秘湯 横谷温泉

H.29.2.11~12

屏風岩の氷瀑」が現れる。下の一枚岩には水が勢いよく流れている。対岸も氷瀑に覆われている。何人ものカメラマンがシャッターを切っていた。途中で会った方は12本爪のアイゼンを付け「大滝」を越え「おしどり隠しの滝」まで行ってきたそうです。横谷渓谷はその先に「渋川温泉」「明治温泉」に行きつく。左手の方に行くと王滝神社、横谷観音展望台があるという。そこまで行くのは、ホテルでもらった縄を巻いた靴では無理なのでここで引き返した。

藤枝駅前で、午前6時30分に吉田から来たバスに乗りこむ。西焼津、焼津、静岡と廻り参加者を乗せ東名に入る。富士で東名を下り、朝霧高原の道の駅で休憩する。今回は総勢39名の参加者で、バスはほぼ満席状態です。パンフレットにあった「朝霧高原にてホットミルクご賞味」とあったが、試飲のミルクでほんの少しだった。でも美味しくいただき、バスは中央道に入る。諏訪インターで下り、トコロテラス(地元で大人気の寒天工場)で「えごま醤油のところてん試食」をし、係員のお兄さんの話を聞く。土曜日だったので機械は動いていなかった。

塩羊羹 新鶴本店が神社の裏手にある。明治6年創業の老舗である。塩羊羹はさっきのお店で買ったので今回は買わなかった。今度中山道を歩く時に買いたい。

身長1.7mの狛犬は青銅製では日本一である。狛犬を両脇に従えた神楽殿は、三方切妻造りで、天保6年(1836)立川和四朗二代目富昌の作である。

下諏訪にでて、昼食をとり、「源泉かけ流しの足湯」に入る。私は今、中山道を歩いているが、和田峠を越えて下諏訪に入る道を飛ばして、下諏訪から向こうを歩いているので、この辺りはまだ歩いていない。

今日は、本当によいお天気で、「八ヶ岳」「蓼科山」「車山高原」などがくっきり見える。

2日目

昨日、昼食をとった「遊楽庵」の「信州手打ち蕎麦工房」で「十割蕎麦の手打ち体験」をする。練った生地の所から延ばす体験をした。四角くならなかったり、端がぼろぼろになったりしたが、何とか切るところまでできて、お土産にいただいた。 「あったか蕎麦がきのお汁粉」をいただいて、遊楽庵を後にした。

茅野市にはいる。「遊楽庵」で「温かいお蕎麦と山菜ご飯の昼食」をとる。

来た道を戻って藤枝に予定通り19時15分に着いた。

四之御柱

三之御柱

二之御柱

秋宮一之御柱

諏訪大社下社秋宮を参拝する。鳥居をくぐると樹齢6~700年と言われる「根入りの杉」がある。丑三つ時になると、枝先を下げて寝入り、いびきが聞こえ、子供に枝を煎じて飲ませると夜泣きが納まるといわれている。 温泉の手水で手を清め石段を上る。

岡谷の町に入る。「岡谷蚕糸博物館」で養蚕や織物の機械などの説明を受ける。「ああ野麦峠」の女工哀史の影響で悲惨なイメージがあるが、そうばかりでは無かったようだ。「絹石鹸」を買った。

夕食後はロビーコンサートがあったが、朝早かったので寝てしまった。そのあとの「星空見学会」は星が見えずに中止になったそうです。

午後4時から橋幸雄のそっくりさん「キュウティー箸」の物まねショーに行った。本当にそっくりで、話も面白く笑ってしまった。
 夕食をとる。蕎麦打ちの実演もあり、うちたての蕎麦を味わった。

 

その先に「大岩の祠」がある。渓谷最大のパワーストーンで、四つの願いを順番に四本の柱を触りながら唱える。とあったが、雪で周りをめぐることはできない。その先に「鷲岩」の標識がある。多分あそこの岩が鷲に見えるのではないかと思いカメラを向けるが、どうか分からない。

遊歩道をホテルまで戻り、裏手に出る。その途中に「河鹿井戸」と書かれた井戸があり、池に向かって水が流れ、石仏が祀られている。ここはホテルの中からも見えるようになっている。遊歩道にでてしばらく行くと「霧降の滝」がある。水しぶきが霧のように舞うことから名付けられた。今は氷瀑に覆われている。

さっきまでいいお天気だったのに、雪がちらついてきた。今日の宿「横谷温泉旅館」に入る。時間があったので、遊歩道を散策する。雪道の階段を下りると「乙女の滝」がある。恋がかなうという伝説が残る滝で、半分は凍っていて、半分は勢いよく水が流れていた。

横谷温泉は、長野県茅野市にある温泉で、一帯は奥蓼科温泉郷と呼ばれている。標高2200mの国道、通称メルヘン街道沿いに位置する蓼科中央高原より奥に入った横谷渓谷に流れる渋川のほとりにある。「信玄の隠し湯」であったとの伝説が残る。江戸時代から諏訪半御用達だった湯を守り続ける一軒宿の「横谷温泉旅館」が渋川沿いに立つ。含鉄・二酸化炭素泉で、鉄分を含んだ茶褐色の温泉である。

御柱祭は7年ごとに申と寅の年に行われる。樹齢200年の樅の巨木を曳建てる諏訪大社最大の神事である。昨年はその御柱祭の年で、上社の御柱祭を見ました。また、中山道を歩いている途中、小宮の御柱が建て替えられたり、準備された御柱を見たりした。諏訪大祭が終わると順次小宮の御柱が建て替えられるそうです。御柱祭の費用調達のため、婚礼や、新築などが禁止された時期もあるそうですが、現在でもその傾向はあるそうです。

神楽殿の奥には御社殿がある。二重楼門造りの拝殿と左片拝殿と右片拝殿が横に並ぶ。

遊歩道に戻り、ホテルと反対方向に歩くと右手に「木戸口神社」がある。(信玄公の「上の棒道」の要所・渋川を渡り、川沿いに登り、御立場を過ぎると、右手に横谷峡が開け、正面に木戸坂が見える。この坂の入り口に諏訪神社を勧請し木戸口神社と命名した。信玄公ゆかりの地である。)ここにも4本の御柱が建っている。