R1.5.9~11

九大本線全線復旧! 「湯布院の森」

湯布院・黒川温泉

金鱗湖は(明治初期の儒学者・毛利空桑が湖で泳ぐ魚の鱗が夕日で金色に輝くのを見て金鱗湖と名付けた。清水と温泉が流れ込み、年間を通して水温が高い珍しい湖で、冬の朝には霧のベールに包まれる。)湯布院盆地名物の朝霧の源ともいわれている。湯布院盆地は古くは大きな湖であったといわれ金鱗湖はその名残であるともいわれる。

羽田空港10:30の便で福岡空港に12:25に着いた。地下鉄で博多駅に移動して「ゆふいんの森5号」に乗り込む。ゆふいんの森号は博多~別府・大分駅鹿児島本線、久大本線、日豊本線を経由して運転する特急列車である。

バスで黒川温泉に向かう。今日の宿の「優彩」に入り、湯めぐりに出かける。黒川温泉は熊本県の奥地、大分県との県境にある温泉郷。露天風呂巡りの温泉手形を持って宿を巡る。「一軒で儲けるのではなく、地域全体で黒川温泉を盛り上げたい」という思いから生まれた。温泉手形は3軒までこれを見せると入れる仕組みになっている。

ホテルに戻り夕食をいただく。「豊後鯵会席」鯵のお造りや団子汁が出た。「蒸しアワビ」をオプションで頼んだ。御飯が美味しかったので「玖珠米」2kg土産に買い求めた。

沿線の景色を見ながらくつろぐ。鳥栖駅ではサガン鳥栖の巨大なサッカー場が見えた。「ゆふいんの森号」のパネルを持ってカメラ撮影をするサービスがあった。大分特産のゆずの入ったアイスクリームを食べた。ゆずの香りとつぶつぶがおいしかった。

湯布院の散策に出かける。駅前の「宇奈岐日女(うなぎひめ)神社」の鳥居を過ぎて白滝橋を渡り湯の坪横丁を歩き「金鱗湖」まで散歩をする。17時を過ぎていたのでお店は閉まっていたり、閉店準備をしていた。

藁ぶき屋根の「にしむら」の露天風呂に入る。人がいなかったのでカメラに収めた。丁度良い湯加減でした。一人でゆっくり入れました。

出発が10時と遅かったので「宇奈岐日女神社」まで散歩する。露天風呂に「宇奈岐日女神社からの水」と書かれた湧水があり飲めるようになっていたので、行ってみたかった。20分ほど歩いて神社に着いた。

露天風呂は夜になってしまったので湯布岳展望とはいかなかった。

湯布院駅

湯布院駅16:44に着いた。駅前から由布岳が良く見える。荷物をホテルの車に預けて徒歩で湯布院温泉「山水館」に入る。「九州地麦酒発祥の地」の看板がかかっている。部屋からも由布岳が良く見えた。

バスでホテルを出発。由布岳の展望がすばらしいお土産屋さんに寄る。
大分県由布市にある活火山で標高は1583m。東峰と最高峰の西峰からなり、円錐形をしていることから豊後富士と呼ばれる。3つの登山口があり、登山者が多いのは中央登山口である。

日田豆田町に移動する。酒蔵の見学と天領の町を散策する。
慶長6年(1601)小川光氏が丸山城を築城の際に、城下町として建設された「豆田町」は江戸時代初期から天領となり、九州の経済、文化の中心として栄えた。碁盤の目のような町並みに旧家や資料館が立ち並び、近世後期の町人、商人町の面影を残す貴重な地区である。平成16年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。

3日目

阿蘇の外輪山を抜け、熊本に入る。地震の影響でまだ開通していない道もあるようです。

廣瀬資料館」や「草野家」は平成の大修理ということで入れなかった。廣瀬資料館は淡窓の生家。廣瀬淡窓は江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。

遠思楼 淡窓の書斎 瓦葺2階建て

歴史文化体験施設「湧々座」に入る。「被災直後の熊本城」「天守閣・本丸御殿、宇土櫓内部」のビデオを上映していた。被害は想像以上で、前にTVで見た瓦が剥がれ落ちていく映像を思い出した。 また、「熊本城の歴史」のビデオもあり、早く元通りになることを願った。

