H.29.6.21~.23
翌日の飛行機の時間が早朝のため、羽田付近のホテルに前泊する。当日、曇ってはいたが雨は降っていない。午前7時50分の日本航空551便で羽田を飛び立った。午前9時25分、旭川空港に着いた。参加者が11名でバスにゆったり座って羽幌港に向かって出発する。途中留萌郡小平市にある「旧花田屋番屋」に寄る。(重要文化財の本遺構は、旧天登雁村鰊漁家花田伝作氏によって建築された。花田家は屋号を㋥といい最盛期には18ヶ統の鰊定置網を経営する道内屈指の鰊漁番屋はその本拠地として総勢200人前後の人を収容していた。)
「北海道」の名付け親・松浦武四郎翁の像」伊勢街道を歩いたとき翁の生家に立ち寄ったことがある。
知恵の輪(ナラ)
2日目
会津藩士の墓(文化5年(1808)当時の北方警備にあたっていた会津藩士が航海の途中に2名病死したため島に埋葬した。後にこの方達の慰霊のため自然公園の入り口に慰霊碑を建てた。)
「幻想の道」にはどうしてこうなったのか分からないくらいに曲がりくねった不思議な木がたくさんある。
バイケイソウ
鶴の木(オンコ)残念ながら首が折れてしまった。
ホウノキ
ハマナス
スカシユリ
船から後ろを振り返ると「ウニ漁」から帰って来た船が収穫したウニを荷揚げしていた。
エゾカンゾウ
エゾタカアザミ
クルマバソウ
観音崎展望台・岬の突端からは美しい景観を見ることができる。あいにくの天気で、良く見えなかった。
昨日でなかった漁船での島一周に出かける。海鳥展望舎の沖で「オロロン鳥」が飛んでいるのを見る。オロロン鳥はウミガラスともいわれ大きさは43cm。背が焦げ茶で腹は白い。くちばしが長く鳴き声がオロロンと聞こえるためオロロン鳥と言われる。陸上ではペンギンのようによちよち歩くが水中では翼を使って飛ぶように泳ぐ。5月になると、天売島の崖のくぼみの繁殖地に現れる。7月になるとヒナのために餌を持った親鳥が繁殖地に戻って来る。巣立ちは7月下旬から8月上旬で、巣立ちが終わると島からいなくなる。
1963年には8000羽いたが1994年には19羽に減少してしまった。1990年から繁殖地にオロロン鳥の模型(デコイ)を設置して、呼び寄せる取り組みを始めた。2016年には35羽まで増えた。
夜中雨の音がしていたが、雨脚は小さくなったが雨模様の中、朝食をいただいて宿を後にする。
「磯乃屋旅館」に入り、島の産物を使った夕食をいただいた。
イチイの木に囲まれ内部が広場になっているところがある。
あいのこ船の5分の1の船
餌をくわえたウトウ。最高47匹の餌をくわえた。餌はイカナゴ、カタクチイワシなど。
「ヤンシュウ」とは一般手には、鰊漁場で働いていた出稼ぎ漁師のことを言う。
酒倉から50m程離れた所にある「旧商家丸一本間家」酒倉よりこちらを見たかった。
途中増毛町にある「国稀酒蔵」に立ち寄る。最北の酒倉ということで、明治15年創業の古い酒造会社である。創業者本間泰蔵は新潟県佐渡から小樽に渡、明治8年に増毛に移り住んだ。本業の呉服業に始まり、荒物雑貨販売、醸造業、海運業、ニシン漁にも手を広げた。創業から20年間は旧本店(現商家丸一本間家・北海道有形文化財)で酒が造られていた。明治35年からは現在地に地元の軟石を使った酒倉を建設した。平成13年に「丸一本間合名会社酒蔵」から「国稀酒蔵株式会社」に改めた。国稀は「乃木希典」大将からとったとのことでした。
1千メートル級の山々が連なる暑寒別連邦は本流の暑寒別川の豊富な水量と良質な水をもたらしている。この暑寒別岳を源とする伏流水を酒の仕込みに使っている。湧き出した「清水」を飲ませていただきました。
