2020.1.4~5

天龍村の霜月神楽 坂部

長野県下伊那郡天龍村坂部は、背後の尾根を南に越えれば愛知県、天竜川を東に渡れば静岡県という長野県の最南端に位置する集落である。坂部の初代熊谷貞直は新田義貞を父に持ち、足利尊氏の討手を逃れて、遠州からこの地に到達した。文和元年(1352)に「左閑辺」で老婆に会い、定住を決意、源公平(天龍村坂部日代)に移り住んだ。

面形が終わり、時間も午前9時30分になったので、帰ろうとすると、いろいろ教えてくれた方が「これからが面白い。見たほうがいいよ。」というので見ていくことにした。

午後6時頃、下の森火の王社から行列が出発し、笛、太鼓で祇園囃子をはやしながら諏訪神社に向かう。神社で待っていると、下のほうから祇園囃子が聞こえてくる。禰宜ー御輿ー大太鼓ーとりひげ持ちーはぎなた持ちー太鼓多数ー笛多数ーの順番に石段を登ってくる。

40分ほどかけて諏訪神社に到着し、境内に入る。これを「宿入り」という。これに合わせて庭木が点火される。お練りの若者は神社の前庭で輪を作り、「願人踊り」「伊勢音頭」を交互に繰り返す。その後宮司、氏子総代、来賓らが拝殿にのぼり、神社庁制定の祭式にのっとった祭典式を行う。

12時を過ぎ祭りは神事や舞が続くが車に帰ってシュラフにくるまって狭い車の中で仮眠する。先日の長峰神社の花祭りでは寒くて車の中で寝られず、一睡もせずに夜通し祭りを見ていたので、今回はシュラフを持ってきた。少しは寝られたと思う。

火の王・松明に導かれて水の王と同じ歩みで幕内から登場し、湯釜を巡回りで三周する。この時、面の鼻先で宙に「」の字を書いては湯釜を見つめる所作を行う。火の王様が出ると、水の王が鎮めた湯がふたたび沸き起こるという。

焚火にあたって暖をとり、舞台に目をやると観客が引いてしまって誰もいない。三人は釣り竿に麻ひもで結び付けた魚を投げ出して見せびらかし、それを奪おうと近づく観客に向かって、酒でかみ砕いたオシロ餅を吹きかける。観客はかかるのを承知で魚を捕りに行く。随分下がってみていたが白いしずくがカッパについた。魚を採った人は服が白く粉まみれになっていた。

たいきり面(道開け様」が午前5時過ぎに登場する。ヨキを立てて左右をにらみ,足を後ろに振り上げて踏みしめる「立ちヨキ」、ヨキを左右に振る「切りヨキ」火見せの二人が持つ松明にヨキを強く打ち付ける「松明切り」がある。)

新野峠を越え、天龍村坂部に入り、細いくねくねした林道を通って「大森山諏訪神社」に向かった。神社では村人が祭りの準備をしていた。現在は11人しか住人がいないので、他郷に転出した人々が里帰りをして祭りを盛り立てている。かって分校だったところにある「コミュニティセンター」が仮眠所になっていて、寄ってみるとたくさんの人が布団を敷いて休んでいた。多分里帰りの人たちだと思った。

釜洗い・天竜川から汲んできた浜水を湯釜に注ぎ、小禰宜が湯釜を洗う所作をする。洗い終えると床板をめくって湯釜の水を床下に流す。拝殿軒下の水桶から湯釜に水を汲み入れ、囲炉裏に転嫁する。小禰宜が湯釜の正面に座し、「大祓詞」「祝詞」を唱え、湯釜に藁製の「湯じめ」をつける。

獅子面・素朴で大型の獅子頭による舞。舞手は大幣と鈴を持ち、幌の後ろにはもう一人の「後取り」が入って後ろ足をつとめる。周囲の人たちは「めでためでたの若松様よ、枝も栄える葉もしげる」との伊勢音頭ではやす。最後に小禰宜が「獅子の笹ばさみのところをお目に掛けます・・・・」と言って湯笹を獅子の口の前にさざし、食いつこうとする獅子をからかう。獅子は最後に笹をくわえて退出する。

翁様・手拭いで頬かむりをした上に面をつけ、鈴と扇をもって、やや前かがみ腰になって登場する。大黒柱の前に立つ小禰宜に呼び止められ問答となる翁の姿を「額を見れば鉢額、目を見れば猿眼」などと笑う小禰宜に対して、翁はあらゆる山河や句に国々の行立をすべて覚えていることを自慢する。滑稽なやり取りの末に「時刻も遅い」と促され、「ありがたや・・・」のはやしにあわせた順の舞で五方を拝み退出する。

