今夜、星の降る街で
6


息を弾ませて駅から走り出て来たのに、目的の場所は妙に静まり返っていた。
急に薄暗い場所に出たので目が慣れず、咲月は一歩一歩ゆっくり進みながら辺りを見回した。
「咲月!」
薄暗い隅の方から聞こえてきた声に目を向けると、直哉が街灯の下に進み出て来るところだった。
「直哉・・・ごめん、遅くなっちゃった」
乱れた息を何とか抑えながら、咲月も直哉の方へと歩み寄る。
「残念。もうちょっと早かったらツリーも点灯していたんだけどな」
「うん、ごめんね・・・」
直哉につられて、咲月も明かりを落としてしまったクリスマスツリーを見上げた。
小さな電球だけがポツポツと明かりを放つツリーが、街灯の下に浮かび上がる。駅の傍には閑静な住宅街が広がっており、その為、イルミネーションの点灯は午後9時までになっているのだ。
イブの今夜はさぞかし賑わっていただろうこの広場も、9時を過ぎた今では咲月と直哉の他に人はいないようだった。
「いいよ・・・それより、来てくれてサンキューな」
ほの明るい街灯の光に直哉の照れたような笑顔が照らし出されて、咲月の胸は高鳴った。
暗がりのせいだろうか、直哉がいつもと違って見える。
咲月の名を呼ぶ声も、咲月を見つめる瞳も。
咲月は何も言えなくて、ただ直哉を見つめ返した。