「ウニ」「アワビ」などの豪華な夕食をとり、「ウトウを見に赤岩展望台に再び行く。日が沈み夕暮れになると、海の方から一斉にウトウが巣穴に向かってとんで来る。餌を横取りしようと「ウミネコ」や「オオセグロカモメ」が待ちかまえている。餌の争奪戦が見られることもあるそうだが、今回は見られなかった。
ウトウ・背はこげ茶色で腹は灰色。橙色の嘴があり、その根本に白い突起がある。目とくちばしの後には白い飾り羽がある。海上に生息し、繁殖期のみ夕暮れ時に一斉に陸に上がる。天売には40万つがいが繁殖する。天売には3月に現れる。4月に土に掘った巣穴に1つの卵を産む。5月にはヒナが孵化しはじめ、親鳥は夕暮れに餌をもって巣に帰る。巣立ちが7月まで続き、巣立ちが終わると天売からいなくなる。
港の食堂で「海鮮丼」の昼食をとる。今日は海がしけていて漁に出られなかったので、ウニが無いが、ウニのある時は1000円増しで、「うに丼」が食べられるそうです。
ウミウ・全身は光沢のある黒色で、島には1500つがいが繁殖している。
ウミスズメ・岩穴や沖合の海上に棲んでいる。海に潜ってオキアミやイカナゴなどを捕まえて食べている。
ヒメウ・ウミウより一回り小型で、島には数万つがい繁殖している。崖の岩だなに集まって棲み、水に潜って小魚を食べる。
ウミネコ・崖上の草原に集まって巣をつくる。猫の鳴き声に似ている。
歩いて、「焼尻郷土館」に向かう。(小納(こな)家二代目の宗吉氏が明治33年に建造する。和洋折衷の造りで当時大変珍しいかったトタン屋根で外観は檜、内部は紫檀や黒檀の柱を使うなど贅を尽くした建物で、当時の鰊場の繁栄がしのばれる。)小納家は石川県の出身で、焼尻島では、漁業のほか、呉服、雑貨商、郵便局、電信局を併設していた。
ウバユリ
山ツツジの咲く向こう側には小さな池がある。この島は小さいが池や谷、沢があり、発電もしている。この反対側には「焼尻発電所」もあり、天売島の電気もまかなっている。
「御大典記念碑」(大正4年、大正天皇の御即位の記念事業として雲雀ケ丘公園を整備した。その後大正12年、当時の軍国主義的な思想を広めようと公園内に忠魂碑と大正天皇御大典記念碑を建立した。)公園と言ってもただの広場です。
古木の伝説(この場所には島の主の天狗が住んでいた。ある日教えを聞かずに木を切りに行った人がきった木の下敷きになり死んだので、それから木を切る人がいなくなったのでここに巨木が残った。)
歓喜木(オンコとホオノ木)
エゾチドリ
白いマーガレットが咲き乱れる「オンコの荘」(イチイは普通20m程になるがここは風が強く、雪も積もるので、高くなれず、枝がくねくねと絡み合う。この木で古代高官が持つ「笏」を作ったのでイチイという名がついた。)
白浜海岸から内陸に入るがそこに「ラナルドマクドナルド上陸記念碑」のトーテムポールがあるはずだったが、今は壊れてしまっていてない。(嘉永元年(1848)アメリカ人マクドナルドが焼尻島南海岸に上陸する。そこには島民がいなかったため、無人島かと思い、利尻島に向かい、島民に救出される。その後長崎に送られ4年ほど過ごし、日本で初めての英語教師になる。)
綿羊牧場・島の人口より多い綿羊(サフォーク)
隣の天売島が見える。
羽幌港からフェリーに乗り焼尻島へ。14時発、15時着、1時間で焼尻(やぎしり)島に着いた。海は穏やかで殆んど揺れなかった。マイクロバスで島を案内される。兵庫から移住したという若いガイドさんが案内してくれた。焼尻島は周囲約12kmの小さな島で、羽幌から西北西約25km、島の三分の一は原生林に覆われている。人口は297名である。やぎしりと言う名前はアイヌ語の「エハンケシリ」(近い島)「ヤケンシリ」(水揚げする島)からきている。