素面の舞海道下りと魚釣りが行われる。海道下りは、爺は手に湯釜の上の「湯ふた」から外した大幣束と鈴を持つ。婆は天公鬼の撞木棒を杖に、腰に結んだ綱の先に丸めた上衣を結び付け、よろめきながら登場する。小禰宜と二人は餅を搗くが力比べをするのでなかなかうまくつけない。ようやく12月の餅を搗き終わると「おじいの恥はばばの恥、ばばの恥はおじいの恥」と言いながら幕に戻る。

日月面、女郎面(てらぼこの舞)歯の欠けた滑稽な表情の日月面若い女郎面による舞である。日月面はたすき掛けの袴姿にぼろをまとい、女郎面を待ちわびる、「しらみがわいとるぞ」「歯が黒いぞ」などをからかい、日月面も体を掻いたり、歯を磨く真似をする。女郎面は黒紋付の振袖で、左手に半開きの扇、右手に鈴をもって胸の前で合わせる所作を繰り返す。女郎面が五方を舞い終わると、ようやく女郎面に触れることを許され、肩を抱くようにして一緒に退出する。

下の部落まで降り、「火の王社」に行く。(永享4年の地震で、地割れが発生し、占いにより当社の鬼門に火の王、水の王を祀るべし)と書かれている。その奥に「長楽寺」がある。(寛永元年、七日七夜の長雨で池が氾濫し、被災した馬2頭と13人を祀る)と書かれていた。20分ほどかかって上の神社まで戻り、車の中で午後6時になるのを待つ。

その後「浦安の舞」となる。扇舞と鈴舞がある。その後
 「注連引き」「御供渡し」「大庭酒」などの行事がある。
上衣に袴姿の4人の神子が、扇と鈴をもって舞堂のオモテに横一列に並んで舞う。「五方拝み」「空釜拝み」からなる。

5時前に神社前に行く。「火の王神の御湯」が行われていた。下の森火の王社に捧げる湯立てである。本舞、湯立て、舞上げがセットのなっている。本舞は「上衣」「やちこ・紙垂のついた木刀」「つるぎ・鞘に納まった刀」「抜き身」

鬼神面と天公鬼面

鬼神面

天公鬼は槌状の「金剛杖」をもって登場する。「怒っている面なので荒く舞え」と言われる。鬼神と背くらべの舞の後、鬼神は退出する。小禰宜との問答に負けて杖を奪われ上衣を着せられ舞う。舞い終わるを金剛杖を返してもらって青公鬼を待つ。

鬼神は手に「鬼神棒(しもく)」をもって登場する。「笑っている面なので、皆を笑わせるように舞え」と言われる。鬼神は三回舞った後、大黒柱の下で「もどき」とも呼ばれる小禰宜に扇で頭をたたかれて問答となる。位(年齢)比べで負け、杖をさしだす。上衣を着せられ鈴と扇で舞い、この時周囲の者は「ありがたや誠が神行、引いても引かれぬ此の榊」とうたいはやす。鬼神は上衣を脱がされ棒を返してもらう。

青公鬼は面長で高い豚鼻を持つ青塗り面で、手には六角の「撞木棒」を持つ。「この鬼は年寄りの面なので、おとなしく舞え」と言われる。天公鬼は退出すると、青公鬼は問答もなく上衣を着せられ、鬼神と同じ「ありがたや」のはやしで「順の舞」を五方に舞う。

問答やはやしている言葉などは聞き取れなかったが「坂部の冬祭り」見学のしおりを買い、参考にした。作られたのは平成28年になっていて、そのころの人口は12世帯21人となっていたが、現在は11人まで減ってしまっている。祭りの存続も大変なことだろう。

花の舞」男児4人の舞で、年齢は13歳前後がよいとされている。採り物を変えながら「上衣」「花笠」「扇」「湯桶」「大根」「粉餅」「花」「花返し・閉じた扇と鈴」花返しでは「かやせ かやせ 清めてかやせ」とはやしながら村人たちも舞堂の登り口で一緒に舞い、前半のクライマックスになる。

三匹の鬼が順々に登場する。鬼が入れ替わる際には二匹が組になって「背比べ」と呼ばれる舞を舞う。

水の王(しずめ様)・両手に湯たぶさ二束を持ち、右手に水柄杓一口を持ち、それを腰に当てて登場する。「火見せ」が持つ松明の火に導かれて、太鼓の音に合わせて足踏みと上体反らしを繰り返して進む。(遠山郷の面をつけて登場する人たちと同じ動作である。)湯釜の正面で「東方に木の水取りて、此の湯にしめし参らせる。」などの呪文を唱え、中空の水を両手で湯釜に入れる所作を繰り返す。1周目は「空回り」といって湯をかける真似をする。2.3周目は「本回り」といって湯たぶさで周囲に湯をはねかける。遠山霜月祭りの水の王をほうふつとさせるが、かかる湯は少しで回数も少ない。

後は神事が続き終わるのは正午過ぎになるというので、帰ることにした。神社を出発したのは午前10時50分で、藤枝に着いたのは15j時15分だった。帰りは林道が凍っているところがあり、スタットレスのレンタカーで行ったのは正解だった。