「歌声喫茶」


 戦争が終わって5年たった昭和25年頃、東京の料理店でロシア民謡を流したところ、客が自然発生的にいっせいに歌い出し、「歌声喫茶」の走りとなりました。昭和30年には新宿に、「カチューシャ」、「灯」がオープン。ロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲などをリーダーがいて、ピアノやアコーディオンの伴奏で、客全員が歌うというものでした。人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し、店内は毎日のように人であふれ、最盛期の昭和40年には日本全国で100軒を超える店があったといいます。上京してきた地方の若者たちのさみしさをまぎらわすよりどころになり大盛況でした。昭和45年頃から、カラオケ店などの出現により、急激に減っていき、人前で歌える場をカラオケにゆずっていきます。


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