直す根性があるわけで無し、
まだ開花しない特別な才能を秘めてるわけでもないことをよく分かっている。だから、世界の凄い人、わたしが憧れるに値する人の
することをできるだけたくさん見ておきたいと思うのだ。だからオリンピックや舞台作品やその他テレビ番組も録画しまくるし、できるだけ
生で見ようという努力はするし、スポーツとかとはあまり関係ないけど、過去の名作文学なども全て読みたいと思う。忙しいぜ!
一つも漏らしたくない。見る
(読む)からには、そこから自分のためになる何かを汲み取りたい。その執念がすさまじいことから、友人に
人生の貧乏性と言われたのだった。確かに。

更に言えば、わたしの趣味は情報収集だが、人から有益な情報
(あくまでわたしにとって。株の情報とかそういうことではない)をもらう
為には、自分も与えなければいけない。人との情報交換こそが、わたしにとって最高のコミュニケーションだ。
人と何かを共有したいという欲望が、わたしはとても強い自覚がある。それについて相手がどう思うのか知りたいし、自分がどう思うのか
聞いてもらいたい。肯定的でなくても良い。それ=共有するものが、下らないことでもいい。わたしが興味あるものなら。
個人情報の交換だ。わたしと何の有益な情報のやり取りも出来ない人とは友達になれない。時間がもったいない。
もう自分がどうなりたいのか分からない。
前述の通り、完璧主義者なわたしは、いい加減な部分以外で日ごろ人並みに努力してることがあってもそれを自分で認めることが
できない。とても苦しい。自分を肯定できない。だから、凄い人に憧れる。でも現実の自分は惨め。の繰り返し。
わたしの心が救われる日はくるのでしょうか? わたしが本当に人間として落第してるという可能性も捨てきれないが。
こうやって書いて、改めて確認するまでもなく、こういう人間って他の人からしたらうっとおしいかも。と思ってまた落ち込んだ・・

でも。人生は素晴らしい。楽しみにしていることも一杯有るし、オリンピックや舞台を含め、素晴らしいものをたくさん見てきたと思うし。
こんな葛藤をせずにこれらを見られたら凄く幸せなんだけどな〜。7月には劇団四季と宝塚のベルばら見に行くし、北京オリンピック
も見に行くつもりでいるし。何事も楽しまなきゃ損だから。

2006年4月14日(金)
私のメガネくん

メガネ男子ブームが来そうな感じらしい。yahooのニュースで見た。
わたしもメガネの似合う人が男女問わず好きなので、これは喜ばしいことだ。でも、こういうのってブームになったからって
何だって言うんだろうね?ブームだろうが何だろうが、メガネが必要な人はかける訳で。
わたしはバカみたいに目が良い。暗いところで本を読みまくったり、テレビゲームばかりやったり、目には良くなさそうなことを
人よりたくさんやっているのに、目が悪くなる気配すらない。未だに両目とも1.5だ。今から老眼が恐ろしい。
わたしが、メガネの友人などに「メガネいいな〜」というと、「好きなら伊達でもかければ良いじゃん」と言われるのだが、それは違う。
メガネは目の悪い人とか、それなりの事情がある人がかけるべきもので、目の悪くないわたしはかけるべきじゃないのだ。
メガネに憧れはあるけれど、目は悪くなりたくない。なぜならば面倒くさいから。ただでさえ性格がいい加減で、普段の生活もきちっと
出来ないわたしは、日々ちゃんと気をつけなければいけないことが増えるのはとても苦痛だ。メガネをなくさないように、とか、踏んづけ
ないようにしなきゃ、とか。コンタクトだったらもっと大変だ。そんなことさえ、わたしには気を使わないとできないことなのだ。
人間として恥ずかしいのだけれど。

