山形県 秋田県 青森県

予定通りに木を見ることができて、無事に帰ってきました。約2年間コロナで旅行に出られなかったので、久しぶりの旅でした。ツアーではないので、電車の時間や、予約したハイヤーが時間通りに来ているかなど、夫は神経を使ったようです。初日の東根では、文献によると徒歩20分ということだったが、実際は45分かかり、行きにタクシーをつかったのは正解でした。他にもいろいろありましたが、無事に旅を終えることができて良かったです。私たちが帰ってきた翌日から、青森、秋田は雪が降り始め、最後の「十二本ヤス」に行く林道は雪や雨だと行けないといわれていたので、本当に危なかった。 北金ヶ沢のイチョウに合わせて行程を組んだので、ケヤキなどは葉を落としていたが、イチョウは見頃で、見事でした。

五所川原に戻り、「立佞武多の館」でおろしてもらう。電車の時間まで過ごした。「立佞武多祭り」は8月4日~8日の5日間開催される。館のガラス面が開き、立佞武多が出陣する姿は圧巻で、「やってまえ」の掛け声が天に響けば祭りも最高潮に達する。
 五所川原のねぶたは明治期にその高さの隆盛を極めたが、電線の普及とともに、背の低いねぶたとなった。1996年に市民有志が高さ22mの巨大ねぶたを復元し、「立佞武多」と命名し、1998年より「五所川原立佞武多」として90年ぶりに復活させた。

林道脇の十二本ヤスの登り口に着くと運転手がクラクションを数回鳴らした。熊よけということだった。彼自身も前回来たのは5~6年前で、会社にもここに来られる人は3人しかいないということだった。鳥居のある石段を上ると、十二本ヤスの全貌が見えてきた。周囲を廻って枝の本数を数えたが、重なってしまい本当に十二本かどうか確かめることはできなかった。

木は5m程のところで二枝に分かれている。昔は、この分岐点にヤマザクラが2本着生していた。南北にそれぞれ1本が生育していた。サクラの成長に伴って木の幹に亀裂が入り始めたため、1989年(平成元年)9月にサクラは伐採された。現在はその場所からウルシの若木が育っている。 今は2本の幹にベルトを掛けて裂けて割れないようにしている。

ホオノキはモクレン科の落葉広葉樹で、葉が3枚つく輪生である。ジャンボサイズの葉で、5月初めにクリーム色の大きな花をつけ、秋には変わった形の袋果をつける。

このカツラのように株立ちの場合、普通は複数幹が並んで上方に向かうが、このカツラは根元から放射状に広がっている。カツラはカツラ科カツラ属の落葉高木。ブナ林域等の冷温帯の渓流などに多く見られる。今まで見たカツラの木は近くに沢や川があったが、ここは水田に囲まれる不思議な光景だった。

樹高 14m
目通り幹囲 7.4m
樹齢 推定380m
大仙市指定天然記念物

樹高 13m
目通り幹囲 6,1m 8.1m
樹齢 推定500~600年

7:55新庄から陸羽西線に乗り横堀に8:44に着いた。頼んであった湯沢タクシーで湯沢市秋ノ宮字川連にある「千代世神社のホオノキ」に向かう。

樹高 28m
目通り幹囲 12.6m
樹齢 推定1500年以上
国指定天然記念物

環境庁の資料によると「天子のケヤキ」「三恵のケヤキ」に次いで全国第3位とされている。帰りは歩いたが45分かかった。

樹高 27m
目通り幹囲 6.0m
樹齢 300年以上

一里塚のサイカチ

秋田県横手市山内筏(さんないいかだ)にある「筏の大杉」に向かう。山内筏植田表の比叡山三十番神社境内に育成する杉の巨木である。秋田県で一番の巨木と言われている。

樹種 シロヤナギ
樹高 17m
目通り幹囲 7.3m
樹齢 推定400年
戸沢村指定天然記念物

2021.11.19~21

立ち去りがたく、周囲を何度も廻り黄葉した木を眺めた。10:10発の五能線に乗り、五所川原に10:59に着いた。予約していたハイヤー乗り青森県五所川原市金木町喜良市にある「十二本ヤス」に向かう。

