「……おい、起きろ」 「え?」 耳元でひそひそ声が聞こえ、パチッと目を開ける。 そこはバスの中。まだガタゴト揺れている。 目の前にいるのは、あれ、アサギくん? 「アサギくん、どうし──」 「しっ、うるさい」 ??? 自分の口に人差し指を当て、視線で隣を促す。 あたしも隣を見ると、そこには心地良さそうにすやすや寝息を立てるシアンくんがいて。 「そいつ、絶対起こすなよ」 「へ?」 「来い」 小声で言い、アサギくんはバスの前方へ向かった。 え、起こすなって? どういうこと? バスの次の停留所は、あたし達の降りるところよりずっとずっと前。まだプール場の方が近いくらいだ。 アサギくん? 「早く」 手招きをされ、慌てて──言われたとおり、シアンくんは起こさないように気を付けて──席を立った。 アサギくんの傍へ立つと、ちょうど停留所に到着。ドアが開いた。 ちゃりんちゃりんとアサギくんがお金を入れて。 あたしも財布を出そうとすると。 「おまえの分も払った。いいから降りろ、早く」 と、腕をつかまれて半ば引きずられるように降ろされてしまった。 ドアが閉まる。シアンくんを乗せたまま、バスは遠ざかって。 バスが見えなくなったところで、やっとアサギくんは、あたしに向き直った。 って。 「あ、アサギくん、なぜにこんなところで……」 「……別に、意味はないけど」 「へっ?」 い、意味ないのぉ!? じゃあなんなの、シアンくんだけ行っちゃうしさぁ! 「アサギく〜ん、暑いよぉ。おうちに帰ってアイス食べたかったよ〜ぅ」 夕方だけど、まだ蒸し暑い。さっきまで冷え冷えだったプールの分、汗がよけいにじむ。 おまけに蝉までじゅーわじゅーわ鳴いちゃうし。これはまだ自然が残ってると喜ぶべきなのか。 あるのは車道、それに山と蝉、看板。人だってほとんど通らない。 するとアサギくんはむっと眉をしかめ、頭を掻いた。 「うっさいな、アイスなら途中で買ってやるから。行くぞ」 「へっ? 行くって……」 「帰る」 はぁー!? 「帰るんだったらバスに乗ってれば良かったじゃん!」 「うるせえっつってんだろ! だったら1人でバス待ってろよ!」 怒りながらアサギくんはすたすた歩き出してしまった。 1人で待てって? ひどい! わけもなく降ろしたのはそっちじゃないか! 慌ててアサギくんに駆けよって、肩を並べる。 「もうなんなのアサギくん。何怒ってるの?」 「怒ってねえ!」 「ほら、怒ってるじゃん」 「あーもう、なんだよ。やっぱやめときゃよかった。こんな……」 「?」 不機嫌そうにぶつぶつ言ってるアサギくん。 あたしは怪訝に顔をゆがめながらも、アサギくんについていく。 アサギくんの腕、サンオイル塗ったのにやっぱりしっかり焼けてないや。 「アサギくん」 「…………」 「アーサギくーん」 「なんだよ!」 「アイスはどこで買ってくれるの?」 はぁ? とアサギくんは眉を寄せる。そしてすぐ、店があったらな、と答えた。 あたしはにっこり笑う。 「どんなアイスがいいかなぁ。あたしね、最近オレンジアイスにはまってるの!」 「何それ」 「だから、オレンジ味のアイス。しゃりしゃりしてて、おいしーんだよ」 「それってシャーベットっていうんじゃねーの?」 「あ、そっか」 「ばか」 えへへ、と笑ってみせると、アサギくんもやっと穏やかな顔になってくれた。 それを見て、あたし、もっと嬉しくなる。 「ねえねえアサギくーん」 「なに?」 「手ぇ繋ごう!」 「は?」 手をビシッと突き出すと、アサギくんは、アホか、と呟いた。 「いやだよ、暑苦しい」 「えーっ、さっきプールで繋いでくれたじゃん!」 一瞬だったけど。シアンくんが気づく前には振りほどかれてたけど。 「あんなのちょっとした気の迷いだよ。もう絶対いやだ」 「いいじゃん気の迷いでも。ウェルカム気の迷いだよ」 「うるさい」 あーいえばこーいって、アサギくんってば取り合ってくれない。 ええい、強行手段だー。 アサギくんの腕に自分の腕をからめて、無理矢理アサギくんの手を握った。 「っお、おい!」 