History of Moon Light Studio

 

このベージでは過去のMoon Light Studioの機材の紹介をいたします。

 

第1期 初めてのMTR 

初めてカセット4tr MTRを購入、友人からRolandのリズムマシーンTR-303を借りて
多重録音を始めるが、音の悪さに頭を抱える事に。またこの当時からNECのPC8801上で
Rolandのステップシーケンサー(後にcome on music)を使っていた。
音源はYAMAHAのDX7、FB−01、KorgのPoly800II


第2期 16ビットPCと音源 

音の悪さを打開するかのように各メーカーからPCM音源が発売され、
RolandのTR-707を購入、音源もD-110、TX81Zを追加。
PCはNECのPC98シリーズに UPする

 

第3期 Moon Light Studio発足 

慢性的なTr不足に頭を抱える日々の打破を考え、その衝動もありFostexのオープン16Trを購入
コンソールはSoundTracs(UK) Midi PC24を購入、この当時の国産のEQは補修用的な感じだったが、
外国製は音を過激なまでに作り込む事が出来る利き目が魅力だった、もちろん
ビートルズフリークとしてはイギリスの卓に魅了されたのも当然な事か・・・
このコンソールはMIDIでMuteをコントロール出来て当時としては先端性のあるものだったが、
マニュアルは全部英語(当たり前か)を理解するのに苦労してしまう。
この時にプライベートスタジオ「Moon Light Studio」を 発足!!
音源もRoland R8、U-220、YAMAHA DX7-IIFD、Korg DSS-1(サンプリングシンセ)、
P3(ピアノ音源)を追加、またMTRとの同期の為、(この当時は国産機では不可能だった)
PCからMacへ移行する。初めて購入したのがパフォーマーとMTPである。

 

 

当時はマスター用の2trオープンを買う余裕と置き場も無く、E-16のtrにステレオミックスを録音していた。
後に、VTR用のHi-Fi(PCM)、DATへと以降して行く。
写真に写っているのはPC98系のPC、5インチFDディスクが時代を感じさせる。
この後1度目の引っ越しを行ないMacに変わるが、MIDIの打込みやDSS−1のエデットの為
PCは残される。因に初めて買ったMacはSE/30だった。

 

第4期 曲作り、音作り

音源もKorg M1R EXを追加、Macもカラー・クラシックII、PM7100AVへとステップアップ、
この頃に高校時代の親友(例のTR−303やリッケンのコピーベースの持ち主)と
ボーカルを迎えて初代ERGを結成。オリジナル中心のユニットでテープオーディションや
ダンスホールでLiveをと地味ながら活動を開始。2525Packの前身もこの当時から存在しており
各音源とミキサーをラックにマウント、MIDIはYAMAHAのC1(シーケンスコンピューター)で
コントロールしていた。また第3期の莫大なローンの為、地元のフィットネスクラブのエアロビクス大会用
の曲のリミックの仕事を人伝てで頼まれ始める。最初はどうせと思っていたがハマる。
その当時としては低料金?(相場を知らずに)の為以来が殺到してしまう。SBS主催の静岡大会で
優勝、3位に入いる。TVで自分のミックスが流れた時はつなぎの粗ばかりが気になったのを憶えてる。
そんなこんなで3回も私の曲は優勝してしまい。全国大会でも6位以内入賞を2回達成、
東京方面からも仕事の依頼が舞い込むが・・・本業が忙しくて断る始末だった。
ERGも各自の仕事や私情により活動を停止する。

 

 

 

第5期 マージービーツに参加

引っ越しや機材の置き場で苦悩の結果、コンソールを売却してシステムの省略化を決断。
この時代は生のバンド思考とビートルズのバンドが演りたくなり
現マージーのMasaとYasuのバンドに雑誌の募集を見て
焼津までオーディションを受けに行き(いきなりスタジオでギターを弾きながら歌う)採用される。
ほぼ毎週焼津までMasaの隠れ家で練習。(大変だったけど楽しい時を過ごした)
この時はMTR(多重録音)は停止状態だった。またMasaの誘いでYukka(ELTコピバン)に参加する。

 

第6期 復   活

諸事情によりコラボレーションユニットのLAPIN AGILEを結成!!
オリジナルメインがお約束、またCD製作が個人レベルで行える時代になっていた為
自主製作アルバムを作ろうと言う事になり、レコーディングやジャケット製作などにも手を染める
老朽化した機材のため、まずコンソールにYAMAHAのPro mix 01をMTRもYAMAHAの8trMTR MD8
を新たに購入してレコーデングを開始。時代はアナログからデジタルに変貌していて試行錯誤を繰り返す。
Liveの事を考えてDTM音源のYAMAHAのMU2000EX、MU100R、Roland SC8820
ミキサーもRoland VM3100Proに変更(後にHDレコーディングに移行も含めて)
久しぶりのオリジナル&レコーディング曲が完成。

また同時期に、例のエアロビの優勝した女性から連絡があり、「復帰したいので
曲のリミックスをお願いしたいと」、何と言うタイミングなのか?1年前ならコンソールも無かったのに・・・
この頃はYukkaでもオリジナル製作の話しもあり一人分ならOKですよと引き受けた。
結果は静岡大会で復帰そうそう個人優勝、全国大会でも準優勝、日本代表でアメリカの世界大会へ
また、東京方面から再三の依頼があり、仕事をまわすので手伝って下さいと・・・LAPIN、Yukkaを抱えていて
お断わりしたが、諦め切れないらしく何度も、そこで使った機材、音源、音ネタ等(トップシークレットなんだけど)
詳しく教えて、納得していただき、世界戦用に手直しのミックスして私の仕事も終わった。


この時はオリジナル、レコーディング、ジャケット、CD製作、リミックス、Live、MIDIデータ製作と
余りのハードワークがたたり、時間的なプレッシャーから音楽製作に嫌気がさしてきた時でもある。
この事は各メンバーには話さずに何とか切り抜けようと思っていたが、慢性的睡眠不足と疲労の為
マージービーツ、Yukka、LAPINの脱退を口に出すようになり、メンバー各位には多大な迷惑をかける事になる。
事情を知ったMasaは焼津から仕事帰りに直接自宅まで説得に・・・、
この後も熱心なリーダーの居るマージービーツとYukkaに在籍することになる
これ以降ライブ活動のスパンを長めに取るようになり、時間的にも何とか余裕が出来るようになる。

 

 

この頃のレコーディングスタイルは、MD8とコンプリミッター、MIC、複合エフェクターをスタジオに
持ち込み、Voのレコを行なう。ミックスはMD8のダイレクトアウトからPromix01に立ち上げ
内臓&外部エフェクターやフェーダーなどのオートメーションをMIDIでMacに書込みして
最終的にコンピューター・ミックスを実現していた。
MD4及びMD8はミキサー部分がアナログの為か、デジタル臭さや変なキャラクターが無く、
どちらかと言うと素直な音が気に入っている。

 

そして現在のシステムに

Moon Light Studioの由来は

音楽仲間が休日に集まりレコーディングする、そしてミックスやMIDIなど
の編集は仕事の合間(夜)に 行なう事から・・・(本音)

スタジオ缶詰め状態から気晴らしに外に出ると、「あら月の光りで闇が照らされてる!」
太陽の日ざしほどではないけど、薄明かりでもリスナーにお届け出来ればと・・・(立て前)

 

これからもM.L.Studioの作り出す音楽を宜しくお願いいたします。

K☆ZU'

 

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