どうも日本人は,昔からトップの者に直接もの申すというのが苦手のようだ。その下にいる者にそっと本音を打ち開けていく,と言うのが, 実情ではないだろうか。 これはやはり,封建時代,「直訴」が,ご法度だったからだろう。 でも,トップである,将軍とか,大名が, 「うん」と言わなければ,ことは進まないわけで, その点,幕藩体制の江戸時代は,のんびり変化のない日々だったと思う。 しかし,この「うん」といえば, まだいいのだが, よく聞くセリフは,「よきにはからえ」である。 良いとも,悪いとも言わない。 「余はこうする」なんてことは,とても言わない。 「よきにはからえ」だから,下の者は,やりたいほうだいにしたいけど, そうも行かないので,前例に従うしかない, ということがそのまま, いまも日本の政治に見られるように思う。 ― その将軍や大名にも上がいる。 どの日本の歴史にも出てくるけれど,ドラマの主役にはなれない人。 そう,「すめらみこと」,「天皇」である。 天皇が主役になることは,ない。 こんなに権威のみなもとであり,日本を統治してきた天皇は, 主役になったことが,ない。 ― 「卑弥呼」ぐらいだろうか。 そのあと,推古天皇の時代は,聖徳太子である。 そして,天皇に娘を嫁がせ摂関政治を行なった藤原道長。 武士が太政大臣になり,やはり娘を天皇の妻として天皇を産ませた平清盛。 また天皇の父が,権勢を振るって院政を行なった後白河法皇。 それからそれからまだ続く。 鎌倉幕府を開いた征夷大将軍源義朝。 この将軍だって,執権北条氏に実権を握られていく。 皮肉にも,北条氏に次ぐ勢力をもっていた源氏の子孫足利氏が, 次の幕府,足利幕府を開いている。 その足利幕府も管領の細川氏や有力な山名氏が支えていた。 細川氏と山名氏が,応仁の乱を始めると幕府なんか吹っ飛んでしまった。 そして戦国時代,織田信長,豊臣秀吉,徳川家康と続いていく。 この徳川氏の幕府だって,実権は,老中や側用人に握られていく。 やはり,将軍も二代目,三代目となると権力は下の者に移っていき, シンボルになっていくのである。 ― しかし,トップが実権を発揮しないというのも,弊害を生むかも知れないが, 知恵なのかもしれない。 トップが暴走すると,だれにも止められなくなる。 それは強力なことができる一方,ワンマンな恐怖政治を生むことになる。 ファシズムしかり,また絶対王政しかり,そうであった。 だから,ナンバー2に実権を移して, そのナンバー2が暴走したときの押さえにトップは存在するのかもしれない。 ― 昭和のはじめの15年戦争で, 世界相手に戦争を始めたのは実権を握っていた軍部だった。 そして,戦争を終わらせたのは,ひとつの放送,天皇の声だった。 ナンバー2同士がしのぎを削って抗争していても, トッブが出て行って問題を解決するということもある。 権力と,権威を別々に分担しているわけである。 ― 権力は力だけれども,力をもってしても権威は得られない。 それが権力者の延々と歴史で続いた理由だろう。 力で権威は奪えないという証拠である。 そして,権力は長く続かず,権威はそのもの自分自身から発するもので, だれにも奪えないものといえる。 ― では,だれでも自分だけしか持っていないものがある。 それで,それを大事にし, しかも他のだれに対しても誇ってもいいのではないだろうか。 「ひるあんどん」は,じつは「かみそり」なのである。
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