亀の木(オンコ)
ケイマフリ・目の周りが白く赤い足をしている。大きさは37cm。国内では本州北部とオホーツク沿岸に繁殖する。積み重なった石のすきまや崖の割れ目に1~2個の卵を産む。天売に来るのは4月で、5月になると繁殖地の崖に現れる。6月中旬になるとヒナに与える餌をくわえて崖に戻って来る。ヒナは8月上旬までに巣立ち天売からいなくなる。
赤岩展望台・展望台の周辺にはたくさんのウトウの巣がある。遠くの浅瀬にはアザラシがいて、望遠鏡で見せてもらった。
昨日道から良く見えなかった「鰊番屋」今も住んでいるので公開されていない。
海鳥観察舎に雨の中歩いて行く。窓から屏風岩、カブト岩が見え、断崖絶壁に海鳥が巣を作り、空を飛び回っている。
ウニ漁の船
天売小中学校
天売高等学校
厳島神社
今まで、いろいろな離島を旅してきた。今回は何の期待もせずに出かけたが。こんなに海鳥が繁殖する島とは知らなかった。これから「天売ウニ祭り」「綿羊祭り」「花火大会」と夏のイベントが続くようです。
午前9時40分の高速船で羽幌港に向かう。60分で港に着き港からバスに乗り千歳空港を目指す。
鶯谷の姥松(アカエゾマツ 樹齢300年)
エゾニュウ
洋ナシ型のオロロン鳥の卵
島一周の船も出ず、「海の宇宙館」も「みなみこうせつ」のコンサートの準備で入れず、いったん宿に入る。午後2時からコンサートがあるというので、行って見た。狭い会場は島民でいっぱいだった。30分の予定が1時間に延び、皆満足してコンサートは終わった。港で見送りをするというので港に行き、テープを持って船が出るのを見送った。
ウトウはウミガラスより小さな鳥で、褐色で、嘴の上に小さな突起がある。天売にいる鳥の中で一番多く、50万羽以上と推定する人もいる。昼間は海上に出て夜にならないと帰らない。傾斜地に深い穴を掘って巣を作る。そのに密度が非常に高く10m四方に150以上の穴がある。
天売島は羽幌港の西30kmの日本海に浮かぶ島。島の東側に浮かぶ焼尻島とともに羽幌町に属している。周囲約12km、人口は317人。アイヌ語のテウレ「魚の背腸」もしくはチョウレ「足」に由来する。北海道天売高校があり、全国から生徒を受けいれている。西北海岸は崖が続き、ウミガラスやウトウ、ケイマフリ、ウミウ、オオセグロカモメ、ウミネコ、ウミスズメ、 などの海鳥の繁殖が確認されている。
隣の郵便局に寄り、絵葉書を何枚か記念にいただく。
焼尻港に歩いて行くと、フェリーがもう着いていた。午前9時40分発、10時5分に天売島に着いた。島の観光バスに乗り、島内を観光する。
イチイは雌雄異株で、成長が遅く、葉は濃緑色で先端がとがっている。イチイだけの林では葉が反り返っているが、高い木の下に生えると葉が水平になる。と教えてくれた。赤い実がなる。実は食べられるが種は猛毒である。
「オンコの荘」から徒歩で散策する。オンコとは「イチイの木」のことで普通は10m以上になるが、この島のオンコは風と雪のため奇妙な形をしている。「般若の木」
鷹ノ巣園地・島の最西端にある。ここは昔,タカ類が繁殖していたことからこの名がついた。海抜90mの島で一番高く、北に利尻富士、南に暑寒別岳、東に手塩連山、西に天売島が見える筈だが、天売島しか見えなかった。
オロロン鳥
旧花田家の耐火金庫
昨日はいれなかった「海の宇宙館」を見学する。海鳥の写真が沢山飾られていた。
3日目
天狗の腰掛(ナラ)
キャンプ場を造ったが人が来てくれないと嘆いていた。
金唐和紙の襖
ウトウの巣