もらった地図の外側にある「咸宜園跡」に行く。廣瀬家は初代五左衛門が博多から日田の豆田町に移住したのに始まる。屋号を堺屋、のちの博多屋とした商家。淡窓は天明2年(1782)五代目三郎右衛門の長男として生まれた。生まれつき弱かった淡窓は家督を弟に譲り、文化14年(1817)咸宜園を開いた。門下生には「大村益次郎」や「高野長英」などがいる。

地蔵堂を過ぎ、夫は橋を渡った先の洞窟風呂(ご主人が手掘りしたという)のある新明館に入る。私はその先の「いこい旅館」の立ち風呂に入った。風呂の真ん中に竹が渡してあって足がつかない人はその竹につかまって風呂に入る。私くらいでちょうど爪先立ちでした。若い女子が入ってきて大騒ぎでした。

豊後森機関車公園では国の登録有形文化財である旧豊後森機関車転車台を見学する。
 最盛期には、蒸気機関車21台が所属する大規模な扇形機関庫であった。蒸気機関車は前後の区別があったため、方向転換のために扇形機関庫や転車台が必要であったが、ディーゼル機関車への移行が進んだため1970年に廃止された。

日田まぶしを「千屋」でいただく。名古屋の「ひつまぶし」と一緒で柚子胡椒等の薬味を加えたり、だし汁を注いだりして三通りの味が楽しめる。とてもおいしかった。

秋風庵茅葺一部2階建て

赤司日田羊羹本舗 明治24年創業佐賀の小城羊羹のように糖化して美味しい。

旧古賀医院診療棟(現豆田まちづくり歴史交流館)

和風旅館「美里」の濁り湯 ここも一人でゆっくり入れました。白濁した湯でした。

橋を渡るとき「耳をすましてごらん」という看板がある。河鹿がいるようです。(カジカガエルのことで、鳴き声がシカに似ている。)川の音が騒がしく聞こえなかった。湯の湧き出る井戸があり「富士屋源泉」と書かれ、温泉卵ができるようです。

いご坂を下って行くと「黒川地蔵堂」がある。首無し身代わり地蔵の伝説がある。お地蔵様を肥後の国に祀ろうと旅の途中「ここで下ろしてくれ」とお地蔵様が声をかけたので、ここに地蔵堂を建てた。するとここに温泉が湧いて黒川温泉の始まりとされている。

きれいに盛り付けられた夕食をいただく。熊本名物「馬刺し」も久しぶりにいただいた。優彩の露天風呂にも入り、川のせせらぎの音を聞きながら休んだ。

3日目も良い天気で、新緑が美しい。辛子レンコンやヤマメの開きなどの朝食をいただいて、バスで出発する。

未申櫓の石垣の崩落も痛々しく、まだ修復されていない。

公園内には「豊後機関車ミュージアム」が開設されている。

「大天守と宇土櫓(右側の大天守は慶長5年(1600)加藤清正公によって建てられた。正面中央は小天守で、大天守築後時に建てられ、通路でつながっている。大小天守は明治10年の西南戦争直前に焼失し、昭和35年鉄筋コンクリートで再建された。左は宇土櫓で江戸時代から残る重要文化財建造物である。)

宇奈岐日女神社は祭神が六柱のため「六所宮」ともいわれる。当初の祭神は「うなぐひめ」であったという。湯布院盆地は当初湖であったという伝説がある。湯布院の神である「うなぐひめ」は湖を力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破らせた。水が抜けたところが盆地になり、その後を現在の大分川が流れるようになった。湖の乾き残りが「金鱗湖」であるという。
 神社は平成3年の台風で大きな被害を受けた。その時の「御神木の切株」が飾られている。その時は28本もの杉の木が倒れたという。境内には立派な杉の木がまだ天高くそびえていた。

ちょうど「湯布院の森号」が走ってきた。近くに「豊後森駅」がある。

天祖神社

全てのスケジュールを終え、熊本駅から九州新幹線・つばめに乗り、博多駅に着き、地下鉄で福岡空港へ、。15:15のANA249便で羽田空港に着いた。新幹線、東海道線を乗り継ぎ無事藤枝に帰った。

2日目