(’05/10/03) |
わたしは一卵性双生児で産まれました。 1,300グラムだったと聞いています。 八ヶ月の早産でした。 そして、わたしの片割れの赤ん坊は母の傍らにいて7時間生存したあと、亡くなりました。 生き続けたわたしよりも大きかったそうです。 その子は、「次郎」と名づけられました。 わたしの方が小さくてねずみの子のようだといわれました。 医師からは、「二十歳まで行き続けまい」と宣告されたと言います。 半世紀も前のこと、無理もない言葉です。 しかし、わたしはまだ生きています。 つまり、半世紀になりました。 生命力というのはわからないもので、また人の人生というのはどうなっていくのかわかりません。 そう、生きているという事は幸せの根本なのです。 お金を、また社会的な地位を幸福と感じる人は多いと思います。 経済的な安定は不可欠なものです。それは正しい事です。 けれども生きていなければ何もできません。 笑うことも、怒ることも、そして泣くことさえできません。 美味しいものを食べることも、美しい風景を観る事も、心地よい風の音、虫の声、川のせせらぎ。 それらができるなら、それを「幸せ」と感じることができるでしょうか。 これは忘れてはならないことだと思います。 わたしの弟は、不思議にもわたしたちが産まれたちょうど二年後の同じ日に産まれています。 それで、次男にもかかわらず「三」の文字が名前についています。 もしかしたら、「次郎」の生まれ変わりなのかも知れません。 |