「そう。」 光希はにっこり笑うとまたピアノの前に座った。 もっと別の反応を予想していた雪野は「あれ?」と思いながら光希の行動を目で追っていた。 ピアノの前で指をほぐしていた光希は突然ある曲を弾き始めた。 「あ...」 それはとある合唱曲(の伴奏)で、雪野の中学では毎年卒業式で歌われているものだった。 (といっても"別れ"や"旅立ち"を歌ったものではないのだが...) 「知ってるでしょ、この曲。」 「あ、はい。」 「よかったら歌ってみない?」 「え...」 雪野は中学を卒業してから、正確には中3の夏に合唱部を引退してからまともに歌っていない。 この曲はわりと音が高いのでそんな状態で、おまけに発声練習もしていなくてまともに歌えると思えなかった。 「いいじゃない。ほかに誰も聞いてないし。お遊び、お遊び。」 光希はいたずらっぽく"にーっ"と笑った。 確かに光希の言うことも一理ある。 それに、光希のピアノは雪野にとってとても魅力的だったので、いっしょに歌ってみたいと思わなかったわけではないし...。 「じゃあ、お願いします!!」 雪野がぺこりと頭を下げると、光希はまた最初から伴奏を弾き始めた。 本当は混声四部の歌だったのだが、雪野は基本的にはソプラノを歌い、時にはほかのパートソロも歌ったりした。 歌いながら、雪野は中学時代の合唱部のことを思い出していた。 そして、家に帰るとその日練習した曲をまたくり返し歌う雪野にほほえむ母とあの人の姿を...。 「すごいじゃない!!」 伴奏を最後まで弾き終えた光希は雪野にきらきらした目を向けた。 「今のままでもうちの部員に全然負けてないわよ。」 「え、そんなことは...。」 いくらなんでも合唱部員がこのセリフを聞いたら頭に来るだろう、と雪野は思った。 毎日の発声練習などの積み重ねがとても大事なことは雪野にもわかっているのだ。 「で、ひさびさに歌ってみてどうだった? 自分としては」 「た、楽しかったです...」 そう言ったら光希がまた勧誘してくるかも、と思ったが雪野はとても反対のことを言うことはできなかった。 「そう? じゃあ、よかったらまた"セッション"してね。私、前田さんの声、好きよ♪」 「ありがとうございます...」 自分にとっては本調子でない声を正面きって「好き」と言われて雪野はめちゃくちゃてれてしまった。 そんな赤くなって縮こまった雪野を光希はにやにやと見ていた。 「あ、そろそろ予鈴鳴るね。」 光希は腕時計を見るとそう言った。 レッスン室は完全防音でチャイムの音も聞こえないので、光希は休み時間に使うときはこまめに時間をチェックしているのだ。 「もう教室に戻った方がいいわよ。今日はどうもありがとう。」 「あんなんでよかったんですか?」 雪野としては肝心な話をろくにしてないような気がするのだが...。 「うん。こちらがほしい答えはちゃんともらったし。思わぬ"美声"も聞かせてもらったしね。」 そう言ってウィンクする光希に雪野はまた赤くなってしまった。 「それじゃあ、失礼します。」 真っ赤な顔のままぺこっとおじぎをすると雪野はレッスン室を後にした。 ピアノの前に座った光希は笑って手をふった。 「光希。」 レッスン室のカギをかけていた光希に声をかけてくる人物がいた。 「おや。」 光希は音楽室の入口にいるその人物を見て軽く笑った。 「そっちから話しかけてくるなんてめずらしいね。」 「あいつに何を言った?」 「あなたが心配するようなことなんて何もありませんよ。」 光希はわざとていねいな口調で言い、ちょっといたずらっぽく"にっ"と笑った。 「...」 光希は何も言わずに立ちすくんでいるその人物の横を通り過ぎると、振り向かずにあいさつ代わりに片手を軽くあげた。 「早く戻らないと授業始まっちゃうわよ、天。」 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ というわけで"光希編"終了です。(と言っても光希、まだまだ出てきますが) もうちょっとで"最初のシーン(1)"につながります。 (でも続きの進行が停滞気味...^_^;) [綾部海 2003.11.13] |