「伊豆療護園の中の東部養護学校の頃−1」
先の号で「放課後等ディサービス」の施設紹介をしましたが、私が児童・生徒時代「伊豆療護園(今の伊豆医療福祉センター)」が肢体不自由児の受け皿としてありました。この敷地内に「東部養護学校(今の東部特別支援学校)」が県立養護学校東部分校として昭和41年9月に入ってきました。ちょうど四角形を思い起こす4つの廊下のいろんな部分に教室が分散していました。 食堂、会議室、中庭、そして敷地内に建てられたプレハブ造りの3教室(ひとつは職員室)。さらには動けない子のためのベッドサイドでのいわば個人教授。ですから5+α教室がありました。あとは廊下のはじも使っていたようです。まるでジプシー生活でした。 私は昭和42年8月3年生の夏休みに三島市立北小から編入してきました。教室は幸いにもプレハブ校舎でした。でもこれが夏になると40℃を超す大変なところでした。4年生になって食堂の教室になりました。療護園は全寮制で通学生はいなかったように思います。家にはお正月と夏休みの時しか帰れませんでした。時間割は機能回復訓練が半分、授業が半分くらいの割合でした。まだまだ子供で面会の日の夕方はさみしいもがありました。 |