「ひな祭り」だから
('04/03/03)
   ひな祭りだから,書いておきたことがある。「流しびな」の風景はこの日によく見かける。あの光景を見ていると,どうしても,古代の「蛭子」の話を連想する。
  「蛭子」は川に流された。そして、海に流れて、「恵比寿」になった。  
  障害者問題を扱っていない方でも,ちょっと,国語辞典を引けば,出てくる話である。
  この蛭子は,「蛭」に似た子と考えられる。不随意運動の絶えない脳性まひ児をあらわすのに,まこと適切な表現と言える。ちなみに、「蛭子」で辞書を
引いてみると,「ーー古事記では伊弉諾・伊弉冉が日本の国土を生み成す際、国土とは認定し得ぬ失敗児、日本書紀では統治者の資格を欠く不具児としてそれぞれ位置づけられるーー」、とある。これはまったく、障害児に当てはまる。さらに,「中世以降、恵比須(えびす)として尊崇されたーー」のである。
  また,「恵比寿」について,「ーー古くは豊漁の神として漁民に信仰され、また農神としても信仰された。狩衣(かりぎぬ)・風折り烏帽子(えぼし)姿で右手に釣り竿、左手に鯛(たい)を抱えた神像に描かれるーー」とある。
  不具児を流しておいて、そのくせ崇拝する。不要なものを捨てておいて、その恐れから崇拝する、これは日本人の潜在的な精神に存在するものではなかろうか。
  姥捨て山しかり,菅原道真しかりーー。川に流されるひな人形を見て、「蛭子」のような子も一緒に暮らせなかったのかと考えてしまうのである。  

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