「自分に力を付けて」


 小さい頃から、まわりにやってもらっていることが多いせいか、まわりに影響されやすい、つまり受動的な性格に障害者はなってしまっているように思う。すこし調子がいいと、動きすぎて、風邪ひいて、動けなくなって、それが前より調子を崩してしまう原因になる。ならば、あまりうごかないでくれ、との要求がまわりから来る。この説得は、強力である。これに屈せず、動くと、やはり、自分に返ってくる。
1.1を何回かけても数は大きくなるが、0.9を何回かけても小さくなる。同様に、障害者はある面で、0.9の力しかないかもしれない。がんばっても、がんばっても、エネルギーを使うだけで、社会から、空回りしてしまう面がある。

これを1.1まで押し上げるもの、つまり、自分を大きくしていくものは何であろうか。キーワードは、「能動的」であろう。「これして欲しい、あれして欲しい」と言っているうちは、それらをしてくれる人の言いなりになるしかない。任せれば、その人の言いなりになるしかないのである。そうならば、自分に力を付けて、自分から行うことしかないのである。

何をすればいいのか。ストレッチ・筋トレをして、身体を動かしやすくするのはよいことである。これが基本である。本棚から本が出せなかった身体も、これで本棚の整理ができ、本も好きなように読める。老眼のメガネだって、自分でかけられる。そう、ストレッチは基本である。そうすれば、部屋の中は自分の支配下に入るわけである。書籍によって得られた知恵は、行動し、外に出るように促すのに効果がある。

行動を自分から起こす、動きすぎて、壊れてはいけない。できることから、行動する。車椅子で散歩していれば幸いである。人とコミュニケーションが取れる。これは大きな力になる。好かれるように、顔を洗う、髯を剃る、髪を整える、衣服はきちんとする、これは基本である。声を出せるよう発声練習をする。日ごろ歌が聞こえてきたら、口ずさむことはよい練習になる。

相手の目を見て話す勇気を持つ。アイ・コンタクトは強い武器になる。微笑むことを忘れてはいけない。微笑む顔に面すると必ず相手は微笑むものだ。微笑を見て、怒った顔を見たことがない。

何にも恐れてはいけない。この世は自分のものぐらいに思って、堂々としていた方がいい。微笑んで、堂々としている者にこわいものはない。奥州藤原氏はただ恐れたゆえに、強大な財力、軍事力を持ちながら、鎌倉に負けたのである。

会話は、相手に話させるような話し方。これが情報をもたらす。障害者は頭が回らないと思われている節がみられるので、何か聞かれたら、すばやく答える。すばやく答えられるのは、どんな人でもIQの高い証拠である。わからないことは、答えないのではなく、わからないという。答えることは、答えないよりもいい。

こんなことを実行すれば、「能動的」になれるのではないだろうか。

障害者は、「受動的」に育てられている。「能動的」なるにはものすごいエネルギーが必要である。それは生まれ変わるくらいの決心が要る。しかし、それを成し遂げた時、本当に生まれ変われるのである。(2005/12/28)


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