今日犬の仕事中に、犬舎の裏にチリトリとゴミ袋を取りに行ったのだけれど、いつもわたしはチリトリの上にコテ
(三角の)を置いていて、
今はコテはいらないから、と考えながら、「あ、袋はあっちだった」と思い出して、チリトリを取って引き返そうとしたらば、なんとちりとりが
どこを見ても無いではないか!コテは地面に置いてあるのに、チリトリのみ無い。
あれ、昨日どこか違うところに置いたかな?とか、誰が使ったのかな?とか考えながら、10分程うろうろと探し回ったのに
見つからない。いったん戻ってみんなに聞いてみよう。と思って犬舎に入ろうとしたら、手に持っていた
ちりとりが入り口にぶつかって
膝を強打した。痛さと、チリトリと手に持っていたのに10分も気付かない自分の脳のいい加減さに腹が立って涙が出た。
無意識のうちにチリトリを手に持っていたらしい。コテの乗ったチリトリを持って、そこからコテを取って地面に投げたのもわたしだ。
そのチリトリってのも、薄いタイプ
(学校の教室の掃除用具入れに入ってるようなやつ)ではなくて、外用の(落ち葉とか掃くような場所に
置いてある)
立体的なタイプのチリトリ(しかも、普通のより少々大きいタイプだ)で、わたしの今までの人生の中で何度あった、
手に持っているものを探した経験のうち、一番大きい物だった。そんな新記録が生まれた記念日として、今日の日を記憶に残したい。

2006年4月11日(火)
思想

キモいという言葉を何と安易に使う人の多いことか!
大して気持ち悪くも無いくせに、すぐキモいと言う。そんなに世の中なんでも気持ち悪かったら生きていてつまらないだろうに。
別に何か思想が有って言ってる訳じゃないだろうからいいけどさ。いや、余計ダメか。
わたしは小心者だから、自分が「キモい」と発言して、それを聞いた人に「お前はどれだけの人間なんだ?」と思われるのが怖くて
とても言えません。性格は良くないので陰で人を批判するのは平気だけれど、それを本人に言うのでなくても大声で言うのはとても
無理。それを堂々と言える勢いというか、若さと言うか、傲慢さというかは、ある意味では羨ましいし尊敬する。
実際、「キモい」と繰り返す人たちを見て、わたしは「それじゃあアンタはさぞかし立派な人間なんでしょうね」と思うし、言ってやりたい
けれど、やっぱり小心者なのでできません。
日本語の乱れを批判する大人は沢山いて、その中には「言葉だって時代の流れと共に変化ぐらいするでしょうよ」と言ってやりたくなる
人もいるから、余りその仲間には加わりたくないのだけれど、でも、心がすさむような言葉はやはり安易に口にすべきじゃないと思う。
周りの人の為にも、自分の為にも。余りに安易過ぎるんだもの。自分の発言には責任を持つべきだ。小学生じゃないんだから。

日本人ははっきり意見を言わない、と、外国勢から批判されがちだけれど、なんでも口に出すことが良いこととはわたしは思えない。
言わなくて良いことは黙っていられるのは、日本人の良いところだと思う。勿論言うべきことは言うべきだけれど。

ある程度の年齢になったら、自分に関わる大抵のことは自分の責任で選んだ結果だとわたしは思う。病気とか、災害とか、本当に
どうしようもない事以外全て。人は、秒単位でいろんなものを選択しながら生きてる訳で、それを選んだ自分の責任を放棄して
人のせいにするのはよろしくない。自分の発言も、何を言うか、も、言うのか言わないのかも、自分の選択次第だ。
わたしは常々そう思っているのだけれど、この間「爆笑問題のススメ」に松田美由紀がゲストで出た時に、同じようなことを言っていて
ちょっと松田美由紀
(と松田優作)が好きになった。
ただし、何でも自分の責任だと思って生きるのはとても辛い。わたしはそこのバランスが取れなくて、いつもいつも救いを求めるハメに
なる。自分が選んだことや、もっと言えば自分自身に自信を持てればそんなことに苦しまないのかもしれないけど。これだから
小心者は困る。面倒くさいよー。心の自由と平穏が欲しい。七夕には是非短冊に書こう。

2006年4月5日(水)
騙された!

