日光・常陸の国旅行記
[2004年4月29日(木)から5月1日(金)まで]

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 【行 き】

 ゴールデンウィークに宇都宮に単身赴任している弟が帰ってくるので,
 それを期に宇都宮に遊びに行っちゃおうと,
母が計画したのがことの始まり。
 宇都宮は餃子のうまいところと聞いて、飛び乗った。
 わたしたち関西人にとって,江戸より東は「蝦夷」の住むところ,
東下りである。
東海道新幹線,東北新幹線を乗り継いで,宇都宮まで。
 ちょうど三島から東京までと,東京から宇都宮までが,
所要時間がそれぞれ同じ57分である。
 東京での乗り継ぎを入れても,三島を9時に乗って,12時前には宇都宮に着く。
 ここからは弟の車で移動する。
 宇都宮は皇族ではないが,領主が宇都宮と言ったらしい。
 この辺は,最近の社会科の教科書に載っている,
「北関東工業地帯」という名称の現場らしい。
餃子の店には餃子しかないのもあって,そんな店には行列ができていた。
 
【大谷観音 】
 
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石像はともかく高い。
お寺の方は入らず,石像を見た。
 見た目は20メートルぐらいかなと思ったけど, 説明を読んで,27メートルとあった。
戦後,建立されたものと言う。

【日光街道】

東北自動車道を並行して走っているのが,日光街道である。
杉並木が延々とながく立派に続いている。
つつじの花の色が紅に統一されていたのは圧巻であった。
 家光がここを通って日光を詣でたことだろう。
 日光街道はどこかから,と聞いたら,江戸からと言う答えが返ってきた。
奥州街道のどこから,と訊いたのであるが,重複しているのである。
とにかく,大名,いや将軍の行列にふさわしい街道である。
日光の手前に,今市という市がある。
ほんとうに,「日光まで『いまいち』」の意味でつけられたそうだ。


【日光東照宮 】

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入れるもんか,という話も聞いていたが,ほんとには入れなかった。
世界遺産が入れない。
 階段をかついで上がるしかないという。
 そう言った料金所の人,それを話すぐらいなら,
駆け出してきて,かついでくれてもいいのになあ。
家康の祭られている宮。
関西人なら,秀吉だろう,と弟が叫ぶ。
弟の車には阪神タイガーズの小物があった。
弟の嫁さんも大阪の生まれである。
そうか,家康と秀吉,巨人と阪神。 今も昔も変わらないわけだ。

【いろは坂】

秋には紅葉でにぎわう,いろは坂。
 ヘヤーピン・カーブのひとつひとつに名前がついている。
いろはにほへとちりぬるをわかよたれてそつね……あとは自信がない。
 一方通行で,標高1100メートル以上まで登っていく。
その上に,中禅寺湖がある。
この湖は前にもきた。
なぜ寒いのかやっとわかった。
標高が高いのだ。
中禅寺に寄って,立木観音など見て、和尚さんの講釈をきいた。
横にそびえる男体山は夕陽に染まって朱に染まっていた。
この日の宿は鬼怒川温泉である。

【春夏冬(?)】

旅館の玄関に,「春夏冬」と書いてあり、女将が、なんと書いてあるか、と訊いたので、
 一番もうかる紅葉の秋がないのがおかしいと思いつつ、
少し考え、
 「あきない」と答えた。
 正しかった。
この旅館に飽きないという意味である。
 しかし,あきた。
風呂は天然で効用があるとはいえ、階段ばかり,もうこねえ。
料理はわさびなど用いて伊豆のものと似ていた。
みやげ物は,たまり漬と,ゆば。

【東武ワールドスクエア】

次の日は、せっかく鬼怒川にきたのだから、先回入った「江戸村」もいいなと思いつつ,
いつしか,東武ワールドスクエアに決まっていた。
ミニチュアの建物があるだけだろうと
たかをくくっていたが、
驚いた。

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 25分1の世界中の建物が五つのゾーンに分かれて,精密に造られていた。
アメリカ・エジプト・アジア・中国,そして日本。
ほんの代表作であるが,
東京駅,ワールド・トレードセンター,ピラミット,ヨーロッパの宮殿,中国の故宮,
そして日本の神社仏閣。

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 一日でこまかく見られるレベルではない。
もっとも三時間ぐらいで,暑くて、どこか屋内に入ろう,というわけで,
博多、札幌,函館ラーメンを注文した。

【益子焼き】

 宇都宮の弟のアパートで一夜を借りて,
3日目は水戸に向う。
途中に,「益子焼き」の重量感ある作品を見た。
 「益子」は「ましこ」と発音する。
通過点だったが,「真岡」は「もか」と発音する。
 不思議な気がした。
読めない。
交通標識のローマ字でやっと納得する。
もっとも「水戸」だって,ふつうに読めば,「みずと」なのに「水戸」である。

【茨城県立歴史館】

水戸藩といえば,やはり光圀,斉昭,
そして,御三卿に養子に入った最後の将軍一橋慶喜である。
幸いにも,「茨城の十六羅漢図と近世の書」や,
「一橋徳川家記念室〜絵画〜」が展示中であった。
 「大日本史」編さんに始まる学問の藩だけに,書・絵画が多く展示されていた。
 茨城県の歴史を紹介する建物では,
山の上に貝塚あることを
古代人が,
大男が山の上に座って手で海からすくって,
食べ,
貝をすてた
と考えていたことが示されていた。
 古代から中世,近代の常陸の国の支配者,庶民の文化が,
展示,ビデオで紹介されていた。
 ここでもじっくり観るならば,一日はかかるだろう。

【階楽園】

 光圀,斉昭が祭られている常陸神社。
 鳥居の脇を長い散歩道があり、参道の段は回避できた。
やはり日本三大庭園のひとつ,

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行き届いた手入れと,広さが気持ちいい。
大きく球形に剪定したつつじはもう満開であった。
天気はまだ,味方して気持ちがよかった。

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丘になっているので,風が強い。
仙波湖が見える。
やはりここは「水戸黄門」が売りの世界である。
 茶店には「梅」を用いたみやげ物が並んでいた。

【帰 り】

常磐自動車道は,帰りを急ぐ車で混んでいた。
首都高速に入ると,止まってしまった。
 夕陽がビルに入るとき大きかった。
 父と母,そして弟と見る想い出に残る旅行であった。
東名高速は,まだすいていた。


―お勧め―

それぞれの観光地は,インターネットで詳しく見ることができます。 
検索エンジンを使って訪ねてみてださい。

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