7日目 チュニス
オスマントルコ様式の間
ナブールの皿 と壁掛け織物
チュニジアについて 面積が日本の約5分の2ほどに約1000万人住んでいる。90%以上がアラブ人であとはベルベル人、ユダヤ人、ヨーロッパ系で構成されている。前の大統領の政策で身分証明書に他のアラブの国のように民族や宗教を書かない。チュニジアに住む人がチュニジア人だという。教育も盛んで、どんなところにいっても学校はあるし、教育は大学まで無料で、国家予算の20%が教育費に当てられている。隣国のアルジェリアやリビアに比べ石油の恩恵が無いので、人を育てようとしてきたようだ。 遺跡などに入るとき、カメラで撮影するのに1ディナールかかる。エチオピアやカンボジアで目に付いた子供が物を売ったり、物乞いをする姿はなかった。暑いので、市場以外では人々をあまり目にすることはなく、道路沿いの家も無人かと思われるほどであった。子供たちの目は大きく輝きかわいらしく映った。 全国土、オリーブ畑かと思えるほどオリーブの木が目につく。オリーブ油はめちゃめちゃ安いが重いのであまり買えなかった。 盛りだくさんの旅行だったが、23人でにぎやかな9日間だった。とにかく熱い(暑いではなく)所だった。また16時間のフライトで無事日本に帰って来れました。 ガイドのセキブさん 添乗員さん、一緒に過ごした皆さんどうもありがとうございました。
ナブールの大皿
ナブールの小鉢
お土産品
カルタゴ遺跡の出土品やチュニジア各地で発掘されたモザイク画などがおさめられ、チュニジアのルーブルと言われている。 モザイク画〜大理石や陶器、ガラスを小片にして、はめ合わせ絵画を描き出す。モザイク画は時代によって特徴があり、それを見るだけで、どの時代のものか分かる。
バルドー美術館
チュニジア風オムレットをつくってもらった。おいしかった。
シェラトンの女性シェフ
8日目 チュニス
トりフォリウムの家(売春宿といわれている)
奴隷売買の市場
共同水洗トイレ。前の溝に水を流した。
キャピトル(ジュピター、ジュノー、ミネルバの3神を祀る。)当時は6Mをこえる巨大なジュピター像があった。
劇場 この階段は後で修復したものです。
劇場で集合写真を撮った。
チュニスから106Km南西の、標高600Mの丘の上にある、ローマ・ビザンチン複合遺跡
ドゥガ遺跡(ヌミディア王侯貴族が住んでいた。)
昼食のレストランの庭に咲いたジャカランダの花、
紫が美しい。ここに来る道路沿いにも何本か咲いていた。 私は、エチオピアで大木になっているジャカランダを見ている。今年は3月、4月が寒かったので、ミモザやシャガランダがまだ咲いているようです 。 ここに来る途中、コウノトリの巣も2、3箇所で見ることが出来た。コウノトリはモロッコでも沢山見られました。教会の塔の上や高い建物の上などにあり、近くでみると本当に大きかったです。
小高い丘から遺跡を見渡す。
残っているモザイク画から当時の様子や歴史を想像できる。
小麦を挽く場所、ワインを絞る場所、オリーブオイルを絞る場所の3箇所の跡がある。
、
干からびたカタツムリがたくさんいた。
刈り取られた畑では遊牧民(ベトウィン)が地主と交渉して羊を放牧していた。真ん中にテントがあり、羊が群れている。
遺跡に行く道の両側は小麦畑で刈り取られた小麦が綺麗に積み重ねられている。
ブラ・レジアはヌミディア王国の時代からローマ、ビザンチン帝国の時代まで栄えた都市遺跡。大地震で建物が倒壊したため地上に建築物があまり無い。世界でもめずらしい地下住居の遺跡である。厳しい暑さをさけるための工夫で、上下水道も完備していた。床はモザイク画で飾られていた。多くはバルドー美術館に移されたが、いくつかはそのまま見ることが出来る。
バスの窓からお店でドアが売られているのを見つけた。
ローマの遺跡は道が直線である場合が多いが、ここは前の都市の遺跡をそのまま使っているため曲がっている。
上に土が覆っていたのを掘り出した境界線。
ブラ・レシア(ローマ時代の地下都市)
水洗トイレに座る
浴室
地下に下りる。中はひんやりしていた。