H.29.1.22~24
仁田峠の予定だったが、雪が残り、通行止めということで、中止になった。バスで多比良港に向かう。雲仙普賢岳の姿が見える。雲仙岳は「妙見岳、国見岳、普賢岳の三峰と野岳、九千部岳、矢岳、高岩岳、衣笠岳の五岳からなる山体の総称。1990年から95年の火山活動により平成新山(1483m)ができた。
早朝家を出て、羽田空港に8時すぎに着いた。受付カウンターで搭乗券をもらい、チェックインカウンターへ。9時55分のANA981で九州佐賀国際空港に向けて出発する。12時05分に空港に着いた。現地添乗員と合流し旅が始まる。バスで、清水の滝に向かう。清水の滝は小城市小城町清水にある滝で、清水川の上流にある。高さ75m、幅13mの清流が垂直に流れ落ちる。別名玉簾の滝ともいわれている。雪がちらちらする寒い日です。夫は横の急な石段を上って見瀧寺宝地院迄行って、別の参道を下りて来た。私は石段が滑りそうだったので、元来た道を戻った。
柳川自由散策だったが、オプションで舟下りを申し込む。 約410年前、柳川城築城の際に、城下町を形成する為に、人工的な堀を掘った。治水、利水のための水利体系が整備された。竿一本でどんこ舟を操る船頭さんの説明を聞きながら川を下る。冬はこたつ舟になっている。 柳川藩主立花家の別邸だった御花の昼食が頼めたが、自由食にして「うなぎ屋本店」で鰻のせいろ蒸しをいただいた。たれをからめて味付けしたご飯の上にかば焼きした鰻、錦糸卵をのせ蒸篭で蒸したもので、最後までアツアツで食べられる。美味しかった。
筑後川昇開橋は国鉄佐賀線に存在し、筑後川を跨いで、福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。佐賀線が廃止された後も保存され、現在は歩道橋として保存されている。重要文化財、機械遺産に指定されている。
水門
多々良港から有明フェリーに乗り、有明海を渡り約45分で長洲港に着いた。船内は沖縄からの中学生の修学旅行の生徒と一緒で賑やかだった。
自由散策の人たちを拾って、長崎を後にした。約133km走って、雲仙温泉・雲仙宮崎旅館に入る。ホテルの壁には今まで泊まった有名人の色紙が数多く飾られている。ホテルの後ろにひろがる温泉地獄を散策する。
雲仙宮崎旅館
平和公園は長崎市松山町に位置する公園で、1945年8月9日に投下された原子爆弾投下中心地とその北側の丘の上を含めた地域に、平和を祈って建てられた。平和祈念像は高さ9,7m、重さ30トン、青銅製で、彫刻家北村西望氏は神の愛と仏の慈悲を象徴とし天を差した右手は原爆の脅威を、横に伸ばした左手は平和を、閉じた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈るという思いを込めた。
2日目
温泉に入り、お部屋食の夕食をとった。
参道沿いには、鯉料理店が軒を連ねて、鯉の生簀がある。バス駐車場の所のお店に、「タイ焼き」ならぬ「鯉焼」が売っていた。中にはあんこではなく、小城羊羹が入っている。
渡し場恵比寿
小菅修船場や高島炭坑の事業化に貢献し、後に三菱の経営に関与するなど、当時の日本の主要産業の近代化に貢献したスコットランド出身の貿易商人トーマス・グラバーの活動拠点。日本に現存する最古の木造洋風建築物で、近代建築の技術伝播を知るうえで重要な建物。中には「隠し部屋」もあり、勤王の志士をかくまったり、逃がしたりした。と書かれている。「坂本龍馬はグラバー商会の社員」と言う人もいるのを思い出した。
バスを降り、坂を歩いて「大浦天主堂」に入る。大浦天主堂は、カトリックの教会で、1865年に建立された日本最古のキリスト教建築物。正式名称は日本26聖殉教者堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。40数年前に長崎を訪れた際にこの前でパウロ二世法王を2時間程待ってお会いできたことを思い出した。前日降った雪の残る寒い日だった。
