花祭りも、霜月祭りも、小さな子供は女の子も舞っていたが、大人の舞はすべて男性で、面をつけるのもすべて男性だった。希望すれば観客も面をつけることができるそうです。

2019・12・15~16

遠山の霜月祭り・和田

遠山の霜月祭りは現在12月に行われますが、江戸時代には旧暦11月・霜月に行われた。冬至は一年で最も夜が長くなる。古代の人々は万物の生命の源である太陽が衰退し、他のものも衰える季節と考えていた。冬至を過ぎると、一転して日照時間が長くなる。これを太陽の衰退と再生の重要な節目であると考えた。この節目に神も人も自然界のすべてのものが生まれ清まることを願う祭り、それが霜月祭りである。祭りは夜間に行われる。太陽が沈む夕刻に神々を迎え、一夜を徹してもてなし、夜明けに神々を返すのです。祭りを勤めあげた村人は、それを拝むことで自らの活力のよみがえりを実感する。

歩いて祭り会場の「正八幡神社」に向かう。途中に面のモニュメントが立っている。

最後に皆で万歳三唱をして祭りは終わった。0時45分になっていた。民宿迄歩いて帰った。気温は1度だった。

20分ほど歩いて「正八幡神社」に着いた。13時から祭りの神事は始まっていて、舞殿の中央には四角い炉が設けられ、鉄の五徳に湯釜一口が据えられている。湯釜の真上には「湯桁」という四角い木枠が吊るされ、それに張り渡された注連縄には切り紙が飾りつけられている。これを「湯の上飾り」と呼ぶ。湯の上飾りのうち、「大千道」は神々が天上から降りる道とされ、頂部には塩と米の入った包みが吊るされる。

徳川家康と遠山影弘

すでに「湯の式」「踏みならしの舞」「湯開き」「一の湯」が終わっていた。今から子供の舞が始まるというが時間が空くので、一度民宿に帰る。

兵越峠をこえて遠山郷に入り、秋葉街道和田宿にある民宿に入る。
和田城・遠山郷土館に行くように勧められ歩いて向かう。郷土館は秋葉街道の宿場、和田の町を臨む和田城址にある。戦国時代、遠山地方の領主であった遠山氏は、ここに和田城を築いて本拠地とした。遠山谷の歴史と霜月祭り、文化財の展示、紹介をしている。祭りのビデオを見て祭りの概要が分かった。

神送り」をしたのち、祭場に残る神々や精霊を追い払うため、最後に「かす舞」「ひいな降ろし」「金剣の舞」が舞われる。
 かす舞は、ビデオではおからと言っていたが、実際は大根をサイコロ状に切ったものをざるに入れて舞い、最後に観客にむかって撒く。私も数個大根を拾った。明日の味噌汁に入れて食べるといいよと言われた。 金剣は真剣で、湯の上飾りを切りつけ落とす。その飾りを拾って家に持ち帰るそうで、私も貰ってきた。

霜月祭面のうち南信濃分200面のレプリカが展示されている。祭りが村の消滅により失われた「須沢」の面は本物が展示されている。

子安之命

遠山様

水の王・5周。湯を鎮めて、素手で湯を周囲に掛けはねる。1周目・腰回り、2周目・湯伏せ、3周目・かけ真似、4周目・湯切り、5周目・腰回りとなる。突然かけられたので、驚いた。花祭りのように湯加減を見ず素手で掛けられるので、心構えができていない上に熱かった。火に水は入りもうもうと煙が上がる。

ばあさはションべンバアサや天鈿女命、じいさは神太夫とも呼ばれる。ばあさは手に笹を束ねた湯タブサを持ち、村人を祓っていく。私も祓ってもらいました。熱い湯がかかります。遅れて登場したじいさは半周したところで役人に呼び止められる。問答の末刀も衣もとられ、ばあさを抱くように元来た道を帰る。

民宿の中学生の男子が踊るのため、送っていくというので、夫ともう一組の方が車で出かけて行った。私は疲れたので、部屋で休んでいた。18時になって、食事になった。おばさんのおしゃべりとともに猪鍋、ヤマメのから揚げ、などの食事をとる。

火の王・3周。腰に両手を当てて足を大きく踏み出してのけぞるように歩く。その足運びは北斗七星を踏む歩みと考えられている。
 その後は八幡神社、遠山家の御霊、村内の神が続く。かっては「61歩踏んで帰れ」と言われたが、61とは還暦(よみがえり)を意味する。

保安大神

関明神

八幡大神

遠山若党

稲荷

関御神

秋葉神社

関明大神

最後に出てきた八重河内・猿は5周半します。1周目は各隅で7回づつ3回、2周目は5回づつ3回、3周目は3回づつ3回とびあがる。つまり、七五三に舞うのです。七五三と書いて「しめなわ」と読むように、最後の締めくくりを意味する。また猿が舞うことで災厄が「去る」事を祈っている。

19時過ぎに神社に着くと「神子の舞」「祝儀の舞」が各々30分くらいずつ続き、そののち「」になる。八重河内の八幡社の霜月祭りには41面の面が登場する。これらの面は、神社に保管されていて、和田の祭りではこれを迎えて祭りをします。面は、水の王、火の王、じいさ・ばあさ 、猿からなる「役面」と遠山家の御霊をかたどった7面、そのほか村内の各地に祀られる神々の面からなる。江戸時代前半期から明治時代に作られたものである。

岩長姫之命

牛若尉神

民宿のおばさんに勧められた城址にある「ふじ娘饅頭」茶屋で、そば饅頭とヨモギ饅頭を買う。揚げた饅頭をおまけにもらった。
 帰りは新野峠を通って帰った。道が凍っていたり、雪が降るかもと思ってスタットレスのレンタカーを借りていったが、幸いそういうことはなかったが、遠山郷は遠かった。4時間以上かかった。

彌陀八幡