「 「けり」を付けないと


 「ほな」、「せば」。何か物事が進行しているときに、これらちょっと変わった言葉で、それを終わらせるとか、方向転換させることがある。ある外人の講演で、「以上」という意味の言葉がなくて、何時終わったかわからなかったということがあったそうだ。日本人は、「けり」を付けないと気持ちが治まらないのかもしれない。それだけ言葉を重要視しているというか、言葉によって動かされるものなのかも知れない。「撤収」などという言葉も発した本人が驚くほど、回りは撤収してしまう。「さようなら」もそうである。「左様ならば……」が本来の言葉だろう。この「左様」とは何か?おそらく「いままでいろんなことがあったけど、それならば」という受け入れの言葉かもしれない。また、将来に向かって、「そうしなければならないのならば、しかたがない」という意味なのかもしれない。観念すると言うより、状況を受け入れるという四季の移り変わりを感じさせる日本独特の感性が感じられる。
('09/03/12)

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