「へ?」 「ルカちゃん、おまたせ」 にっこり笑うのは、よく知っている顔。 だけど待っていた人とは違う顔。 携帯を握り締めたまま、その人と携帯を見比べてしまった。 予定時間、ぴったり。 それに、おまたせって。 ちょ、ちょっと待って……?? 「え、な、なん、えぇ??」 「んじゃ、行こうか」 「えぇ〜!?」 手をつかまれて、バスに引きこまれた。 おかしい。おかしいぞ。 今日は夏休みに入って初めての、アサギくんとのラブラブデート(予定)のはず。 なのに、なんで……。 「なんでシアンくんが?」 「兄ちゃんがね、今日は来れないってさ」 バスにガタゴト揺られながら、シアンくんがにっこりと笑った。 「ええ!?」 弾みでバスが大きく揺れる。 少しよろけると、シアンくんはあたしの腰に手を添えてきた。 そのままぐいっと、あたしの体を引き寄せる。 「ルカちゃん、危ないから僕につかまってよ」 「〜〜ッ」 ぎゃー、シアンくん近いってぇー! 心の中であわあわ叫んだ。 シアンくんは、アサギくんの弟。 そんでアサギくんっていうのが、一応あたしの彼氏で。 アサギくんとは似ても似つかない程、シアンくんはかなり大胆な子。 平気で手とか握ってきちゃうし、すぐに寄り添ってくる。 そりゃ1つ年下だし、お兄ちゃんがアサギくんなわけだから、甘えられない分、あたしに甘えてくれてるのかもしれないけど。 1人っ子のあたしには、弟とか、そういうの分からないし。 ……やっぱ慣れないよぅ。 「だ、大丈夫だよ、平気だから。それよりアサギくん来れないって……?」 シアンくんの腕をそっと引き離しながら、おずおずと訊く。 彼は、うん、と屈託なく笑った。 「今日はどうしても外せない用事があるとかで、僕が代わりを頼まれたんだ」 「!」 外せない用事? せっかく、久しぶりに一緒に遊びに行けると思ったのに。 それに、代わりだなんて。 ……あたしは別に、誰かと遊びたかったわけじゃなくて。 アサギくんと一緒にいたかっただけなのになぁ。 ちょっとだけ、心に風が吹いたみたいに寂しくなった。 思わずため息を吐く。 するとシアンくんが、でもさ、あたしの顔を覗きこんできた。 「その代わり、僕といっぱい遊ぼうよ。ね、兄ちゃんとは行けないような場所とか、僕、知ってるからさ」 「? アサギくんとは行けないような場所?」 聞き返すと、シアンくんは深く意味ありげに微笑んだ。 「……うっひゃ〜」 見渡す限り、人、人、そして人。 だけど風に乗ってやってくる水の匂いが、すごく涼しげで。 きゃーきゃーわーわー聞こえる声も、何だか楽しくなってきてしまう。 嬉しくなって、へらへら笑ってしまった。 「ルカちゃん、こっちこっち」 「おっ、シアンくん」 すでにプールサイドにいる、シアンくんの元へ駆けていく。 「あー走んなくていいよ! 危ないからっ」 「大丈夫、大丈夫。でもすごい人だねぇ。中、入れるかなぁ」 「ほんとすごいね。あ、でも向こうの方、結構空いてたから……」 そっかぁ、と相変わらずにやにやしていると、シアンくんがマジマジとあたしを見ていた。 「? なに?」 「んーん、ルカちゃん、嬉しそうだなあと思って」 と言うシアンくんこそ、すごく嬉しそうな顔してる。 あたし、多分かなり締まりのない笑顔で、でへへ〜って笑った。 「だって学校プール以外のプールなんて、すごく久しぶりなんだもん。それに水着まで……あっ、でもシアンくん、本当に良かったの?」 ぱっと腕を開いて、自分で着ている水着を見た。 ピンクと水色のストライプ柄のビキニ。 絶対、結構な値段はするはずなのに、シアンくんってば水着売り場にパーッて行って、パーッて買っちゃった。 あたしの方が年上なのに、遠慮するヒマもなくて。 今更ながら訊ねると、シアンくんは満足げにうなづいた。 「ん? もちろん。最初からここに来るつもりだったし、ルカちゃんもスクール水着以外持ってないだろうなぁと思って」 うっ図星。 だってプールなんて、友達とだってほとんど行かない。 そしてもちろんアサギくんとも。 アサギくんとのデートは大抵映画館。その後マック。今日も実は、その予定だったり。 あの人、疲れるの嫌いだからなぁ……。 「でも良かった、すごく似合ってる」 「そ、そぉ?」 「すごくかわいいよ、ルカちゃん」 にっこり笑って言われ、つい頭を掻きながら、えへへ、と愛想笑いを返してしまった。 ……シアンくんにそんなこと言われても、妙に気恥ずかしいくらいで。 できればアサギくんに言ってもらいたかったかも……なんて。 到底無理な話だろうけどさっ。 「じゃあさシアンくん、お礼は何がいい?」 「えっ。