平成14年 5月25日
22:30 私はいつものように日記を書いて、日記に載せる写真の加工をしていた。
この時すでに犬達は寝かせるためにベランダに出ていた。するとベランダから聞き慣れない
鳴き声がする。またケンカでも始まったのだろうか?
そっとベランダを覗いてみる。ガラス越しにチョコの姿は確認できたが、チョビがいない。
ガラスを開けると、一番遠いところにチョビはいた。
おかしい。 いつもなら鍵を開ける音で真っ先に寄ってくるはずなのに呼んでも来ない。
慌てて家の中にチョビを入れた。しかし、この時すでに立つことが出来なかった。
急いで動物病院に電話をすると、先生は会合で出張しているとのこと。連絡を取ってもらい
戻ってきてくれることになったが、1時間はかかるだろうと言われた。
その間にもチョビの動きは少なく、弱くなっていった。
寝ていた翔を起こし、チョビが大変だよと伝える。
舞紗はわかっているのか、いないのか、ずっとチョビ、チョビと呼び続けていた。
私は絶対に大丈夫なんだと自分に言い聞かせ、見て見ぬふりをし日記を書き終えた。
先生からの連絡が入らない。すごく早いような遅いような時間を過ごした。
23:00 舞紗の呼びかけに目で反応していたチョビが眠るように動かなくなった。まだ
間に合う、そう信じて先生を待つ。
動かなくなったチョビを、何度も何度も呼んでみた。
23:20 私の口から出た言葉は、「先生に謝ろう。」
先生の携帯電話に電話をし、状況を説明し、「迷惑をお掛けしてすみませんでした。」そう
伝えるのがやっとだった。その時、先生はもう病院まで目と鼻の先のところまで戻ってきて
くれていた。本当に申し訳ないことをした。しかし、先生は優しい口調で、「力になれずに
すみませんでした。なんとか間に合ってくれと思っていたのに・・・・・。辛いでしょうが
頑張って。」そう言って下さいました。
チョビは、平成10年3月6日から平成14年5月25日までの4年2ヶ月19日の人生に
幕を下ろした。
私との生活は、平成10年4月29日からの4年と26日であった。


26日
チョビとは少しでも長い時間一緒にいてあげたい。しかし、前々から入っていた用事がある
ため出掛けなくてはならない。
そっとチョビを覗いてみる。あり得ないこととはわかっていながらも、もしかしたら起きあ
がって餌の時間を待っているのでは、そんなことが頭をよぎる。
チョビは寝ているように見えた。名前を呼びながらそっと頭をなでると、冷たかった。バリ
ケンの戸をはずし自由にしてあげた。
4年間を振り返り、後悔するばかりの1日だった。怒ってばかりだったね。我慢させてばか
りだったね。もっと自由にしてあげれば良かった。もっともっと遊んであげれば良かった。
今となっては・・・・・。


27日
届けを出さなくては・・・。3枚の鑑札を並べて呆然とする。
いつかは減る。そう頭ではわかってはいても、増えることはあっても減ることはないような
気がしていた鑑札・・・。
もう少しそばにいたい。そんな私の勝手な気持ちが、今もなおチョビを家に寝かせてしまっ
ている。
私は昨年7月に突然、父を亡くしている。そして、チョビが眠る11日前には祖母を亡くし
葬儀を終えてまだ1週間である。神にすがり後は頼みますと願う一方で、神を恨んだ。
私達家族からこれ以上何を奪うつもりかと・・・。
辛くても、涙が出ない自分に気づいた。


28日
明日、チョビの体はなくなる。
私の身勝手な感情で、今日まで一緒にいてもらったが、もう限界のようだ。
最後の最後までチョビには我慢させてしまった。
覗き込んだチョビの目からは涙が流れていた。
チョビ、本当にごめんね。家に来たあの日から今まで、結局私のわがままに付き合わせてし
まったね。イヤと言えないお前をずっと振り回してしまったね。
家に来た日、不安で泣きじゃくるお前を抱いて、夜中に散歩に出掛けてくれた本当のお前の
ボスじぃじが、ちゃんと向こうで待っててくれるよ。
何も心配することはないからね。いっぱい、いっぱい遊んでもらえよ。


29日
15:00 炉の点火スイッチが押された。
もう2度とチョビの姿を見ることは出来ない。
翔も舞紗もみんなで炉に向かい手を合わせた。2歳にならない舞紗が自分でお線香を立て、
手を合わせ「南無南無」と言う。その姿を見て、この年で辛い想いをさせ過ぎてしまったの
ではないかと考えた。
チョビよ、これで今日からお前は本当に自由だ。
引き綱もない、首輪もない、自由に好きなところを走り回れ。
今まで本当に、本当にありがとう。
お前は私の自慢の犬だったよ。
チョビ、さようなら。