「伊豆療護園の中の東部養護学校の頃」−その2


前に「伊豆療護園の食堂で勉強している」手紙のことを書きましたが、ということは校舎がなかったということです。ライフルを持って立てこもった監禁籠城事件、金嬉老事件を朝の会で先生が話しているのを覚えています。ですから1968年冬、食堂で学んでいたということは私は小学4年生だったといえます。それでこの頃から道を隔てて東側に新校舎 (今の旧校舎)建設が始まっていたと思われます。日本の初ロケット「おおすみ」の成功を完成した校舎で聞いたのを覚えています。それでその年1970年には完成していたと思います。3棟を渡り廊下でつなぎ、中庭に坂を下りて行ったものでした。それでも音楽室・理科実験室・放送室など整えた立派なものでした。二階へのぼるためのスロープ階段は2クラス分のスペースをつぶしたものでした。なんといってもまだ静岡県で東部の養護学校はこの県立静岡養護学校東部分校だけでした。それでも北に富士山、東に箱根、伊豆半島の入口に位置する自然豊かな環境にありました。に1965年に韮山小中学校の分校から始まって校舎を持つ学校になってきました。これは次に来る県立東部養護学校への準備だったといえます。




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