「咲月、これ・・・」
不意に直哉が手を差し出した。
どうしたら良いのか分からなくてその手を見つめ返すばかりの咲月に、焦れたようにもう一度手を突き出してくる。咲月がのろのろと手を上げると、手首をがしっと掴まれて、手のひらに小さな箱を押し付けられた。
「・・・え?」
リボンのかかった小さな箱が、街灯の光を受けてわずかに光った。
「クリスマスプレゼントだよ。咲月にはいつも世話になってるから、そのお礼って言うか・・・」
まじまじと見つめる咲月の視線から逃れるように、直哉は視線を上にさ迷わせて髪をかき回した。
「・・・そんなの、気を使わなくて良いのに・・・」
「いいんだよ。それより開けてみろよ?」
言われるままに包みをほどくと、箱の中からビロードの箱が出てきた。見ただけで宝飾品と分かるような青いビロードの箱。
ゆっくりと蓋を開けると、中には綺麗な指輪が入っていた。小さな星型の飾りが付いている。
「直哉、これ・・・」
直哉は戸惑う咲月の手からビロードの箱を奪うと、中から指輪を掴み出し、咲月の右手を取って不器用な手付きでそっと指に通していく。
指輪はあつらえたように咲月の薬指にピタリと納まった。
「直哉?」
揺れる咲月の視線を無視して、直哉は満足そうに頷いてみせる。
「思った通りだ、咲月に良く似合うな」
確かにその指輪はほっそりとした咲月の指に良く映えた。
「昨日これを見た時さ、きっと咲月に似合うだろうなって思ったんだ。それで・・・その時彼女が一緒だったもんだから指輪のサイズを聞いたんだよ。咲月と指の太さが同じくらいだったから・・・。そしたら彼女、自分へのプレゼントだと勘違いしちゃったみたいで、そんな子供っぽいデザインよりも、こっちの方が良いとか言い出して・・・んで、咲月にはこっちの方が似合うって反論したら、いきなりグーで殴られた・・・・・」
そう言って、直哉は痛そうに口元を押さえた。先ほどは気付かなかったが、よく見ると、唇の端がわずかに腫れている。
あまりにもデリカシーのない直哉の告白に、咲月には出る言葉もなかった。
「それからが大変だったんだ・・・。"やっぱりただの幼馴染みなんて嘘じゃない"って彼女大騒ぎしちゃってさ、大学生になってまで仲の良い幼馴染みなんて変だとか、幼馴染みに合鍵を渡すなんて変だとか、オレたちの変なところを1つずつ上げ連ねていくんだよ。だけどそれって彼女だけじゃなくて、昔付き合った女たちもみんなが言ってた事なんだ・・・」
「え? それじゃ、あたしのせいで別れたっていうのは・・・・・・」
「そう、みんな、最後には自分と咲月とどっちが大事なのかって聞くんだ。だからオレは・・・」
咲月を見つめる直哉の瞳が、街灯の明かりを受けてかすかに光る。
咲月は息をするのも忘れて直哉の言葉に聞き入った。
「オレは、正直に、咲月が大事だって言った」
一言一言はっきりとそう告げる直哉に、咲月の目頭が熱くなる。
「・・・幼馴染み、だから?」
直哉はゆっくりと頷いた。
ああ、やはり、直哉にとって咲月は"大事な"幼馴染みなのだ。それ以上でも以下でもなく。
「誰が大事かって聞かれたら、オレには咲月以上に大事な奴なんかいないよ。昔も、今も、そしてこれからも、オレは咲月が一番大切だ」
咲月の瞳からこぼれた涙が頬を伝う。
その涙を直哉がそっと指先で拭った。
切なさが込み上げる。咲月の欲しいものを直哉は決して与えてはくれない。それは昔から分かっていた事だけれど。
それでも咲月は直哉を求めてしまう。失う事を恐れながら、欲しがる心を止められない。
直哉が咲月を思う気持ちと、咲月が直哉を想う気持ちは違うのに・・・。
真っ直ぐに咲月を見つめていた直哉が、ふと視線を逸らして自嘲気味に口元を歪めた。
「だけど、昨日彼女にあれも変だ、これも変だって言われているうちに、オレもだんだんそうかもしれないなって思えてきて・・・・・・それで気付いたんだ。咲月は、オレにとって咲月は、ただの幼馴染みなんかじゃないって」
時間が、止まったのかと思った。
ハッとして瞠目した咲月とは視線を合わせずに、直哉は涙を拭った手でそのまま咲月の頬を包み込む。
愛しげなその仕草に、咲月の全身が甘く痺れた。
目の前にいる直哉が全然知らない人のように思える。
直哉・・・。直哉は何を言おうとしている?
激しく打つ胸の鼓動がうるさくて。息ができない。頭の中がくらくらとして。身体が空中に霧散してしまいそう。
それでも目だけは直哉から離せない。
きっと大きく見開きすぎて、子供みたいな表情になっているはず。
直哉が伏せていた瞳をゆっくりと上げた。その、意志の強さを感じさせる黒い瞳が咲月の心を絡め取る。

「オレは、咲月が好きだ」

見上げる咲月にもう一度、語りかけるように同じ言葉を囁く。
「咲月が好きだよ」
その言葉は荒れ果てた大地にしみこむ清水(せいすい)のように、咲月の心の奥深くまで浸透していった。
「・・・う、そ・・・・・」
「嘘じゃないよ」
直哉はそっと、壊れ物のように優しく、咲月の身体を引き寄せた。
信じられない思いのまま、咲月は直哉の胸に頬をあてる。
直哉の胸はあの日と ―― 咲月が初めて直哉を異性だと意識した日と ―― 同じ感触がした。
「・・・ずるい。・・・ずるいよ、直哉。どうして・・・・・・今更、そんな事を言うの?」
咲月は直哉の胸に両手を着いて身を起こすと、そのままこつんと額をぶつけた。
溢れた涙が街灯の明かりに反射して、キラキラ光りながら落下していく。
「ごめん。・・・・・・でも、咲月を誰にも渡したくなかったから。・・・迷惑、だったよな?」
咲月の髪を撫でる直哉の手がかすかに震えていた。
震える手で、愛しむように、何度も何度も咲月の髪を撫でる。
「バカッ!バカ直哉っ!!」
堪えきれなくなって顔を上げると、目の前に迷子のような頼りなげな表情をした直哉がいた。
愛しい、愛しい、幼馴染み。
「あたしは、ずっと・・・・ずっと、直哉の事が・・・・・・」
ハッとしたように咲月を見つめた直哉の顔が、幼い頃の顔と重なって、咲月は思わず微笑んだ。
「ずっと、直哉が好きだったのに・・・」
その瞬間、咲月は凄い力で直哉に抱きしめられていた。
溶けてしまいそうな幸福感。
「直哉、直哉、大好き・・・」
「咲月・・・」
夢を見ているようだと思った。しあわせな夢を。
けれども、咲月を抱きしめる直哉の腕の強さが、髪にかかる熱い息が、咲月の腕の中にある確かな存在が、すべては真実だと告げている。
誰よりも欲しかった。そして、何よりも失いたくなかった、大切な存在。
永遠の中にとけてしまいそうなこの一瞬に、咲月はもう一粒しあわせの涙をこぼした。