秋田県大仙市豊岡字十六沢にある「一里塚のサイカチ」に向かう。主街道である羽州街道は36丁を一里(約4km)として塚を作った。中仙地域豊岡地区の旧白岩街道に生育するサイカチである。慶長9年(1604)に幕府の命により街道を整備して一里塚を築くよう定められ、主街道である羽州街道にはケヤキが植えられ、脇街道の白岩街道や盛岡街道に通じる南部街道には主にサイカチが植えられた。この一里塚は羽州街道の六郷一里塚から6つ目の一里塚で、横沢一里塚から3つ目の一里塚である。樹幹が道の反対側まで達するほどの巨木であるとあったが、今は道にはみ出た部分は切られてしまっている。

3日目

北金ヶ沢のイチョウ青森県西深浦町北金ヶ沢字塩見形にある。駅から徒歩10分の看板が出ている。イチョウが見えているので、歩きやすい。イチョウは北金ヶ沢地区の海岸線から約200m内陸に入った段丘崖の下に生育している。イチョウの中では全国1位と認定されている。

筏の大杉

秋田県大仙市神宮寺上町にある「宝藏寺のケヤキ」に向かう。曹洞宗宝藏寺は、旧神岡町役場の南500m。雄物川右岸の地にある。文和3年(1345)、一向一揆に敗れた加賀国守護富樫氏主従が当地に逃れて来て、菩提寺の宝藏寺を移したと伝えている。境内には弘化2年(1845)に建てられた天保飢饉供養塔がある。ケヤキは参道のほぼ中間点に立っている。秋田県内では№1とされている大ケヤキである。空洞もなく、枝を四方に伸ばしている。葉はすっかり落ちていた。

果実(袋果)

7:40に藤枝を出て、東海道線、東海道新幹線、山形新幹線と乗り継ぎ、12:07さくらんぼ東根駅に着いた。荷物をロッカーに預け、観光案内所で地図をもらい、駅を出た。山形県東根市本丸南にある「東根のケヤキ」に向かう。駅を出ると、タクシーの運転手に「どこに行くの?」と話しかけられた。文献では徒歩20分と書かれていたので、歩いていくつもりだったが、「20分では行けない。」と言われ、タクシーに乗った。

15:09に五能線で五所川原を出発し、川部(五能線の終点)で乗り換え、新青森に16:18に着いた。16:38の新幹線で東京、静岡と乗り継ぎ藤枝に着いたのは22:00だった。

旧金木町東部の渓谷の奥に「十二本ヤス」の名を持つヒノキアスナロ(ヒバ)の奇木がある。ヤスとは魚介類を突き刺して獲る漁具の一種。棒の先が3~5又に分かれていて、小さな銛のようになっている。説明板によると「昔、弥七郎なる若者が山の魔物を退治した際に、魔物を供養するために近くの切株に1本のヒバの木を植えた。幹の途中から12本に分かれ、巨大なヤスのようになっていることから名付けられた。新しい枝が1本生長すると、古い枝が枯れ、枝数は常に12本に保たれた。」

今日の予定はすべて見終わって奥羽本線神宮寺駅でおろしてもらう。30分ほど待って、14:51の秋田行きに乗り、15:35に着いた。15:52発の特急つがるで東能代に16:39に着いた。ここから能代までタクシーで行く予定だったので、同じホームに深浦行きが止まっていたが乗ることができなかった。能代のホテルに入った。

2本の木が寄り添い1本の巨木のように見える。また別種の樹木を取り込みながら複雑な樹形を形成している。この地は、かって山岳信仰の神室(かむろ)街道の道筋にあり、このホオノキが道標の役割も果たして来たと言われる。今は葉を落とし、下にはホオノキの実が落ちている。昭和22,23年の洪水の際も流されず今なお樹勢を誇っている。

