12月の街は光と音に満ちている。 華やかなイルミネーション、賑やかなジングルベル。 息も白く凍えるような底冷えのする街で、そこだけ明かりが灯ったような恋人たちの寄り添う姿。 今日はクリスマスイブという事もあり、夕暮れの街は恋人たちの笑顔で溢れていた。 キリスト教徒にとっては神聖なはずのキリスト生誕の前夜祭を、こんな風に恋人たちのイベントにしてしまったのは一体誰なんだろう?罪深い、本当に罪深い事だ。 咲月(さつき)は右手に持った特大のベルを振り上げると、苛立つ心のままに思いっきり振り下ろした。 カラン・・・という澄んだ音が屋根付きのアーケードに響き渡る。 そのまま何度も何度も振り回す。 カラン、カラン、カラン、カラン・・・・・・ 大きく響き渡ったその音は、すぐに人々のざわめきとエンドレスで鳴り響く陽気なクリスマスソングの中に紛れて消えていった。後に残ったのはかすかな腕の痺れと虚しさだけで。 通りすがりの人がチラリと視線をなげかけてくるのに愛想笑いを返しながら、咲月は胸の中で大きく溜め息をついた。 日本人は間違っている。 敬虔なクリスチャンならいざ知らず、ただお祭り騒ぎがしたいだけの人々なんか、せいぜい家族そろってケーキを食べてプレゼント交換でもしていれば良いんだ。 それを、恋人たちの記念日にしようだなんて、邪道だ。救いようがない。 『それなら、お互い恋人ができなかったら、イブの夜は駅前のクリスマスツリーの前で待ち合わせる事にしない?一緒に過ごす相手が幼馴染みじゃ色気もないけど、一人で過ごすよりましでしょ?』 さり気なさを装って妙に棒読みになっている自分の声が蘇えって、咲月はブンブンと頭を振った。 それに合わせて赤いトンガリ帽子の先の白いボンボンが揺れる。赤いのは帽子だけではない。今、咲月は襟や袖口それからボタンや裾などに白いモコモコの毛糸が付いた赤いワンピース風のコートを着ていた。サンタクロースならぬサンタガールとでも呼べば良いのだろうか? そして手には大ぶりなハンドベル。目の前には・・・・・・・ 「すみません、その2,500円のを一つ下さい」 若い女性の声で我に返った咲月は、慣れた手つきで積み上げられた箱の中から指差された2,500円の箱を持ち上げた。 「こちらの生クリームでよろしいでしょうか?」 女性が頷くのを確認して、箱を雪の結晶模様の入った白いビニール袋に入れる。ロウソクは最初から箱に貼り付けてあった。差し出されたお札の数を確認して、四角い金属の箱から500円玉を1つ取り出す。 「3,000円お預かりしましたので、500円のお釣りになります」 女性がバッグに財布をしまうタイミングを見計らってケーキの箱を差し出す。それから、ニッコリ笑って、 「ありがとうございました。楽しいクリスマスを!」 貼り付けたような営業用スマイルを浮かべて若い女性の背を見送りながら、咲月は小さく溜め息をついた。 ――― 何が"楽しいクリスマスを"よ! 頭の中に幼馴染みの直哉のにやけた顔が浮かんで、咲月は思いっきり眉をしかめた。 『咲月!俺さ、彼女できちゃった!これでお前に哀れまれる事なく、楽しいクリスマスが過ごせそうだぜ』 人の気も知らないで満面の笑みを浮かべてそう告げてきた直哉。 クリスマスイブに咲月がこんな所でケーキの売り子をやっているのは、全部直哉のこの台詞のせいだった。 ※ ※ ※ "幼馴染み"これが井川咲月と北村直哉の関係だ。 家も近所で幼稚園から高校までの腐れ縁。明るく人懐っこい性格の直哉とは成長してからも疎遠になる事はなく、いつも一緒にいるのが当たり前の間柄だった。女友達とはまた別の、大切な存在。 けれど、咲月の中ではいつの頃からか直哉の存在はただの幼馴染み以上のものになっていた。 気付いたのは高2の頃。 学校からの帰り道、偶然一緒になった咲月と直哉は他愛無い会話を交わしながら駅からの道を歩いていた。 その時、曲がり角から自転車が凄い勢いで飛び出してきたのだ。咲月は直哉のくだらない冗談に涙が出るほど笑っていたので、気付くのが一瞬遅れてしまった。角を曲がった自転車は咲月めがけて突っ込んでくる。 咄嗟に目を瞑った咲月を直哉が力一杯引き寄せてくれて難を逃れたが、恐怖でドキドキと脈打っていた心臓は、すぐに別の高鳴りへと変化して咲月自身を戸惑わせた。 直哉の硬くて広い胸、肩を抱く逞しい腕。昔は咲月の方が背が高かったのに、今は額あたりに直哉の顎がある。そして何より咲月を抱き寄せた時の力強さ・・・・・。 ――― いつの間にか男の人になっていたんだ・・・・・・。 それは不思議な感覚だった。 今自分を抱き止めているのは間違いなく直哉なのに、いつも一緒に笑い転げていた男の子はもういないのだ。 「咲月? 大丈夫か?」 そう言って覗き込んでくる直哉の瞳の優しさに、咲月は危うく涙ぐみそうになった。 ※ ※ ※ 「咲月ちゃん、調子はどう?」 不意に背後から話しかけられて、咲月はしかめていた顔に慌てて笑顔を浮かべた。 「あ、美夜子さん・・・」 現れたのは咲月のすぐ後ろにあるケーキ店のオーナー美夜子だった。 今日はクリスマスイブという事で、特別に店頭でケーキの販売を行っていたのである。 「あら、結構売れたじゃない」 美夜子は机の上のストックを眺めて嬉しそうな声を上げた。 「はい、4時頃からお客さんが増えてきたので・・・。予約分を除くと、残りは1,600円のが4個、2,500円のが3個と5,000円のが1個です。さっきお店の奥に残っていた分を補充したので、これが売れれば今日の分は完売です!」 「凄いじゃない!咲月ちゃん頑張ってくれたものねぇ。お店の中までベルの音が響いてたわよ?」 「あ、いえ・・・・・」 まさかベルに八つ当たりをして振り回していたとは言えず、頬を赤らめて口ごもる。 「でも本当に今日は咲月ちゃんが来てくれて助かったわ。朝早くからで申し訳なかったんだけど、閉店まであと2時間だから頑張ってね」 「ハイ、任せてください!」 美夜子は咲月の母親のママさんコーラス仲間の娘だ。年齢は20代後半で、この店のオーナー兼パティシエをしている。予定していたバイトの子が来られなくなったとかで、昨夜遅くに美夜子の母から咲月の家に電話があり、急きょ咲月がピンチヒッターを務める事になったのである。 「だけど、ホントに今日の予定は大丈夫だったの?」 「あっ、ハイ!予定なんてありませんから!全然オッケーです!!」 何気ない美夜子の問いに一瞬直哉の顔がよぎったけれど、何とか笑顔を保つ。 美夜子は曖昧な笑みを浮かべて頷くと、「寒くなったら中の子と交替してね」と言い置いて店の中に戻って行った。 その後ろ姿を見送りながら、咲月は今日何度目になるのか判らない大きな溜め息をついた。 |