抱きしめる腕の力が緩められるのに合わせて身を離すと、やけに嬉しそうな顔をした直哉と目が合って、咲月は思わず視線をさ迷わせた。
自分でも頬が紅潮しているのが分かって居たたまれない。
けれども、直哉の肩越しに思いがけない光景を見つけて、思わずコートの胸元を引っ張った。
「直哉、見て見て!!」
「え?」
咲月の指差す方向を見た直哉は、一瞬訳が分からないという顔をしたけれど、すぐに納得したように一歩だけ咲月の位置まで移動すると、膝を屈めて目線を咲月の高さに合わせた。
「ああ・・・」
咲月の指差す先には、明かりを落とした大きなクリスマスツリーがあった。
今は小さな電球がちらほらとしか点いていない淋しい姿だが、その梢の先に、空に輝く眩い星が光っていた。
「星が・・・・本物の星が光ってる。・・・・綺麗・・・・・」
「あれは、シリウスだな。空で一番明るい恒星(ほし)だよ」
ひと際青く輝く星を見て、直哉も頬をほころばせた。
「それじゃ、これもきっとシリウスだね・・・・」
そう言って咲月が空を指していた手をゆっくりと開くと、薬指の指輪に付いた小さな星がきらりと光った。
「きっと、空から降ってきたシリウスだね・・・・・直哉、これ、ありがとう・・・」
空に向かって伸ばされた咲月の手を、直哉がそっと掴んだ。
もう一度引き寄せられたけれど、今度は抱きすくめられたりはしなかった。
そのかわり、もう片方の手がそっと咲月の頬に添えられる。
直哉は何も言わなかった。
けれども優しい眼差しがすべてを語っていた。
直哉の温かさに包まれながら、咲月はゆっくりと瞳を伏せた。

空の高い高い場所を星が流れたけれど・・・・・・
しあわせな恋人たちは、それに気付く事はなかった。



     ――― ねぇ直哉、幼稚園の時も・・・・・・だったよね?
     ――― それを言ったら、小学校の頃の・・・・・・の方がさぁ
     ――― あたしたち、思い出だけはいっぱいあるよねぇ・・・
     ――― その台詞は咲月がもっと婆さんになってから、もう一度言ってもらいたいもんだね
     ――― え?



     ――― 今までの思い出よりも、これからできる思い出の方がずっと多いってコト





END


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葉散ひそかさまのサイト「空に還る場所」の"クリスマスの小部屋"で12/19〜24の間6日連続(!!)公開された作品です。
綾部も毎日毎日ドキドキしながら読ませていただきました(^^)
ラストでは「咲月ちゃんと直哉くん、ほんとによかったぁ」とほっと胸をなでおろしたものです (´▽`) ホッ
24,25日限定DLF、ということで速攻でお持ち帰りさせていただきました。
ひそかさん、本当にありがとうございますm(__)mm(__)m
[綾部海 2003.12.26]
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Photo by おしゃれ探偵