別にいらないよ」 「ううん、だって水着なんて中学生には高価なものだし、さらに年下のシアンくんに買ってもらったなんて年上としてのメンツが……あ、じゃあ今日は全部あたしがおごるね!」 「ええっ、いいってば! ぼくが好きでルカちゃんに買ってあげたんだから、そんな……」 慌てて断るシアンくんに、あたしは一言、だめっ、と制す。 「シアンくんはいいかもしれないけど、あたしとしてはよくないのっ。仮にもシアンくんはあたしより年下なんだから、あたしにだってプライドがあるのっ。分かった?」 ずびしっと言ってやると、シアンくんは困ったような顔を浮かべながら。 やがて両手の平を、降参、と上げてみせた。 「分かった。ルカちゃんはそういうの、気にする子だったもんね」 「よしっ」 「まいったな、今日はぼくがリードするつもりだったのに」 シアンくんは苦笑していた。 あたしはあたしで、満足げにうなずいた。 「シアンくん、そろそろプールに入ろうよ。頭が熱くなってきちゃった」 「そうだね。向こうの方、けっこう人少なかったから」 「うんっ。いっぱい遊ぼうねっ」 「あっ、ルカちゃん、危ないから走っちゃだめだってば」 と、シアンくんがあたしの手首をつかんだ。 そのとき。 向こうの方で、ガシャンッて大きな音がして。 あたしとシアンくん、そして他のお客さんが一斉にそっちを向いた。 プール場を囲うフェンスに、1人の人影。 って。 「アサギくんっ!!」 「げっ、兄ちゃん……」 わわわっ、なんかものすごいこっちを睨んでる!? 「シアンくん。今日はアサギくん、来れなかったんじゃないの?」 「あーうん。その、はず、なんだけどなぁ」 ? 「とりあえずルカちゃん、逃げようか」 「えっ? なんで、せっかくアサギくんが来たのに」 「いや、あれはきっと兄ちゃんにそっくりな人だよ。うん、きっとそうだ」 「何言ってるの、アサギくんでしょ」 「う〜……」 なんだか嫌がっているシアンくんを引きずりながら、アサギくんの元へ行った。 近くで見ても、やっぱり怒った顔だ。 それにあんまり外には出てないのかな、思ったほど日焼けはしてない。 2週間近く会ってなかったアサギくん。 懐かしいなぁ。 「……何してんだよ、てめえ」 嬉しくてにやにやしていたら、低い声でアサギくんが言った。 でも視線はあたしじゃなくて、シアンくんの方。 シアンくんはそ知らぬ顔でアサギくんを見ていた。 「何って、何が?」 「しらばっくれてんじゃねえぞっ!!」 ガシャンともう一度フェンスが騒ぐ。 あわあわとあたしは慌てる。 「あ、アサギくん、落ち着いて……」 鋭い眼球が、シアンくんからあたしに向いた。 びくぅ。 「おい」 「! は、はい!」 「おまえも何のん気についてってんだよ」 「え、いや、だって、アサギくんは今日来れなくて、代わりにシアンくんに頼んでって……」 そうだ、そのはず。 だからあたしはシアンくんとプールにいるんだ。 なのになんで、来れないはずのアサギくんがここにいるの? わけが分からなくて、頭がグルグル回ってると、アサギくんがふん、と鼻で笑った。 「相変わらずばかだな、おまえ」 「へっ?」 ば、ば、ばかですとぉ〜? 「兄ちゃん、ルカちゃんは全然悪くないだろ! そんなこと言うなよ!」 「……シアン」 「なんだよ」 「そうだ、てめえが一番悪いんだ。分かってんなら今すぐこっちにこい。ぶっ殺してやる」 「絶対いやだもんね。ていうか行くわけないじゃん、ばっかじゃないの。さ、行こうルカちゃん」 「シアンッ!!」 「ちょ、ちょっとシアンくん」 あたしの腕をつかんで、無理矢理引っ張ろうとするけど。 でもあたし、慌てて振り向いて、アサギくんを呼んだ。 「あ、アサギくんっ。ねえ、シアンくん、アサギくんは?」 「ほっとこうよ。あそこでずっと、とらえられたチンパンジーみたいにフェンスに掴まっていればいいと思うよ」 「〜〜ッおい」 「もう、なんだよ、まだなんかあるの?」 「入場券は、いくらだ」 今日は快晴。気温もどんどん上昇中。 プールにも涼を求める人が、どんどん集まってきます。 そしてそんな中、もっと暑いのが。 「うわ、ってめ、マジ、一回死ね!!」 「なにそれ、意味分かんない。文句言うなら自分で塗ればいいじゃん」 「うるせえ早くしろ!!」 兄弟仲睦まじく……とはお世辞にも言えそうにないけど、サンオイルを塗っている。 「アサギくんって、日焼けしない人なんだ?」 「そう、この人日焼けしても赤くなるだけで、すぐ戻るんだよ。しかも焼けるたびに痛いってばかみたいに騒ぐから、学校プールでもこれ塗らないと入れないの。いっつも強気なこと言うくせに肌弱いなんて、ほんとばかだよね」 「……いいから早くやれ」 「あたしも手伝おうか?」 