頑張れ! エース


2007.8.26
父:ドルチェ 母:プラネ
1頭目が産まれてから、12時間も経過してからやっと産まれた可愛い子。
思いもしなかったブルーの子が産まれたと、みんなの喜びは大きかった。
元気な4頭兄弟の誕生!


2007.10.10
兄弟の内の2頭が巣立っていきました。
本当は、4男が一番早く巣立つ予定だったけど、4男を見ていて
????? と、思わせる気になるところが有ったので居残り組です。


2007.10.15
4男を残し、3頭はみんな巣立っていきました。


2007.10.25
4男の居残り決定!
名前はエースに決まりました。


2007.11.8
エースを我が家に残した本当の理由とやらは影を潜め、立派に成長しています。
将来が楽しみになってきた。


2007.12.1
エースを散歩に連れ出すようになりました。
でもエースは、ほとんど歩いてくれません。
とても性格がおとなしい、恐がりなのか?


2007.12.16
エースをシャンプーしました。
その後から、異変に気づき始めました。
視点が定まらないような目つき。そして、手の甲を床に着けて立っている。
こんな行動、今までには無かった。
嫌ぁ〜な空気、動揺した。


2007.12.17
病院に連れて行きエースを預け、検査結果が出て電話が鳴るのを家で待った。
その間、シャンプーした私のせいなのか? ママは拭き方が悪かったのか? と、
2人でかなり落ち込んだ。

検査の結果、脳内神経の異常が疑われると診断され、その先は何を言われたのかあまり覚えていない。
脳内なので大学でMRIやCTによる検査を受けた方が良いと言われたが、すぐにでも何とかしたくて、
可能性を求めて薬の投与を御願いした。
この薬の投与により、症状が改善されると信じた。

布団に入り枕に頭を乗せて寝ているエースの姿は、今までと変わらない。
エースを抱き心配そうに 「大丈夫?」 と私に聞きながら眠りにつく子供達に、私は 「大丈夫!」 と
嘘をついた。


2007.12.22
薬を投与し始めてから1週間。再度、検査を行った。
症状が改善されているという言葉を貰えると信じていたが、そうはいかなかった。
検査の結果は、中枢神経に異常の疑いがあり、症状は進行している。

エースは大好きなボールに反応しなくなった。あまり動かなくなった。


2007.12.23
少しでも可能性があるのならと思い、紹介された別の病院に行ってみた。
今のエースには、長い移動も辛いのだろうが、私のわがままに付き合って貰った。
誰よりも私が、エースの病気に納得したかったから。

そこでもエースを預け、検査の終了を告げる電話を家で待つ事になった。
電話が鳴り、検査が終わった事と、水頭症が疑われる事が告げられた。
その時私は何かをしていたわけではないが、頭の中では早く迎えに行ってあげなきゃ、
そう思いつつ、なかなか病院に迎えなかった。
今思い出しても、とても嫌な、気持ちの悪い感覚だった。

病院に着き先生の話を聞いている時、目からあふれそうになるものがある事に気づいた。
私のような大男が、何かを必死にこらえているのを先生も感じ取ったようで、
先に薬の飲ませ方を説明しますと言って、一度その場を離れていった。

待合室に座っていると、予防接種を終えた子犬が、大きな高笑いの若い2人に抱かれて出てきた。
その2人からは急に小声で、泣いてる?と、聞こえてきた。
正直言って、悔しかった。なんでうちの子ばかり?と、悔しい気持ちで一杯だった。

私は覚悟を決めた。
その覚悟とは、間違っても死への覚悟ではない。断じてない。
これから続く、長く長く続く、続けて行かなくてはいけない闘いへの、生への覚悟だ!
この先、私とエースはいくつも、何度も選択を迫られるだろう。
その時に、決して生を諦めない覚悟だ!

エースは餌を食べたいけれど、それがどこにあるのかわからない様子だ。


2007.12.24
エースの目は、もう見えていないのかもしれない。
トイレの為にケージに入れると、四方にぶつかりながら歩いている。
1日のほとんどを寝て過ごすようになった。


2007.12.25
今日は寝不足だ。
昨夜はエースに1時間おきに起こされた。
今までは、布団に入れば安心して寝ていたのに、朝までトイレが我慢できないのか?
これまでとは行動が明らかに違う。
症状は進行してしまっているのか?