一昨日の夜中、テレビを見ていたら「小野真弓、スピードワゴン小沢結婚!挙式までのドキュメンタリー」というような番組を
やっていた。実はわたし、3月の30日から4月2日まで、現代舞踊の交流公演に参加させてもらって中国に行っていたのだ。で、
帰ってきたらそんな番組をやっていたので、わたしが日本にいない間に結婚したんだ!と思って、びっくりして見てたのだ。
その番組は、小沢さんの自宅に小野真弓が来て2人で式場や引き出物決めたり、衣装を選んだり、相方の井戸田さんに保証人に
なってもらうために判子押してもらったり
(奥さんの安達祐実にも押してもらってた)、時には喧嘩したり、お互いにマリッジブルーに
なったり、そんなんを乗り越えてチャペルで結婚式を挙げるまでを追ったものだったのだが、これがとても素敵で、わたしは何度も
泣きながら見てたのに!なのに、番組の最後に「ほぼフィクションです」とでたのであった。
そりゃさ、途中で何回かはおかしいな、と思うところはあったんだ。わたし番組の最初の数分は見てなかったから、ずっと、「本当なの
かな?」と疑いながら見てはいたんだけど、余りに2人がリアルだったので「やっぱ本当なんだ、幸せそうで何よりだよ!」なんて思っ
ちゃったじゃん!わたしは、小野真弓が「お風呂沸かしてくるね」って言ったところで、この2人は本物だ!と確信までしっちゃったじゃ
ないかよ〜。結婚式でも2人とも号泣してたのに!
あれが全部演技だったのなら、2人は相当な名優だよ。相方も騙されてたし。でも、面白かったから許す。

さて、中国は相変わらず凄い国でした。長ければ偉いってもんじゃないけれど、歴史の重みというのは凄いものだと痛感した。
日本のいろんな文化のルーツは殆ど中国
(や朝鮮半島あたり)にあるわけだけれど、そういった意味でも興味深い国だった。
中国の民族舞踊と、わたしたちが普段やっている日本の現代舞踊の合同公演や、交流授業も凄く勉強になったし、それ以外の
中国の芸能文化もとても面白かった。
トイレの設備が整ってないとか、汚いとか、口に合わない料理もあったりして、中国に限らず外国に行くと文化の違いで苦労したり
ストレスになったりすることもたくさんあるけれど、それでも旅行は貴重な人生経験になることは確かだ。
とは言っても、わたしは性格がいいかげんで適当なので、割と中国には向いてる気がする。トイレも匂いも平気だった。
今回は、文化交流が目的だったので、観光は余りできなかった。だから、今度は友達と、1年後くらいに観光のみの中国旅行に
行こうと計画を立てている。余程神経質な人以外、一度中国を訪れてみることをおすすめしたい。やはり、日本のルーツなのだから。
1年後には今回と同じ上海
(今回は上海と浙江省の杭州に行った。浙江省は静岡県と姉妹都市なのだ。)に行って、更に1年後には
オリンピックを見に北京へ行くのだ。今から楽しみでしょうがない。
しかし、その前に来月には友達と金沢旅行へ行くのだ。急に旅好きになってしまったみたいだ。

2006年3月15日(水)
柔肌の熱き血潮

先程まで、WOWOWで放送していた「宝塚90周年記念・大運動会」を見ていた。宝塚歌劇団の団員さんは、男役も娘役も、
美しい人は本当にハッとするほど美しい。涙が出るくらいに。身のこなしもやはりさりげないのに素敵で、やっぱり憧れてしまう。

わたしはそもそも、形式美というものを至上とした主義なので、「型が美しく決まる」とこの上も無く酔えるのだ。タモさんなんかは、
わざとらしくてミュージカルは嫌いだと宣言しておられるが、わたしはわざとらしくても型
(形)として美しく決まっていれば夢中になれる。
来週の水曜日には、文楽の公演を見に行くのだけれど、文楽なんかも形式美の塊のようなものだとわたしは思っている。その文楽の
公演を、着物を着て見に行くなんて、最高のシチュエーションだと思うのだ。