ぶんぶんとあたしを引き離そうとするけど、あたしだって離すわけにはいかない。 「いーじゃんアサギくん、ねっ、一生のお願いっ」 「こんなところで使ってんじゃねーよ!」 「ねえいいじゃんっ、もうわがまま言わないからっ」 「〜〜ッあーもぉ、分かったからそんなにくっつくな!」 暑いっ、とアサギくんはあたしの体を引き剥がして、でも、手はちゃんと握っててくれた。 「手なんか繋いで、なにが楽しいんだか……」 「えへへ〜楽しいよっ」 繋いだ手をブンブン振ったら、やめろ、って怒られた。 でも、アサギくんの手。 すごく大きくて、柔らかくて、それに、温かいんだ。 あたしの手なんかすっぽり隠れちゃうくらいの、優しい手。 大好きな人の手。 嬉しくないわけ、ないじゃん。 「あ、コンビニあった」 「アイス!」 「分かってるよ。おまえ、ほんとがめついな」 「! ひどい……」 と、アサギくんは、ぱっと手を離した。 って、えー! 「やだぁアサギくん、手ぇ繋いでいようよ!」 「はぁ!? ばかかおまえ、いっぺん死んでこい!!」 うわ……そこまで言わなくても……。 結局アサギくんはあたしの手を離し、おまけに。 「もううるさいから、おまえはここで待ってろ」 なんて、拷問のようなことを言って、1人で入っていってしまった。 こんな暑い中外で待たせるなんて……鬼だ。 でも大人しく待つあたしは、なんて健気な少女だろう。なんて。 自動ドアがウィーンと開いた。 「ほら、これだろ」 渡されたのはオレンジアイス、改め、シャーベット。 やったーと思わず声をあげると、アサギくんは珍しく、吹き出すように笑った。 「なに?」 「いや、おまえって単純だな。100円だぜ、それ」 「う……こーゆーのはお金の問題じゃないもん」 むっとふくれると、アサギくんは、あっそ、と笑った。 きっとアサギくんには、どんなに言っても分かってもらえないんだろうけど。 シアンくんが買ってくれた、数千円の水着より。 アサギくんの、100円のアイスの方が。 ずっとずっと嬉しいんだもん。 ……そういえばシアンくんに結局お返しできないままだったから、今度何か買ってあげようっと。 コンビニから少し歩くと、アサギくんが、あそこで食べよう、と言った。 看板の裏。 車道からはあたし達が見えなくて、この時間は日も差さない絶好の場所。お手柄だアサギくん! 日なたに比べると少しだけ薄暗いそこに座って、ちょっと休憩。 オレンジシャーベットをシャリシャリ食べながら、あたしは聞いた。 「そういえば、アサギくんのは何?」 「ん?」 アサギくんはこれ? と半透明な筒をあたしに見せた。 「氷」 「えー!」 「んだよ、文句あんのか」 「だってさぁ……おいしいの、それ?」 「味はない。だってアイスなんて甘いじゃん」 「うわー、まさかそこまで甘いのが嫌いな人だとは思わなかったよ」 アサギくんは甘いのが嫌いだ。大嫌いだ。 食べ物でも、ムードでも、性格でも、甘いものはとことん嫌いらしい。 でも、だからって氷をガリガリ食べるほどとは。 びっくりして、ため息をついた。 「なんだよ。いいだろ別に、おれの勝手なんだから」 「そうだけど……はあ、なんか彼女としてはさびしいですよぅ」 「なんで?」 「だって、バレンタインにはチョコあげられないし、クッキーも焼いてあげられないもん。それに手を繋いだりとか、そういうのだってアサギくんは嫌いだし……そりゃそういうアサギくんが好きだから仕方ないんだけど、なんか、たまにさみしく感じるときもあるよ」 愚痴愚痴とねちっこくなってしまった。 だけど、いつもだったらうるせえ、とか別にいいだろ、とか、そういう風に、なんか言ってくると思ってたんだけど。 今日はそんなあたしの言葉、アサギくんは黙って聞いていて。 あれ、って思ってたら。 やがてぽつりと、アサギくんは言った。 「じゃあルカは、甘い方がいいの?」 「え?」 びっくりしてアサギくんを見ると、アサギくんは真面目な顔してた。 え、えっと、アサギくん? ルカって……。 いっつも、おい、とか、おまえ、とか呼んでいるのに。 「あ、あの、アサギくん……?」 