酷暑の中、藤枝発6時54分の東海道線で掛川まで、新幹線に乗り換えて名古屋へ。特急しらさぎ号で11時48分に金沢に着いた。IRいしかわ鉄道で泊行に乗り換える。この電車は俱利伽羅駅から「あいの風とやま鉄道」になる。魚津駅に13時40分に着いた。約7時間かかった。 毎年8月の第一金,土に行われる諏訪神社で行われる「たてもん祭り」を見に来た。 駅で遅い昼食の「ますのすし」を買って食べた。駅弁祭りで売っているのとは違いあまり押されていない寿司でおいしかった。ホテルにチェックインして、案内所でもらった地図を見て「魚津埋没林博物館」へ市内循環バスに乗り向かう。
埋没林乾燥展示
埋没林と蜃気楼という富山湾の不思議を学べる博物館である。埋没林とは河川氾濫と海面上昇が複合して埋没した杉原生林跡。魚津港建設時に多数出土した。原生林が存在した2000年前からの環境の変化を現在に伝えている。国の特別天然記念物に指定されている。
魚津は魚の町なので、近くの寿司屋で夕食をとる。美味しかった。
埋没林水中展示、うまく撮れなかったので駅にあった写真を載せました。
埋没林出土状態展示
駅前には「石崎奉燈祭」の「キリコ」が一基飾ってあった。毎年8月の第一土曜日に行こなわれる。昨日は前夜祭が行われていた。七尾市石崎町は、漁師町である。その昔石崎八幡神社の納涼祭で、京都祇園祭りの流れを汲む山車が繰り出されていた。度重なる大火に見舞われ中断を余儀なくされた。明治22年、山車に代わり、網大工の口添えで奥能登から古いキリコを移入して再興した。大漁祈願、五穀豊穣、火を恐れ鎮める神事としたことから「奉燈」と呼び、平成7年まで旧暦6月15日に行われていた。
2日目
「サッカサイ、サッカサイ、イヤサカサー」の掛け声で奉燈が練り歩く。キリコの上には太鼓、笛、鉦を鳴らすお囃子連が乗る。男の子も女の子の浴衣を着、三尺を占めて笛を吹く。1基を100人ほどで担ぎ、その統制ぶりは見事である。時々キリコの上から檄を飛ばし、法被の男たちがそれに応える。
この神輿は神事を行う神社の役割をしてるようだ。
翌日もよく晴れて暑く、駅までタクシーを頼んだ。和倉温泉駅を午前10時14分のサンダーバード号で出発し、金沢からしらさぎ号で米原まで、新幹線に乗り換え名古屋まで、こだま号に乗り換え掛川へ、藤枝には午後16時2分に着いた。約6時間の旅だった。
たてもん祭りの由来は、約300年前から大漁と海上の安全を祈る氏子の気持ちがこのような形になったといわれている。平成9年に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年にはユネスコ無形文化遺産(山・鉾・屋台行事)に登録された。
今日もよく晴れて暑い。魚津駅から「あいの風とやま鉄道」に乗り、IRいしかわ鉄道の「津幡」で七尾線に乗り換え「七尾駅」に着いた。「のと里山鉄道」に乗り換え一駅の「和倉温泉駅」で降りた。約194分かかった。
午後7時に駅の向こう側からシャトルバスが出るというので、バスで会場近くまで乗って行く。しばらく歩き「諏訪神社」に着いた。すでにたてもんが勢ぞろいしている。「たてもん」は高さ約16mの大柱に90余りの提灯を吊るし、総重量5トンもあるそり台にたて、80人ほどの人が勢いよく曳きまわす船型の万燈である。
町内によって提灯の模様や、下の幕の模様が違う。
陽が落ちると、若者が柱の上に登り上からひとつづつ提灯に火を入れていく。開会式の後、一台づつ境内に引き出され、掛け声に合わせてぐるぐる回し、綱を持った若者が遠心力で飛びあがる。7台のたてもんが次々に曳かれ、神社で神事が行われる。もっと見ていたかったが午後10時の最終バスに間に合うように会場を後にした。
ホテルに入り、午後3時から「堂前広場」にキリコが集まるというので、暑い中出かける。ねじり鉢巻きに地下足袋を履き、さらしをまいた男たちがキリコを担ぐ。各町内から堂前広場に向かうキリコの行列ができている。
奉燈に灯火が献じられ、浮かび上がった武者絵や大書の墨字が迫力満点である。写真ではうまく伝わらないので、興味のある人はネットの動画を見てください。だしの中のほうに入った男たちは暑くて大変だろう。座布団で保護しているが裸になった人の肩は傷ついていた。
午後4時過ぎにホテルに戻り、夜8時からの祭りまで休む。この町内にあるお宅では、道に面した部屋を開け放し、料理を用意して皆で宴会をしている。(料理屋さんの車がし仕出し料理を各家に配っていた。)