さて、フィギュアスケート世界選手権を、荒川選手が辞退した。まだ引退するかどうかは決めてないらしいが、わたしは荒川さんは
はやくプロになった方が良いような気がする。オリンピックのフリー当日の心境について、荒川さんは「メダルは意識していませんでした」
と語り、それに対してワイドショーやスポーツ番組のキャスターや解説で呼ばれたフィギュアスケーターたちは、「無欲の勝利。2・3位の
二人はメダルに執着しすぎた」等と発言していた。まるでスルツカヤやコーエン選手たちが、欲をかいたが為に負けたみたいに。
おそらくジャンプでの転倒には、メダルに対してのプレッシャーがあったことは間違いないと思うが、メダルに執着することが悪いことの
ように言うのはおかしいと思う。オリンピックに出てる人たちはみんなアマチュアなのだから、メダルを狙って当然だと思うのだ。そうで
なければオリンピックの意味なんて無い。今の世の中の風潮では、順位をつける事は良くないこと。差別だ、という感じになってるらしい。
テストでの順位も本人にすら発表しなければ、徒競走のような個人に順位をつけるような競技を止めにする学校も多いという。
no.1よりonly1という歌も人気だし。でもわたしは、No.1だってオンリーワンだろうが!と言いたい。自分が頑張ったことが評価されたら
嬉しいじゃないですか。その評価の機会を奪うなんてばかげてると思うし。

ただ、フィギュアスケートの場合は、タイムのみを競うといった競技とは訳が違って、芸術の要素も含まれているからややこしいのだ。
荒川さんだって、事前にプログラムを変えたのはメダルに近づけるためだったわけだし、メダルを狙ってなかったわけじゃないと思う。
ただ、当日はメダルのことを意識すると緊張してしまうから考えないようにしていた、という意味で上の発言をしたのでは、とわたしは
考えているのだが、本当の所はどうだろうか。試合後のインタビューなどでも、荒川さんは涙一つ見せず淡々と答えていたので
余計、メダルになんて今も執着はありません、と言ってるみたいに見えてしまうが。でも嬉しくないはずが無いと思う。自分が現在、
世界で一番のフィギュアスケーターだと評価してもらったのだから。「世界で一番のフィギュアスケーター」というのは、ジャンプだけで
なれるわけではない。最高の演技が出来た人、という意味なのだから。
それでももし、荒川さんが1位になることに興味が無い、というのなら、それこそ本当に、今すぐにでもプロになるべきだ。
プロスケートの世界では、評価は順位で出るわけではないから。

しかし、全ての競技で、それぞれの国での予選も行われて選ばれた人のみオリンピックに来てるのだということを思うと、オリンピックで
見た人たちの後にいる選手たちの姿が偲ばれて涙がでる。世界中で大勢の人がオリンピックの頂点を目指しているのだ。感動的。
誰よりも速い、誰よりも高い、誰よりも美しい、誰よりも巧い、というno.1の評価が、素晴らしくないわけがない。勿論、1位に
なれなかった大勢の人たちは、技術的にや、運などで、1位の選手に劣る部分があったことは確かだろうが、別に人として劣っている
わけではないのだから、「1位を目指す」という行為を、人情的でないとか没個性とか、悪いことのように言うのは止めてもらいたい。
世の中は、1位を目指すこと、1位になれることの素晴らしさを認識し、教えていかなければならないと思うのだ。
わたしは1位を目指すことは出来ても、1位にはなれない平凡な女なので余計にそう思う。わたしたちに1位の夢を見させてくれた選手
たちは、みんな1位を目指して厳しい練習をこなしてきたのだから。他に無い才能を持っていると認められた証拠なのだから。

                               cp執念日記 3月,4月,5月
   
                               旧cp執念日記一覧へ