「障害を持つ人は、「座敷わらし」かも」
障害を持つ人のホームページに、「私は我が家の座敷わらしだ」というのがある。もしかするとその要素はあるかもしれない。諸説あるが、座敷わらしに出会えると驚くほど幸運が舞い込むと言われている。その反面、座敷わらしは危険や不幸を知らせるためにも人間の前に姿を現すことがあるという説もある。確かに障害を持つ人がいる家庭の家族は普通の家庭よりも大変なことが多く起こる。余計な労力と時間が求められるだろう。その苦労はどれほどか知れない。しかし、その重荷を背負っている分、普通の家庭には味わえない笑いや連帯感、幸福感、達成感があるように思える。ちょっとした成長・進歩に喜び手をたたく。その反面、遅々と変化しない症状や病状にやきもきし、不安を募らせる。ところがそれら家族の多くは精神面で強いといえる。少しのことでは動じない。いつも病気にならないよう気をつける。そのためか比較的元気で若々しく見える。と、見えるだけでその心労は知れないが、少なくとも生きていてやらなければならないという気持ちになっているように思える。そのように一生懸命生きている家庭を、その家庭の問題だけにするのではなく、さらに社会が支えるような動きをこれからも拡大させていければ良いと痛感する。ちなみに静岡には座敷坊主が民間の話に出てくる。それらは家のために働きに来る忠実な精霊で、いなくなると家が衰えると言われている。 ('09/01/10) |