2007.12.26
エースの目は、もう見えていないと思われる。
眠りから覚めると、大きな声で泣くようになった。
元々は目が見えていたエースにとって、何時間眠っても夜が明けない闇の世界は、
不安で一杯なんだろう。
抱き上げ、声をかけるとまた眠ってしまう。


2007.12.27
エースの歯が生え替わりました。
成長している事を感じ取れる出来事でした。

液体の薬は何とか飲んでくれています。
餌はまるで食べてくれなくなりました。
柔らかくして、無理にでも口に入れようとするのですが、口を開けません。
何とか口の中へと思い、歯に指をかけこじ開けた時、噛まれました…。
怒る気にもなれません。今指に感じる痛みを、いつまで感じ取れるのか? そんな事を考えました。
あまりにも症状の進行が速く、おどおどするばかり。
朝起きて、呼吸を確認するのが日課になりました。


2007.12.28
朝、目を覚ますとそこにエースは立っていた。
今日は少し体調が良いのか?
しばらくすると、大きな声で吠え続けた。
どこか痛いのか? 辛いのか? 怖いのか? 淋しいのか?
マイが抱き、なだめると眠ってしまった。

何かを食べさせなくては。
フードを柔らかく、そして細かくし、流動食を用意した。
薬を与えるスポイトで強引に食べさせた。
少しだが、自分でも口を開け、食べてみる気になってくれたようにも思う。
食べたい気持ちは有るようだ。


2007.12.29
寝る・鳴く・寝る・鳴く この繰り返し。
目は全く見えていないようだ。 耳も聞こえていないと思われる。
何とか餌を流し込み、明日は診察に行く予定。


2007.12.30
再診の為、病院に行って来た。
あまり状態が良くない事は、私が一番よくわかっている。
食べる事が出来ない状況で、体重が激減している。
診察室に入り、即入院が決まった。
一緒に年を越したかったが、かなわないのかもしれない。
しかし、生き抜く為にはこの選択しかなかった。


2008.1.5
新年を迎え、また一緒に家で過ごす事を想像していたのに…。
また一緒に寝ようと思っていたのに…。
6日間の入院生活の末に出た答えは、もう2度と家には帰れないというものだった。
先生達の想像をはるかに超える進行の早さだった。
起きあがると、その場をくるくると回り続ける。
そして突然、奇声を上げる。
私は何度も聞き返したが、退院させる事は出来ない。 それが答えだった…。


2008.1.6
自分では餌を食べる事が出来ない。
ペースト状にした餌を口元に近づけると、舐めているようにも見える。
エースは、生きようとしているのか。

不安はないのか? 痛みはないのか? 苦しみはないのか?

点滴による栄養で、生かされている状態だと説明される。
痛みや苦しみどころか、今のエースには何の感情も無い状態だと知らされる。
もう、私を認識することも出来ないのか?


2008.1.7
退院して家に帰ってくる事も出来ない、生かされている現状を
自分の中でどう理解するべきなのだろうか。
家に連れ帰る事は、生の諦め。
しかし、いつまでも病院で生き続ける事がエースの幸せだとも、とても思えてこない。
絶対に生を諦めないと格好の良い事を言った私だが…。
生きてさえいてくれればと思っていたが…。
死というものと正面から向かい合う時が来たのかもしれない。


2008.1.8
いつまで悩んでいても、どれだけ考えても答えは出ないだろう。
この世に産まれた、エースという名の犬。
私の元に辿り着いてくれた、小さな小さな可愛い家族。
この子の死期を私が決めてしまって良いのだろうか…。
自然界であれば、既に命はなかったのかもしれない。
しかし、エースは私の元に来てくれた子。
エースの事を考えて決めなくては…。


2008.1.9
私は私の頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え、そしてまた浮かぶその言葉を
ここでは書かない方が良いと思っていた。
私は、その言葉を使う事で、誰かに批判される事を恐れていたのかもしれない。
しかし、その言葉を、その行為を真剣に考えているのが本当の私だ。
安楽死 とても重たいこの言葉が、今の私にはとても重要な選択肢の1つだ。
もしもその選択を私が出来るのであれば、早いほうが良いとも言われている。
今のエースは、私が信頼する人達に、私の事を気にしてくれる人達に、そう言わせてしまうほどの
そう言わざるを得ないほどの状況という事なのだ。