急ぎ足で駅に戻り14:02発の電車で新庄に向かう。頼んであったハイヤーに乗り山形県最上郡戸沢村津谷にある「津谷の大ヤナギ」に向かう。大ヤナギは最上川の堤防沿いにある、金打坊地区の給水施設の隣に立っている。最上川と鮎川の合流地点から鮎川を少し溯上したところ、水田に囲まれて大ヤナギは立っている。以前はV字状に枝が伸びていたが、1本の枝が根元から欠損している。大枝が失われて幹の内部は空洞化しているが、斜めに伸びた枝は支えられて立っている。

樹高 40m
目通り幹囲 11.2m
樹齢 推定1000年
秋田県指定天然記念物

秋田県大仙市豊岡字三棟にある「三棟のカツラ」は予定にはなかったが、近くにあるので、寄ってもらった。目印になる物がなく、畑の真ん中に立っている。運転手さんが近所の方に聞いてくれて、場所が分かった。樹下には養老2年(718)に祀られたといわれる観音堂があり、祠は「桂観音」このカツラは「観音様の桂」と言われている。根元から枝が放射状に分かれ、まるで根のように見えることから、山津波で流されたカツラがさかさまになってそのまま根付いたという伝承がある。古来より、この木に刃物を当てると凶事が起こるともいわれている。

三棟のカツラ(みむね)

旧環境庁のの巨樹巨木調査で日本一とされたヤナギである。

十二本ヤスそのものが山の神そのものであると地元の人々に神聖視されている。木の前には赤い鳥居が祀られ、枝の間にも小さな鳥居が見える。大正5~6年頃、金木営林署がこの木の伐採を試みたが、人々は恐れをなして誰も切ろうとはしなかったため、保存を決めたという。

樹高 40m
目通り幹囲 18.8m
樹齢 1000年以上

神木として古くより崇拝信仰されており、人間の乳房または、鍾乳石に似た数多くの気根が垂れ下がっている。気根を触ると母乳の出が良くなると言い伝えられていて、「垂乳根の公孫樹」とも呼ばれている。

能代5:43発の五能線に乗る。夜が明けて、電車は日本海に面して走る。8:01北金ヶ沢に着いた。駅のホームから巨大なイチョウが見える。

北金ヶ沢のイチョウ

能代七夕の燈籠

千代世神社のホオノキ

2日目

東根のケヤキ

鳥居をくぐり、石段を登ると、右側にイチョウの木があり、黄葉した葉が絨毯のように敷き詰められている。神社は古く、右側の屋根が腐って落ちてしまっている。正面の彫刻や、木鼻の彫刻がすばらしく、覆屋を建てて保存してほしいと思った。

ケヤキは正平2年(1347)小田島備前守長義が築いた小田島城(東根城)の本丸跡にある。太い主幹は地上5~6mで失われ、道路側に伸びた太い1本の基部辺りには根まで達する傷跡が残っているが、きちんと治療されている。内部は畳2畳ほどの広さの空洞があり、南北の開口部から通り抜けることができたという。
 城跡は東根小学校になり、正門の入り口にケヤキが立っている。「夢きらり はじける笑顔 けやきっ子」の標語が掲げられている。以前、TVでこの木を特集し在校生、卒業生はけやきっ子と呼ばれていると報じていた。黄葉が進んで、葉っぱが風で落ちて来ていたが、まだ葉っぱがある姿を見られて良かった。

サイカチはマメ科の落葉高木で幹や枝に鋭いとげが多数ある。庭園や街路樹として植えられる。秋には曲がりくねった鞘状の豆果がつく。実はサポニンを含み泡立つ。

ハイヤーで、新庄駅前のホテルに入った。

十二本ヤス

能代バスケットボールの町

千畳敷

樹高 35m
目通り幹囲 11.1m
樹齢 伝承400年

樹高 15m
目通り幹囲 7.0m
樹齢 推定1000年
大仙市指定天然記念物

宝藏寺のケヤキ

津谷の大ヤナギ