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a Frog in the Ocean Web Site

井蛙(せいあ)、大海(たいかい)を泳(およ)ぐ。

ここは、國語・日本語の問題について考へる、コーナーでございます。

言葉の《誤用》集



  正しいつもりでつかってゐても、じつは誤用であるといふことが、最近はけっこう多くございます。みなさま、御氣をつけください。


【誤用の目次】

【×】(かれが、コンピュータ・組織を)たちあげる  →【○】たてあげる 

【×】新年あけましておめでたう。→【○】(キュウ)(ネン)(昨年の意)あけましておめでたう。

【×】被害をうける→【○】をうける

【×】今日は、涼しいですね。→【○】今日は、涼しう(涼しく)ございますね。

【×】(先生がこのやうに)おっしゃってゐました。→【○】言って(又は、おっしゃって)をられました。




【×】(かれが、コンピュータ・組織を)たちあげる  →【○】たてあげる 


 
ちかごろ、「たちあげる」といふ言葉を、よく耳にします。しかし、この言ひ方、じつは間違ひなのです。

  「たちあげる」は、《たつ+あげる》と分解できます。《たつ》は自動詞。「柱がたつ」のやうにつかひます。《あげる》は他動詞。「荷物を網棚にあげる」のやうにつかひます。この點は、間違ひの無いところですね。ただ、さうなると、ここで早くも問題が生じます。御氣づきでせうか? 問題は、《たつ》といふ動詞にあります。

冒頭の例文に即して御説明いたします。《たつ》が作用をおよぼす對象は、「コンピュータ・組織」です。この點も、はっきり肯定していただけるとおもひます。しかしながら、《たつ》は先ほど、自動詞であると判定いたしました。自動詞とは、作用をおよぼす對象=目的語が存在しない動詞です。矛楯してしまひます。《たつ》は自動詞ですから、目的語が存在しないはずなのに、冒頭の例文では、「コンピュータ・組織」といふ、目的語が存在してしまひます。いったい、どこで間違へたのでせうか?

ボタンのかけちがひは、《たつ》といふ自動詞をつかってしまったところから生じたのです。ここは自動詞《たつ》をつかふのではなく、他動詞《たてる》をつかふ場面。ですから、「たちあげる」は誤りであって、「たてあげる」が正しいのです。「たてあげる」は、《たてる(他動詞)+あげる(他動詞)》と分解します。他動詞とは、作用をおよぼす對象=目的語が存在する動詞です。《たてる・あげる》は、目的語として「組織・コンピュータ」をもちます。

 

參考までに、「(先生が)たちあがる」といふ例文を、檢討してみませう。これは、正しい文章ですね。「たちあがる」は、《たつ(自動詞)+あがる(自動詞)》と分解します。《たつ・あがる》ともに、作用をおよぼす對象=目的語をもちません。まさに正しい用法です。

これにたいし、「(先生が)たてあがる」はどうでせうか? 「たてあがる」は、《たてる(他動詞)+あがる(自動詞)》と分解します。《たてる》は他動詞ですから、作用をおよぼす對象=目的語があるはずです。が、どこにもみあたりません。誤用であると結論づけられます。そもそも、「たてあがる」とは絶對言はないのですが、文法的にも誤りであることがわかります。

 

  一般的に言へば、日本語の複合動詞は、@自動詞+自動詞、或いは、A他動詞+他動詞の組合せがほとんどです。B他動詞+自動詞は、稀ながらあります。C自動詞+他動詞ペアは、まづ無いと斷言できます。(みつけた方、御一報ください。)なほ、冒頭の例文はこのペアですが、自動詞・他動詞ルールをやぶってをりますので、この例には這入りません。

 

【例1】  (生徒が、プールに)とびこむ・・・・・・跳ぶ(自動詞)+込む(自動詞)

【例2】  (先生が、椅子から)たちあがる・・・・・立つ(自動詞)+上がる(自動詞)

【例3】  (商人が、金を)かきあつめる・・・・・・掻く(他動詞)+集める(他動詞)

【例4】  (兒童が、椅子を)ひきずる・・・・・・・引く(他動詞)+擦る(他動詞)

 

  右4つは、分類@Aの例です。他にも、無數にあげられることでせう。

 

【例5】  (わらべ)らが、水を)かけあふ・・・・・・掛ける(他動詞)+合ふ(自動詞)

 

