お盆のころにおもう

 立秋が過ぎ、少しすると仏壇の中にあるものを拭き掃除する両親の姿がある。まだ暑さはきびしく、けたたましいせみの声は最後のにぎわいをみせている。日が傾くとやや涼しくも感じる。その日没も心なしか早くなっている。暑さにさいなまれた夏のおわり。祭りの楽しさもすぎて、なんとなくさみしさを感じる。13日の朝は早起きである。いつ和尚さんがみえるか、わからないからである。ふだん会っていない兄弟家族との会話が弾む。甥や姪たちは、むかしはさるのようにあばれて、わたしの部屋の入り口のところに、「立ち入り禁止、おっさんは入るな!!!」との張り紙を何枚も張ったものだが、今はもうない。電動車椅子に競争するようにみんな乗ってきて、アイスを買いに行ったのも今はむかし。命は、成長していった子供たちに受け継がれていくのかなと、過ぎて行く時間をしんみり思う。木魚をたたき、鈴を鳴らすお経を聴くとき、先祖から今までに至る深遠なときの流れを大切にしたいと思う。人生は一度しかないから、それをこれからも有意義したいと願う。


「コラム・エッセー」へ