「話し方の極意」

 高等部の頃、落語研究部にいた。今でも「笑点」や、近所の旅館で催される高座をよく観に行く。笑う事は健康に良いらしい。笑いというのは、起こりえない事が起きた時に生じる。例えば、「節約と言ってお殿様に、代わりの魚の代わりにその魚をひっくり返してその裏を食べさせる」、「油が身体に悪いと、焼いた秋刀魚の油と骨の抜いたのを椀にして出す」、「飲めるわけのない液体を、知らずに飲めるものとして飲んでしまう」など。よく考えると悲劇ばかりである。当の登場人物は、その悲劇を真剣にやっている。それが起きるのが当たり前と感じる人には面白くない。ところが、落語家はこの悲劇を何千回と話して笑いを取る。実にこれが技なのである。棒読みにすると何も面白くない話を落語家は、枕の時点で観客の脈拍を悟って、そのテンポよりゆっくり話し出す。そうすると笑えてくるから不思議である。ゆっくり、そして相手の心に合わせて話す、これは話し方の極意かもしれない。
('08/11/12)

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