  右は、分類Bの例。他動詞《掛ける》の目的語は、「水」です。《合ふ》は、目的語として「水」をもつと考へられがちですが、さうではありません。《合ふ》は、「互ひに同じ動作をする状態」をあらはす單語であって、作用をおよぼす動詞ではありません。すなはち、目的語をもたないのです。じっさい、《合って》ゐるのは「童ら」であって、「水」ではありません。「水」を目的語にしたいときは、他動詞《合はす》をつかひます。

  なほ、念のため、この【例5】は正しうございますね。間違ひは、どこにもありません。なぜ、正しいのでせうか? それは、自動詞・他動詞ルールをまもってゐるからです。

 

  つまりは、自動詞・他動詞のちがひをわきまへないから、「(コンピュータ・組織を)たちあげる」のやうな誤用をおかして平氣な顏をしてしまふのです。英語をはじめとする外國語は、自動詞・他動詞を峻別します。日本人が英語を苦手とするのは、母國語を正しくつかはないがために、言語一般を正しくつかふ姿勢がやしなはれないからではありませんか。それ故に、きちんとした構造の外國語を前にすると、立ち往生してしまふのです。幕末・明治期・新しくは戰前まで、日本にも英語の達人がゐました。英國人以上に英語ができたといふ怪物まで、存在したのです。當時の日本人は、母國語を正しくつかってゐました。當時の映像には、おちついた物腰でしゃべるわらべたちが記録されてゐます。大人は無論のこと、相撲の力士達のやうに、學のあまりなささうな人々も、いま以上に上手な日本語を話してゐます。母國語を正しくつかふ姿勢が、外國語をも上達させてくれるはずでございます。母國語を正しくつかふ努力をしないでおいて、外國語だけ正しくつかはうと考へるのは、非常に横着な考へです。

  けふから、「たちあげる」とは言はないやうにしませう。言ってゐるひとをみつけたら、教へてあげてください。間違へることじたいは、恥づべきことではありません。間違ひを間違ひと氣づかないこと、それこそが、恥かしいのです。

(2012年6月30日 掲載)



【×】新年あけましておめでたう。→【○】(キュウ)(ネン)(昨年の意)あけましておめでたう。


 
あける(明ける)は、《終はる》の意味です。

 

【例】  @ 夜が明ける    A 斷食が明ける    B徹夜が明ける    C休みが明ける

 

  いづれも、《終はる》といふ意味であることがわかります。ですから、「新年明けまして」だと、新年が終はるといふ意味になってしまひます。終はったのは舊年(古い年、前の年)であって、新年ではありません。

 

これはまさに、《明ける》といふ單語の意味をしっかり把握しないまま、使ってしまった好例と言へませう。ちかごろは、アナウンサーまでもが、正月番組で「新年明けましておめでたうございます。」と挨拶します。かれらは、日本語のプロ、のはずなのですが・・・。

  英語を勉強するときは、辭書をひいて單語の意味をしらべ、正しく把握しますね。母國語になると、なぜこのやうにいい加減になるのか。一般人が間違へるのはまだしも、アナウンサーが間違へるのはNGです。アメリカCNNやイギリスBBCのアナウンサーは、英語を平然と誤用するのでせうか。まづきいたことがありません。かういふところにも、國民レベルの違ひがあらはれてしまひます。わたくしは、ほんたうに恥かしい。

(2012年6月30日 掲載)



【×】被害をうける→【○】をうける

 

  「被害」とは、《害を(かうむ)ことであって、「被る」とは《うける》とほぼ同義です。すなはち、「被害」と言ふだけで、すでに「害をうける」と言ひ切ったことになります。ですから、「被害をうける」だと、「害をうけることをうける」といふ意味になり、言葉の無用な重複になるのです

 

誤用といふには嚴しすぎますが、外國人ではあるまいし、日本人がこれをやると、いささか格好がわるうございます。漢字の意味をわきまへてゐないといふことが、ばれてしまふのですから・・・。

 

  なほ、英語には”dream a dream”のやうに、重複表現をする習慣があります。が、日本語にはありません。歴史的に無いわけですから、無いと斷言してよいのです。といふのは、言語の正誤判定の基準は、過去にもとめるほかはないからです。「犬は、なぜ犬といふの?」「りんごは、なぜりんごといふの?」と訊かれれば、「昔からそのやうに呼んできたからだよ。」とこたへるより、しかたがありません。

(2012年6月30日 掲載)