H.24.04.13

海津大崎の桜と若松古寺巡礼の旅

石ショウ山多田寺は、福井県小浜市多田にある真言宗のお寺で、西国33観音霊場の18番目のお寺である。開基は勝行上人である。「奈良の薬師寺」「出雲の一畑薬師」と共に日本三大薬師と謳われるようになった。ここの薬師は手に薬壷を持たない。

本堂

若狭神宮寺福井県小浜市神宮寺町にある元正天皇の勅願により奈良時代和銅7年に若狭の国一ノ宮の神願寺として、泰澄大師の弟子沙門滑元により開祖されたと伝わる。室町時代に朝倉義景の寄進により再建された本堂は重要文化財である。七堂伽藍二十五坊を有していた時代もあったが、秀吉の時代に領地没収にあい、さらに明治初頭の廃仏毀釈により衰退した。

早朝家を出て、名古屋駅に7時15分に集合した。総勢40名で、バスは満席です。バスは、滋賀県高島市マキノ町海津に向かって走る。桜が咲いていれば1、5kmほど桜のトンネルを歩く予定だったが、殆ど咲いてないので、交通規制もなく、咲いてない桜の木を見ながらバスで走った。海津大崎の桜は、樹齢70年を越える老木から若木まで約800本が琵琶湖湖畔に延々4kmに渡って桜のトンネルを作る。海津大崎は、琵琶湖八景「暁霧・海津大崎の岩礁」としても知られ、琵琶湖随一の岩礁と、湖の碧、遠くに浮かぶ竹生島そのコントラストが美しい。

馬頭観音(パンフレット)から

本堂(重要文化財)

山門まで紐が伸びて本尊とつながっている。

途中の駅で、先達さんを乗せて、青葉山中山寺へ向かう。中山寺は西国33霊場 33番目の寺である。青葉山の中腹にあり、天平8年聖武天皇の勅願により泰澄大師が創建したと伝えている。鎌倉時代後期の建築である本堂に安置される本尊・馬頭観音坐像(重要文化財)は、座高78.3mの檜寄木造り、三面八ぴの憤怒の仏像。農耕の守り神として信仰を集めた。本尊は33年毎に御開帳される秘仏で、今年はそれに当たる。本堂までのぼって来られない人のために本尊から紐が伸びて山門までつながっている。書院には、魯迅の扇面の書と孫文の書き物などが飾られている。

本尊は薬師如来で、カヤの一木彫刻で、薬師の面相は、日本人離れをした外来系の面相をしている。若狭小浜港は、古来交易の玄関口で、中国や百済の技術、文化が伝来、木彫仏、鋳造仏、等の技術輸入の重用港であった。目の病を治すお薬師で、孝謙天皇も祈願された。天平時代の薬師三尊(薬師如来 、日光十一面観音、月光菩薩)として昭和42年に重要文化財の指定をされ、60年に一回御開帳の秘仏だったが、いつでも拝めるようになった。

岩屋山妙楽寺は、福井県小浜市野代にあり、若狭33観音霊場の19番のお寺である。養老3年(729)僧行基が秘境の岩屋に千手観音を安泰され、延暦16年(797)北陸巡行の弘法大師が稀端の霊像に導かれて、ここに留錫し、諸堂を建立して尊像を安置された。かって33年に一度の御開帳だったが、今はいつでもお参りできる。本尊は平安時代の作で、桧の一本造り、漆箔彩色176,3cmの24面千手千眼観世音菩薩(重要文化財)である。頭上に21の仏をいだき、正面右に菩薩面、左に憤怒面の珍しい像である。

梵鐘 初代梵鐘は秀吉が長浜に持ち帰り大通寺の濡れ縁に吊るされている。この釣鐘は南北朝時代、貞治2年の銘、中国元の時代で、元朝が滅ぶ5年前に鋳造された。秘伝の巻物には、巳の年、巳の月、巳の刻に砲金を混入して造られた鐘を撞くと「お金に恵まれる」と記録され、当山4代目の吊り鐘も巳が四つ揃う年、昭和54年に鋳造された。和尚に厳しく作法を指導され、鐘を撞かせてもらった。

山門(仁王門)

本堂には本尊 薬師如来坐像、などがあるが、仏様の前で拍手を打ってお参りするという珍しいお寺です。仁王門は重要文化財に指定されているが、ここから300mほどいったところにあるということで、見ることは出来なかった。

千手観音(パンフレットから)

茶室

本堂には注連縄がある。

表門

お水送りの護摩壇

閼伽井戸(奈良東大寺二月堂に送る水源の井戸) 

若狭は、朝鮮語のワカソ(往き来)が訛って宛字した地名で、奈良も朝鮮語ナラ(都)が訛って宛字されている。此の地方は若狭の中心で白鳳時代以前からひらけ、此の谷は上陸した半島大陸の文化が大和(朝鮮語でナラという)へ運ばれた最も近い道であった。それは、対馬海流にのって着岸した若狭浦の古津から国府のある遠敷(オニフ 朝鮮語ウォンフー遠くにやるが訛った。)や根来(ネゴリ 朝鮮語ネ、コーリ汝のふるさとが訛った)と京都や奈良が百キロほどの直線上にあることである。

本堂(若狭で最古)

山門と杉木立

今回の旅は、古寺巡拝の旅と言うことで、先達さんがお参りの作法を教え、仏前勤行次第というのがあって、合掌礼拝、開経げ 般若心経 本尊真言、光明真言、御宝号 回向文と先達に続いて唱えた。お上人さんの法話もあり、普通の旅と少し違った雰囲気だった。10年以上前に、朝日旅行会の仏像ツアーに数十回参加して上原先生の説明を聞きながら仏像を見て歩いたが、その時は、仏像を美術品としてみていたような気がする。先達さんとは、バスの中で、夕の勤行を行って分かれた。バスは名古屋に向かって走り、雨の中、家に帰った。今回は無事に、その日のうちに家に帰ることが出来ました。