H.27.04.12

過去2回淡墨桜を見たくて訪れているが、まだ蕾で咲いていなかった。今回は三度目の正直で、満開情報を得て、出かけた。 会場に近づくに連れて、渋滞が始まり、約2時間遅れて着いた。

淡墨桜

淡墨桜は、岐阜県本巣町根尾板所字上段にある「根尾谷薄墨桜」と呼ばれるエドヒガンサクラで、推定樹齢1500年、樹高16.3m、幹回り、目通り9.91m、根張り 東西26.9m、南北20.2mである。

淡墨桜の伝説・今から1500年あまり昔、応神天皇の孫・彦主人王の孫・男大迹王が皇位継承を巡り、後の雄略天皇の迫害を受けた。美濃の山奥に隠れ住んでいた。29歳の時に、都から勅使が迎えに来て、継体天皇として即位された。村を離れる時、尾張一宮から持ち帰られた桜を、次男・桧隅高田王の産屋跡に植えられ一首の歌を添えて記念とした。
 身の代と遺す桜は薄墨よ 千代にその名を栄盛(さかえ)止むる
 この歌は、自分の代わりに残していく桜の薄墨が、村と共に末永く栄えるようにという意味です。

H.27.04.01

家山の桜

川根家山からみずめ桜を見て、森町方面に車を走らせ、途中大日山金剛院に寄り、帰って来ました。雨だったが、みずめ桜は見ごたえがあった。

今から約1300年前に、行基菩薩作の大日如来を本尊に開創。山門は幾つかの技巧を凝らしており、仁王像と共に見ごたえがある。参道は東海自然歩道になっていて、春埜山と大日山の間に位置する。

大日山金剛院

樹高20m、目通り4.2m、樹齢300年あまり。茶畑の中で淡紅色の花を咲かせます。昔は、茶畑をかき分けて桜の根元まで行ったそうですが、今は道が整備され、持ち主の家では茶店を開き、お茶をいただきました。おまんじゅうを買い求め車の中で食べました。

雨が降っていたが、家山の桜トンネルが満開ということで出かけました。大井川鉄道沿いに桜のトンネルができます。道路の両側に約280本のソメイヨシノの満開に合わせて「かわね桜まつり」が開催されていた。

2階から4階まで墨俣の歴史、一夜城築城、秀吉の天下統一までを紹介しています。 最上階は展望台になっている。

根尾谷を後にして、大垣市にある墨俣一夜城に寄った。もう桜は終わっていて、数軒の屋台が出ているだけだった。 カメラのレンズカバーが閉まらなくなって汚い写真になっています。

蕾の内は、ピンクで、咲き始めると白くなり、散り際には、淡い墨をはいた様になるためこのような名前がついている。 今年は、花が例年に比べて少ないく少し寂しげですが、満開の桜を見ることができて良かったです。

桜の上の方には、2代目の桜が育っています。

永禄9年(1566)、木下藤吉郎が一夜にして築いたとされる墨俣一夜城は、藤吉郎が「天下人」になる出発点であった。砦的な城であったが、その跡に、「城郭天守」の体裁を整えた歴史資料館を建設した。

銘木・淡墨桜は、数千年にわたって生き続けていましたが、大正初期の大雪で、太さ約4mの一の枝が折れ、本幹に亀裂が生じたころから衰えを見せ始めた。その後昭和23年頃には枯死するかと思われる状態になった。当時老木起死回生の名手の岐阜市の医師・前田利行氏に回生保護を依頼した。巨根は殆んど枯れ死状態であり、山桜の若根を根接ぎした。238本の根接ぎをし、その結果往年の盛観を取り戻した。その後、保護に努めている。

塩本牛代のエドヒガンサクラ(みずみ桜)