ドイツの泉(ドイツのウイルヘルム二世から寄贈された。
青銅製の蛇の柱(コンスタンティヌス一世の時代にギリシャのデルフォイのアポロン神殿から持ってきた、半分に折れている)
6日目
モスクの側面には、水道の蛇口が並んでいる場所がある。ここで説明を聞いているあいだにも2人の男性が体を清めていた。手を肘までまくって洗い、足は靴下を脱いで洗い、頭、顔,鼻の中まで洗うそうです。一人の人は靴下を脱がず、上から水をかけていた。 見ていると二人ともタオルとかハンカチとか出さないで、そのまま靴下をはき、袖を下ろし、モスクの中に入っていった。
無事にセントレア空港に着いた。バスまでの間、沙羅餐でゴマの入った蕎麦を食べた。最初の日本食でした。バス、JRと乗り継いで、PM.2:00我が家に帰り着きました。トルコは寒かったが、日本も寒かったようです。
なかまちで飛行機を見ていると、荷物を中に運び入れている所だった。引かれてきた荷物は下のローラーで前に押し出され、リフトで上に上がり、また、ローラが回って前にしだされて、飛行機の中に入った。 一緒だった男性の一人が、ウチの会社で作っているんです。と言う。移動式タラップなんかも造っている。日本国内のものはほとんど造っているらしい。
8日目
グランド・バザール 小さな店が無数に並ぶ市場。 迷子になりそうなので、皆でまとまって、大通りを外れないように歩いた。
絨毯や金、銀製品はにせものが多いと聞いていたので、タイルの鍋敷を買った。トルコの花はチュウリップなので、その柄にした。 香辛料屋さんで、からすみとオリーブ石鹸を買った。時間になっても二人の男性が戻ってこない。後で聞いたら、バザールを突き抜けてしまい、入った入り口が違っていたらしく、迷ってしまったようだ。24箇所の出入り口があるそうです。
滴り落ちる水でコケが生えた柱
アヤソフィヤは写真だけ
ブルーモスクとアドさん
ヒッポドロームという広場には3本の柱が立っている。もう一本は石切積みのオベリスクといってコンスタンティヌス七世により建てられたが、夕方でよく写らなかった。
テオドシウス一世のオベリスク(エジプトのカルナック宮殿からローマ皇帝により運ばれた。)
ドルマバフチェ宮殿 オスマン朝スルタンの最後の居城として、共和国の父アタチュルクの執務場所として、まばゆいばかりの宮殿。
大きな船が貸切状態で、ヨーロッパ側ーアジア側と見学。
ボスポラス大橋
丘の上のトプカプ宮殿
ルステムパジャモスク
ルステムパシャモスク
2連泊のイスタンブールのホテルとその前の風景
ここのホテルの朝食はおいしかった。
大きな4本の柱とステンドグラスが印象的でした。アドさんがトルコのイスラム教について熱弁。共和国になったトルコは政教分離のため、信仰は自由で、1日に5回の礼拝が決められているイスラム教だが、心の中でしてもいいし、忙しければ、まとめて礼拝してもいいそうです。このモスクには信者が礼拝する場所があり、何人かの信者がひざまずいていた。絨毯も模様が一人分の祈るスペースが分かるようになっていた。他のモスクもそうでした。
ボスポラスクルーズ
地下宮殿 貯水池として造られた。中は夏は冷たく、冬は暖かい。336本の柱がったが、19世紀末に南北の壁が塗りつぶされた時に90本がなくなっている。 水はアタティルク通りのヴァレンス橋から引かれていた。
トルコの子供たちも沢山見学に来ていた。
微動だにしないで立つ衛兵
オリエントエクスプレスの駅を出て、記念写真を撮りました。
今回は、トルコの西部を中心にアンカラ〜イスタンブールを廻ったことになる。観光地ばかりだったので、日本人の姿が目に付いた。特にレストランは日本人専用になっているんではないかと思うくらいでした。食事の量が日本人向けだったのはそのためではないでしょうか。他の国では、食べきれないほどでるが、トルコでは適正な量だったような気がする。点在する都会をすぎると、広大な平原や畑が広がり、国土の豊かさを感じた。イスラム教の国だが、政教分離しているので、戒律は厳しくなく、個人の自主性によっているようだ。 今まで私が訪れた後進国のような悲惨な一面は垣間見ることは出来なかった。 アドさんが、イスタンブールの市長さんを偽の笑い(作り笑いのことか?)と批判していたようにどこでも問題は山積していると思う。 一人参加でしたが、添乗員みどりさん、ガイドのアドさん、ご一緒した方々と楽しい旅行が出来ました。夜討ち朝駆け(夫談)のようなタイトなスケジュールをこなした8日間でした。カッパドキアでバルーンに乗れなかったのは心残りです。遺跡などはもう一回丁寧に見たいなと思う所もありました。昔の繁栄がしのばれる魅力的な国 トルコ でした。
バレンス水道橋 トルコ語でチョウゲンボウのアーチと言う意味で、旧市街のアタチュルク大通りをまたぐように、翼を広げた格好で建っている。
魔よけの目 ナザール・ボンジュウ
朝3:30にホテルを出発。AM.5:40イスタンブールからフランクフルトヘ、5時間あまり空港で時間をつぶし、13:55名古屋に向けて飛び立った。
1984年の大改修で2mの泥が取り除かれて現れた、メドゥーサの首、一つは横向きに、もう一つは逆さになっている。メドゥーサの首は単なる柱の高さをあわせるための石に過ぎないことを装っている。暗闇にぽっかりと浮かぶさまは、見た者を石にしてしまうと言う力をまだ秘めているかのように怪しげです。 メデゥーサ(ゴンゴーン三姉妹の一人で、見るものを石に変えると言う魔物で頭髪は無数の毒蛇で、ペルセウスにより首を切り落とされ退治された。)
海の見えるレストランで昼食。ざくろのジュース、キョフテ(小さなハンバーグ)
ブルーモスク (スルタンアフメット・ジャーミィ) 6本のミナーレ(尖塔)と高さ43M、直径27.5Mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームを持っている。6本のミナーレは珍しいが、スルタンから黄金(アルトゥン)と言われたが6(アルトゥ)と勘違いしたからと言われている。
ボスポラス海峡の船からも見える。
沿岸には、昔の建物や別荘が建っている。
ファーティフ・スルタン・メフメット大橋
アナドル・ヒサル オスマン朝の砦
オリエントエクスプレスの駅のレストランで最後の夕食。野菜と肉の煮込み(オルマン・ケバブ)
青のタイルが綺麗でした。
通りで見かけた金物やさん。