戸惑いながら名前を呼ぶ。でも、返事をしてくれない。 ふいに、頬に手が触れた。 「ひゃっ」 冷たい。さっきまで氷ボトルを持っていたせいだ。 両頬を手で押さえられ、まっすぐ、アサギくんと向き合って。 鋭い目は、いつもと一緒なのに。 なのに、いつも以上に、迫力を感じる。 「ア、サギく……えっ」 ギュッとつむったまぶたの上に、小さく唇が触れた。 そのまま、鼻の頭に、口の端に触れて。 「ルカ」 吐息がかかって、唇がふさがった。 冷たい。すごく冷たい。 なのに体はとっても熱い。多分、日なたにいたとき以上に、半端なく。 あたしは今、硬直しているようだ。指先1つも動かせない。 離れても、あたしが目を開ける前に、またキスされて。 何度も何度もくり返し。 どうしよう、もしかしてあたし、夢見てるんじゃないのかな。 だってアサギくんが、キスしてくれるなんてありえない。 夢かな。夢だったらどうしよう。 夢ならいっそ夢に居続けたいって、そう、思うのに。 「ルカ」 何度も、呼ぶから。 あたしは、夢じゃない、現実のアサギくんのキスに、呼び戻される。 「ん……ッ」 キスがだんだん、温かくなってきた。 息ができない。 アサギくんの肩をつかんでも、逃がしてくれない。 それどころか、アサギくんはあたしをぐいぐい押し倒そうとしてる。 「ア、アサ、ん……ッ!」 名前、呼ぼうとして。 口の中、ぬるって、アサギくんの舌が入ってきた。 えっ、ちょ、ちょっと。 嘘、ちょっと待ってアサギくん……ッ。 くらくらとめまいがする。もう、倒れそうだ。 〜〜ッ。 カランッ。 「っ冷てッ」 パッとアサギくんが離れた。手元には、オレンジシャーベット。の空の容器。 あれ、ちょっと残ってたはずだったけど……。 と思ったらアサギくんが自分の手を見て、困ってた。 あ。 「こぼれ……ちゃった」 「…………」 無言のまま手に掛かったシャーベットを見つめるアサギくんに、あたしは慌ててティッシュを渡した。 さんきゅ、と受け取ったけど、なんか、恥ずかしそうで。 あたしもあたしで、すごく恥ずかしくって。 「……あ、あのさあ」 「えっ?」 「……俺がこんなことしたなんて、絶対、誰にも、シアンにも言うなよ」 「!」 もちろん言いませんとも! と首をぶんぶん縦に振る。 だって、アサギくんが……あんなキスしてくれるなんて。 嫌いな子には、絶対しないよね。 どうでもいい子にだって、絶対、するはずない。 それなりに好きでも、きっとしてくれない。 ってことは、あたしは──。 嬉しくて、うふふふふ、って、あたし笑っちゃった。 何度も自分の唇に触れてみたりして。 そしたらアサギくんはすごく恥ずかしそうに、頭を掻いていた。 「〜〜ッ帰るぞ、ルカ」 あ、また名前呼んでくれた。 にっこり笑って立ち上がろうとする。 と。 「……ほら」 「え?」 「……今日だけだかんな」 差し出してくれた、アサギくんの手。 「……ありがとっ」 あたしは確かに、握り締めた。 「ねえ、アサギくん」 「…………」 「あたし、ずっとずっと大好き、だからね」 いつも以上に、心を込めて、小さく小さく呟いた。 そしたらアサギくん、多分誰にも聞こえないように言ったんだろうけど、ちゃんと聞こえた。 あたしにだけは、ちゃんと聞こえた。 「……おれも、です」 |
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 「大きく背伸び。」の二宮秋季さんから今回は残暑お見舞いのお話をいただきました☆ (サイトに公開されたものではなくネット配信で、ほんとは"甘甘編"(=このお話)と"ホラー編"とふたついただくことができたのですが、怖がりの綾部は"甘甘"のみで…^^;) バレンタインにいただいたお話にも登場していたアサギくんとルカちゃん、実は綾部のお気に入りなのでひそかによろこんでおります(*^^*)(今回はさらに大胆!!なアサギくんにドキドキしたり…/照) 二宮さんほんとにどうもありがとうございましたm(_ _)m [綾部海 2005.8.25] |