2008.1.10
・・・・・。


2008.1.11
18:00 仕事を終え帰宅。
    外は雨が降り出した。
    口数は少なく、会話にエースの名前は出ない。
19:00 突然左手に痒みを感じ、見ると真っ赤に腫れている。
    痒みは痛みに変わり、手は重くしびれ始めた。
    エースは私に「病院に来るな。」と言っているのか。
19:20 私は1人、病院に向かう。
    私が「言ってくる。」と言うと、ママは「はい」とだけ答えた。
    進むに連れ、手の痛みは消えていく。
    あの腫れは、何だったんだろう。
19:45 病院に到着。
    片付け、掃除の終わった病院に私1人だけ。
20:00 約束の時間。
    診察室に入る。
    入院してから12日ぶりにエースを抱き上げた。
    体は細く、軽く、骨が痛かった。それでも、以前と変わらないぬくもりを私にくれた。
    しばらくの間、2人で会話した。返事が反応が無い会話が淋しかった。
    先生との会話の後、先生の「注射針を刺します。」という言葉に私はうなずいた。
    連日の点滴のせいで細くなった血管には、なかなか針が刺さらない。
    再度先生から、「では、良いですか?」との言葉に私はうなずくしかなかった。
20:25 私は、私が名付けたエースという子犬の命を奪った。
    呼吸が止まり、鼓動が弱まっていく。
    私の目の前で、私の大切な子が、私の判断で短い生涯を終えた。
    泣いた、久しぶりに泣いた。
    私のような大男が泣く姿を、あまり人には見せたくない。
    必死にこらえようとしても、涙が勝手に出てきて止まらない。
20:45 エースを抱え車に戻り、周りを気にせず涙を流した。
    悲しみの涙。そして、悔しくて泣いた。
    治してあげる事が出来なかった悔しさ。
    何もしてあげる事が出来なかった悔しさ。
    悔しくて、悔しくて、何度も何度もエースに謝った。
    御世話になった方に報告しようと電話したが、声が出なかった。
21:15 エースが家に戻ってきた。
    外の雨は強くなっていた。
    そんな事にも気付かず、悲しさと悔しさを胸に車を走らせていた。

4ヶ月と16日という、あまりにも短い生涯を終えたエース。
今の私には、謝る事しかできない。


2008.1.12
腰が痛い、首が痛い、肩が痛い、頭が痛い、気持ちが悪い…。
1日中、体調が…。
時々頭に浮かぶ、エースの目。
最後に抱き上げ、何度も目を合わそうとしたのに、エースのうつろな目は
どこを見ているのかわからなかった。
なのに、本当の最後になってエースの左目は確かに私の目を見つめていた。
呼吸が止まるその時、私を見つめていた。
その時の、何かを言いたげな、淋しそうな目が、何度も何度も頭に浮かぶ。
もっと、もっと生きたかっただろう。
結局今日も悔しい思いで、謝るばかりの1日になってしまった。


2008.1.13
人間って、こんなに泣けるんだなぁ…。
皆さんから寄せられる言葉に泣き、元気だった頃を思い出して泣き…。
何度も何度もこみ上げてくる思い。
エースは生きる為にうちを選んだんだろう。なのに私は…。

11日の夜、子供達に「エースが死んじゃった…」と言うと、子供達は「死んじゃったんだ?」と
思いの外、あっけらかんとした返事をした。
泣かれたらどうしようと思っていた私は、その言葉に救われたような、ちょっと複雑な思いだった。
ただ息子にだけは、初めから全ての真実を話していた。
息子はいつもと違う私の態度に気を使ったのか、「仕方ないよ。」と一言だけ言って背を向けた。
そして今日、帰ってきたエースを初めて見せた。
息子はエースの頭を撫でながら、
「冷たいね。綺麗にして貰ったんだね。寝ているみたいだね。」と私に話しながら、
涙ぐむ目を私に見られないように、目をそらせた。
私にはその態度が、嬉しくもあり、辛かった。


2008.1.14
私もだいぶ落ち着いた。
もうすっかり泣き尽くした。
今日からはエースにお礼を言う事にする。
うちで産まれてくれて、ありがとう。
うちの子でいてくれて、ありがとう。
いつも笑顔を、ありがとう。
たくさんの事を教えてくれて、ありがとう。


2008.1.15
エース、本当の旅立ち。
AM10:00 私の手元を離れ、エースという存在が消える。
もっといっぱい、一緒に走りたかったね。
いつかまたどこかで、一緒にいっぱい遊ぼうね。
さようなら、エース!



応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。
発病から1ヶ月、あっという間の出来事でした。
このページも今日で終わりにします。
お付き合い頂き、ありがとうございました。