気を付けて話そう
  朝のテレビ番組を観ていて、あるアナウンサーの話がいやに耳に障るということがある。ふつうは、BGMのように聞き流してしまうテレビの声だが、なぜだろうと長い間考えていた。よく聴くと、話し言葉が、ふつうは「ます」、「です」で終わるのが、「ますね」、「ですね」、「ますよね」、「ですよね」で終わっている。これが障っていたのだ。なにか心に入らない、入ることを拒む感じがした。これまたなぜだろう。「〜ね」というのは、質問のようになっていて、こちらの主張の入る余裕をなくして、自らの考えを押し付ける力があるのかもしれない。質問なら、上位者から下位者に聴くもの、例えば先生が生徒にするような、になってしまうわけで、反論を許さないニュアンスになっているのかもしれない。それから、「ね」は、な行で「の」があって、尋ねるときに付ける。それに「〜よ」が付くとさらに強調されるわけである。そういえば、「よ」は、や行で「や」があり、これも質問形になる。関西弁の「〜ねんよん」は、結局相手に考えを託しているといえる。その相手の答えに「そぉかぁ〜」というものを期待しているのである。質問することが悪いわけではなく、知らない間にこうした感情を相手に与えているかもしれないというところに、思慮深さが求められるところである。('07/02/11)

「少し真面目なエッセーたち」へ