「「だめ」」 わぁ、声が揃った。すぐに2人して、やっぱり一緒にげんなりした顔をした。 「ルカちゃんには、後でぼくが塗ってあげるから」 「!?」 「あ、ううん平気。今日の朝、日焼け止めを家でつけてきたから」 「背中とかも?」 「背中は塗ってないけど……別にいいよ」 「だめだよ、跡がついちゃう。兄ちゃんが終わったら塗ってあげるから」 にっこり笑顔で言われて、つられてあたしも笑顔を返してしまった。 するとすかさずアサギくんが、おい、と叫んだ。 「シアン、いい加減にしろ、変態かおまえは!」 「なに? ぼくはただルカちゃんに日焼け止めを塗るだけだよ。スケベな想像してんのは兄ちゃんだろ」 「! てめ……ッ」 はい終わり、とアサギくんの背中を叩き、べちんっと大きな音を立てた。 アサギくんはうめいた。 「んじゃ、日焼け止め買ってくるよ」 「あ、シアンくん、お金!」 「あーえっと、そっか、じゃあ後でもらうから」 ひらりと手を振ってシアンくんは売店へ歩いていった。 残されたあたしとアサギくん。 ……だけどアサギくんは、ペットボトルのお茶を飲むばっかりで、一っ言も喋ってくれない。 「あ、アサギくん?」 「……なんだよ」 「えーっと、あの、あのさあ」 うわー、まだなんか怒ってるみたいだ。 「き、今日って……なんで来れなかったのに、来れた、の?」 おずおずと聞いてみると、大げさに、ため息を吐かれた。 えっ、あたし変なこと聞いちゃったかな!? 「そのことだけど、おまえ、ほんとに気づかなかったの?」 「え?」 気づくって何に? 何のこと? するとアサギくんは、不機嫌そうに眉をしかめる。 「あいつがおれの携帯使って、おれの振りして勝手に返事してたんだよ」 「……は?」 「大体、すぐ気づくだろ。おれがメールにハートやら星やらつけるわけねーじゃん」 「あっ」 そういえばそうだ。普段アサギくんからのメールは大体一行。(しかも最後に『。』もない) なのに今日の予定を決めるときだけは、やたらと長くて、しかも(^3^)ノ~~vな顔文字までついてたっけ。 よく考えると、確かにアサギくんにしては変だったかもしれない。 ただ、メールをしていて思ったのは。 「な、なんか今日のアサギくん、やけにかわいいなぁくらいにしか……」 「……やっぱばかだな、おまえ」 明らかに呆れかえったため息をつかれてしまった。うぅっ。 「ご、ごめんなさい」 「謝ることじゃねーだろ。なによりあいつが勝手に携帯使ったのが一番悪いんだし」 「でも……」 「もういいって」 「……じゃあさ、アサギくんはそれに気づいて、わざわざ今日ここまで来てくれたの?」 「!」 「それってもしかして、あたしを心配して……?」 ついっとアサギくんは目をそらした。 「んなわけねーだろ。心配するほどの色気もないんだし」 「! ひ、ひどーい!」 びっくりして大声を出すと、アサギくんはふっと笑った。 うっ。 アサギくん、やっぱり卑怯だ。 言葉遣い悪いし、乱暴だし、怒りっぽいし。 全然優しくなんかないのに、ほんとはすごく優しくて。 たまにこうやって不意打ちみたいに笑う。 その顔は、多分シアンくんより、他のどんな男の子よりも、一番魅力的なんだ。 久しぶりにときめいて、慌ててほっぺたを押さえた。 「? 何してんだよ」 「な、なんでもない、です」 「おまたせルカちゃん、って、あれ、何してんの」 シアンくんも再登場。2人そろって胸を打たれたあたしを訝しげに見る。 「……兄ちゃん、またなんかエロいことしたんじゃないの?」 「! ちげーよ! しかもなんだ、また、って!」 「なんかしたことありそうな顔してるし。まあいいや、はいルカちゃん、日焼け止め買ってき──」 シアンくんが言う前に。 日焼け止めはシアンくんの手から奪い取られ、ひゅーって感じで、円を描いて飛んでいった。きらーんっ。 「あーーーー!!!!」 「さて、プール入るか。でも人多くて気持ち悪いな。どうする?」 「アサギくん、なんかね向こうの方が空いてるらしいよ」 「そっか」 「こぉのくそ兄貴ー!!! うわー高かったのにぃーー!!」 「これで携帯のことは許してやるよ」 「ご、ごめんねシアンくん」 「だから兄ちゃんのこと嫌いなんだ……わがままだし、横暴だし、ルカちゃん独り占めするし……最低だもぉ……」 わなわなと震えるシアンくん。 そんなシアンくんを見て、アサギくんってば意地悪だから、笑ってる。 なんか、あたしまで笑えてきちゃったよ。 笑いながら、あたし、ちょっとアサギくんの手を握る。 アサギくん、一瞬驚いたようにあたしを見たけど。 ゆっくりゆっくり、たどたどしいけど、握り返してくれた。 「大好きだよ、アサギくん」 「…………」 |