自由散策の人たちと別れ、南山手地区観光に向かう。その前に真珠店の店の上の食堂で昼食をとる。長崎皿うどんと角煮饅頭だった。
夜降った雪の残る道を長崎に向かう。眼鏡橋は長崎市の中島川に架かる石造二連アーチ橋である。橋の長さは22m、幅3.6m、川面までの高さは5.46m、2つの半円を描くアーチ式の石橋で、水面に映し出された姿が眼鏡のように見えることからこの名がある。1634年、中国から来日し、興福寺の2代目住職となった黙子如定によって架けられた。付近は中国の春節の準備で、飾りつけがされていた。そのあと、鼈甲屋に寄る。
嬉野温泉・嬉野館に入る。嬉野温泉は佐賀県嬉野市嬉野町にある温泉。美肌に効果がある重曹泉である。嬉野川を挟んで50軒ほどの温泉旅館がならび、昭和天皇が宿泊した和多屋別荘もある。商店街には「シーボルトの足湯」がある。江戸時代には長崎街道の宿場として栄えた。佐賀のB級グルメ・「マジェンバ」や名物・湯豆腐などのバイキングの夕食だった。
あしたの予定だったが、雨の予報なので、今日に繰り上がった「祐徳稲荷」に向かう。伏見稲荷以外はいろいろ言われている日本三大稲荷のひとつで、年間300万人の参詣者が訪れている。衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。
バスに乗り、肥前浜宿の向かう。鹿島市にある浜川の河口に造られた在郷町で古い街並みが残っている。室町時代には町として成立していたと考えられている。江戸時代には長崎街道多良往還(多良街道)の宿場町として有明海に臨む港町として豊かな街並みがつくられた。平成18年に、茅葺町家と桟瓦葺町家が軒を連ねる在郷町{浜庄津町金屋町」と白壁土蔵造りの酒蔵が多く残る醸造町「浜中町八本木宿」が国の重要伝統的建造物保存地区に選定された。浜中町八本木宿は全盛期には十数軒の造り酒屋があったことから「酒蔵通り」と呼ばれている。
3日目
不老不死の薬を求めて佐賀に上陸したといわれる「徐福」の像
泥火山
真知子岩
教会を出て、隣にある「グラバー園」に向かう。長崎港を望む小高い丘の外国人居住地跡の敷地に旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅と市内各地から6棟の洋館を移築復元した施設。以前来た時には坂や階段を足で上った記憶があるが、現在は一番上までエスカレーターがあり、上れる。対岸の三菱重工長崎造船所の遺産群が眺望できる。イージス艦が停泊していた。
拝殿
鹿島藩鍋島直朝夫人で後陽成天皇の孫、左大臣・花山院定好の娘・萬子媛が朝廷の勅願所であった稲荷大社の御分霊を勧請したのが始まりである。 拝殿でお参りをした後、石壁社の横からたくさんの鳥居が建つ参道の石段を上ること15分程で奥の院に着いた。
観光酒蔵「肥前屋」峰松酒造場で説明を聞いて、酒蔵通りを散策する。江戸時代後期の武家屋敷「旧乗田家住宅」を見逃したのは残念だったが、電柱を地下に埋め、街並みを整備した宿並は時間があればもう少しゆっくり散策したいところであった。浜川を浜大橋で渡り、「庄金の町並み」や茅葺屋根の町家立ち並ぶ「南舟津の町並み」なども見たかった。
鏡石
婆石
キリシタン殉教碑
佐賀の小京都と呼ばれる「小城」は「小城羊羹」がある。砂糖の流通が盛んだった長崎街道沿いにあり、長崎街道は「シュガーロード」ともいわれた。砂糖でコーティングされた昔羊羹から練きりなど多様な種類がある。
佐賀空港からANA456便で17時25分、羽田に向けて離陸する。長崎以外ははじめて訪れる場所で、嬉野温泉、雲仙温泉に入ることができて良かった。九州とはいえこの辺りは雪も降り、静岡とは違うと思った。
お糸地獄
旧オルト住宅
日本の生んだプリマドンナ・三浦環
旧三菱第二ドッグハウス
奥の院
神楽殿
中嶋酒造場・明治18年建築の2階建て塗屋造りの建物。主屋、仕込み蔵、土蔵などが国の有形文化財。
武光酒造別宅・明治に造られた別宅を改装して現在公開されている。
飯森酒造・主屋,酒倉、煙突が国の有形文化財。
旧リンガー住宅
旧ウオーカー住宅