BEFORE DAWN
11

俺の話を聞いてまゆ先生はほっとしたような顔をした。
「なんだぁ。"人殺し"とか言うからびっくりしちゃった。」
「でも...俺が母さんを殺したようなもんです...」
俺はソファの上に座ったまま自分のひざをぎゅっとかかえた。
まゆ先生は自分のマグカップをガラステーブルの上に置くとガラステーブルを少しずらして俺の前にぺったり座った。
カーペットの上に座った先生は上目遣いに俺の顔をじっと見つめた。
俺はドキッとしてなんだか目を離せなかった。
「酒井くんは優しいね。」
「え?」
突然のまゆ先生の言葉に俺は戸惑った。
「そんな...俺が優しい訳ないじゃないですか...」
「どうして?」
「親とか友達とか傷つけて平気な顔している人間が優しい訳ないですよ。」
すると、先生はくすっと笑った。
「ほんとに"平気"な顔している人はたぶん相手を傷つけていることにも気づいてないんじゃないかな。」
そう言いながらまゆ先生は俺の前髪をふわっとなでた。
「でも、酒井くんは違う。前と変わらない、明るくて優しい男の子だよ。」
「俺が?」
思わず口をついて出た俺の言葉に先生はとても優しい表情になった。
「少なくとも先生の前ではそうだよ。最初はちょっと元気ないかなと思ったけどすぐに1年の頃と同じ酒井くんになった。」
俺はまゆ先生を見つめたまま黙っていた。
「たぶん先生は"お母さんのこと"知らなかったからじゃないかな。よけいな気使わなくてよかったから。」
...そうかもしれない。
親父や保たちに対しては行動する前に考えるクセがついてしまっていたが、先生に対してはその準備ができていなかったせいか何も考えずに自然に行動していた。
「先生にはああやって普通にできたんだから、みんなにもできるんじゃないかな。冷たい態度とったことだってきっと許してくれるよ。」
「でも...俺ひとりだけしあわせになるなんて...」
「"ひとり"じゃないよ。酒井くんが前みたいな明るい酒井くんに戻ってくれたら、お父さんも友達もみんなしあわせだと思うよ。」
いままで俺が自分に言い聞かせていたことをまゆ先生は知恵の輪のようにほぐしてしまった。
でも、やっぱり...。
黙ったままでいる俺の目を先生はさらにじっと見つめた。
「お母さんの事故のこと、まだ気にしてる?」
俺は無言でうなづいた。
まゆ先生は軽く息を吐いた。
「...あのね...えっと...」
まゆ先生は言葉を選んでいる様子で困った顔で俺から目をそらした。
そして、もう一度息を吐くと、俺に真剣な目を向けた。

「お母さん、きっと酒井くんが無事でよかったって、事故にまきこまれなくてよかったって思ったんじゃないかな。きっとそれがいちばんうれしかったと思う。」

その時、ふいにまゆ先生の目からはひとすじの涙がこぼれた。
俺はその涙がとてもきれいだと思った。目が離せなかった。

「そして、酒井くんといっしょにいられなくなったことをお母さんも申し訳ないと思ってる。それから、自分のために酒井くんがいろいろ無理したりあきらめたりしているのを悲しく思ってるんじゃないかな。」

それはいままで親父やいろんな人たちに何度も言われてきたことだったけれど...その時は「そんなことない!!」って思ったのに、どうして今はそう思わないんだろう...?
どうしてまゆ先生が言葉にするとこんなに"しみて"くるんだろう...?

俺は何も言えないまま、まゆ先生を見つめていた。
突然、まゆ先生は一瞬驚いた顔をすると、すぐに笑顔になり、右手を差し出し俺の頬に触れた。
あれ...?
最初、まゆ先生の手が濡れているのかと思った。
しかし、すぐにそうでないことがわかった。 濡れているのは俺の方だった。
俺の頬は涙で濡れていたのだ。
「ほら、魔法が解けた。」
まゆ先生はくすっと笑った。
俺はその言葉でさらに涙が流れるのを感じた。
まゆ先生のひとすじの涙が凍っていた俺の心を、俺の涙を溶かしてしまったのかのように、俺は涙が止まらなくなった。
まるでいままでの分もすべて流そうとしているかのように。

まゆ先生はそんな俺をあたたかい笑顔で見つめていた。
そして、俺は今こそ言わなければと思った..."ほんとうの理由"を..."この人のそばにいたい"というほんとうの訳を...。

「...俺...先生が..."まゆ"が、好きだ...」

涙まじりで自分としてははっきり言って"みっともない告白"であった。
でも、まゆ先生はうれしそうに笑ってくれた。

「うん。」

そして、まゆ先生の顔が俺に近づいてきて唇で俺の額に触れた。
そして、頬に。
そして、唇に...。


♭ ♭ ♭ ♭ ♭ ♭ ♭ ♭ ♭ ♭


目を覚ましたら目の前に顔があった。
俺は一瞬この状況に固まってしまった。
しかし、すぐに"たぶん(時間的に)先週の今頃俺が横にいたベッド"の中にいることを思い出した。
そして、同時に"昨夜のこと"を思い出して思わず顔が赤くなった。
..."あれ"、夢じゃないよな...?
俺の頭の中にはそんな言葉が浮かんでいたが、"あれ"が夢なら今、"この人"が俺の腕の中にいるというこの状況をどう説明すればいいのだろう?
俺はまだあどけない寝顔を浮かべているその人の頬を陶器の人形に触れるかのようにそっと手を重ねた。
「...ん...」
起こさないようにしていたつもりだったのに...!!
俺は内心大慌てでその手を動かせずにいた。
半分開かれた瞳はまだ焦点が合っていないようにも見えたが、確実にその目は俺を捉えていた。
「あ、あの...起こす、つもりじゃ...」
固まったまましどろもどろに話す俺に"まゆ"はにっこり笑った。
「おはよ。」
「お、おはよ...」
俺はまゆの頬に触れていた手を背中にまわすとぎゅっと抱きしめた。
落ち着くような、落ち着かないような...訳のわからない感情にドキドキしながら俺はまゆの髪に顔を埋めた。
「...あれ、まだ有効?」
「え?」
俺の腕の中で突然そうたずねるまゆに俺は"?"となった。
「"ここで暮らしたい"っていうの。」
...そういえば、昨夜そんなこと言ったんだっけ...俺ってほんとに考えなしだよな...。
「...うん。」
でも、"まゆといっしょにいたい、まゆのそばにいたい"という気持ちに変わりはなかった。
もちろん、まゆが"そうしてもいい"って言うのなら、だけど...。
「それじゃあ...まずどうすればいいのかな?」
「いいの!?」
俺は思わず身体を離し、まゆの顔を見つめた。
まゆは答える代わりにうれしそうに笑った。
俺はまたまゆの頬に手をやると唇を重ねた。
長いキスの後、まゆは俺の頬にちゅっと口づけるとにっこり笑った。
「で、どうする?」
考えてみたら、周りは俺たちが突然「いっしょに住みたい」って言っても「はいそうですか」と簡単に認めてくれる訳ないんだよな。
それを突破するのにまず越えなければならないハードルは...。
「やっぱ、親父だよな。」

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お待たせしました!!(「10」をUPしたの12月...; ̄ロ ̄)!!)
"これ"でほんとに晃平が救われたのか綾部、一抹の不安が残りますが...(なんか説得力なさそう^^;)
ちなみに"♭"の間になにがあったのかはみなさまのご想像におまかせします  ̄m ̄ ふふ
[綾部海 2004.3.9]

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