集古館 白壁と張り瓦の土蔵作りの建物は、もともとが飯米蔵で2000俵の米俵が積まれていた。現在は、歴代当主の収集した美術品が展示されている。
皆が清酒の試飲やお土産を買っている間に、すぐそばの諏訪神社に行く。歴代の領主の崇敬を受け、新発田の総鎮守である。創建は、648年。大和朝廷により、ぬ足柵や磐舟柵を置かれた際に、柵戸として信濃国から移住した人びとが今の諏訪大社から分霊を勧進したのが起源とされる。
早朝、駅前でバスに乗り込み、東名、圏央道、関越道とバスは走り、沼田で昼食をとり、関越道、北陸道、新潟バイパスと走り、新潟に着いた。 途中、雪を頂いた谷川岳や、北陸の山々を見た。雪は多かったが、さすがは雪国で、道路の除雪は完璧でした。
北方博物館「豪農の館」 越後の蒲原平原を横切る大河・阿賀野川の西岸に「沢海」という小さな集落がある。この地に江戸時代中期に農より身をおこし、豪農の道を歩み、巨万の富を築き、越後随一の大地主となった一族がある。これが伊藤家である。明治15年から8年がかりで建てられた伊藤家の豪壮な本宅は敷地8800坪、建坪1200坪、部屋数65を超える純日本式住居で、終戦後昭和21年に「北方文化博物館」が創設され寄贈された。
へぎ蕎麦とは、魚沼地方発祥のつなぎにふのりという海藻を使った蕎麦をへぎといわれる器に盛り付けた切蕎麦のこと。
観光を終え、日本海東北道、北陸道、関越道を通り、小出で昼食をとる。「道の駅ゆのたに」にある深雪の里のへぎ蕎麦が美味しかったので、お土産に買い求めた。
貝合わせ
玄関の内部
正面玄関
唐三彩の馬
大金庫
三楽亭 正三角形の小亭で、建坪11坪あまりの書斎兼茶室で、柱、建具、畳など.ほとんどが三角形や菱形である。中に入ることはできなかった。
築庭時に京都より運ばれたつくばいのある庭園。鎌倉・室町の古式によって造られた回遊式庭園。銀閣寺ゆかりの庭師・田中泰阿弥によって造られた。
享保雛(徳川中期270年前)
鎌倉時代の大日如来
「新潟せんべい王国」に立ち寄る。職人さんがおせんべいを作っている行程を見学し、自分たちもせんべい作りの体験をした。 構内には、「ばかうけ稲荷」が祀られている。
観光案内所の前に鎌倉ができていたので、中に入って見た。
バスはもと来た道を戻り、無事に我が家に帰った。月岡温泉に行くというツアーだったが、雪の新潟を見ることができて、景色を楽しめた。また温泉もよかった。
槽(ふね)出来上がったモロミを酒袋に充填し、槽の中に並べ、上から蓋をして、油圧機で圧力を。酒袋から澄んだ清酒が濾過されて出てくる。袋には酒粕が残る。
玄関には、宮尾登美子氏の「蔵」の石碑がある。
「市島酒造」で蔵元見学をする。新潟県新発田市にある酒造会社である。本家にあたる豪農市島家は、越後新発田藩主に任ぜられた溝口家に随伴して加賀大聖寺から新発田市近郊に移住した。薬種問屋を営むかたわら、回船、酒造、金融で富を貯え、福島潟の干拓による新田開発で北陸屈指の大地主になった。
月岡温泉 「ホテル華鳳」に到着した。 月岡温泉は、美人になれる温泉として名高く、硫黄成分の含有量は第2位で、入浴すると、お肌がツルツルになり、また体が芯から温まり、長時間体内に残ることから「美人の湯」「不老長寿の湯」として有名です。 温泉街もあるようだったが、ホテルに入り「越後の味を楽しむ」夕食を楽しみ、温泉に入って寝てしまったので、街を歩くということはなかった。
華凰の湯は、「白玉の湯」と呼ばれ、大浴場、寝湯、座り湯、露天風呂など充実していました。庭園も立派だそうですが、雪に覆われていました。
米蒸し用大釜