2020.2.15~16
大樹寺
東京から来るツアーに豊橋駅で合流し、バスに乗り込む。参加者は意外に少なく15人ほどだった。
普門寺
鐘楼門
豊橋市雲谷町ナベ山下にある普門寺に向かう。奈良時代神亀4年(727)行基によって開山された。本尊の聖観音菩薩立像が11世紀、菩薩形立像が10~11世紀の彫刻であることが判明している。
鬼塚・昔修行の僧が村人が止めるのを聞かず「母面」「父面」をつけて踊ったところ、面が顔からとれなくなって死んでしまった。鬼塚には面と僧が葬られているという言い伝えがある。それ以来「母面」「父面」はない。
瀧山寺は天武天皇の御代に開かれ、1300年の歴史を誇る古刹である。役行者小角が青木川の滝つぼより拾い上げた仏像を自らが彫った薬師如来の体内に納め、一堂を建て祀ったのが始まりとされる。
宝物殿を見学する。運慶、湛慶作の重文「聖観音」「梵天」「帝釈天」三尊、鬼祭りの鬼面(祖父面、孫面、祖母面)が展示されている。
財賀寺は聖武天皇の勅願により、行基によって開創された。文政6年に建てられた現本堂は国の重要文化財の厨子に千手観音菩薩が安置されている。山門の金剛力士像は阿形像高381cm,吽形375cmの巨像である。天衣は腕に巻き付け、腰に太い縄状の帯を締めている。材はヒノキ。
バスの中で豊橋駅で買った「手筒花火弁当」を食べる。いつも買いたいと思っていたが売り切れで買えたことがなかった。今日は朝早かったので買うことができた。海苔巻きが手筒になっている。
手筒花火は戦国時代ののろしが起源と言われる。江戸時代、吉田藩は幕府から火薬取り扱いを許されていて花火が栄え、三河地方では祭礼に手筒花火が神社に奉納され、五穀豊穣を願う祭りになった。手筒花火は奉納する人々によって最初から開度迄作られる特異な花火で、最も原始的で豪快、素朴な美しさをもっている。
一宮市浅野前林の禅林寺は摂関政治の時代、藤原実頼の追福のため終わりに薬師物を祀ったのが始まり。15世紀の大洪水で、堂塔はすべて流失し、仏像も沼底に沈んだが奇跡的に再び出現したと伝えられる。
国重文の木像薬師如来坐像が祀られている。制作は平安時代末期と推定される。
阿弥陀如来坐像(国重文)
釈迦如来坐像(国重文)
岡崎市鴨田町広元にある大樹寺は松平家・徳川将軍家の菩提寺で、文明7年(1475)4代親忠により勢誉愚底上人が開山した。本堂から宝物館に入る。国重文の冷泉為恭ふすま絵、歴代将軍の位牌、家康73歳の木像などが祀られている。
多宝塔は国重文で、天文4年(1535)家康の祖父・松平清康が建立した。また家康の墓もある。
2日目
長光寺
法華寺
七寺
禅林寺
稲沢市法花寺町にある法華寺は国分尼寺の後裔で、16世紀に禅宗寺院として再興された。本堂の中央に薬師如来坐像が安置されている。定朝の様式をよく受け継いだ仏像で、斜め下から見上げた姿は大変美しい。国重文に指定されている。 涅槃図も掛けられていた。
財賀寺
滝山寺鬼祭りは三河路に春を告げる、旧暦正月七日に、天下泰平と五穀豊穣を祈願して行われる。源頼朝公の祈願により始められたと言われている。
仏前法要に始まり、鬼塚供養(豆まき)、庭祭り(田遊祭り)クライマックスの火祭りと続く。西次郎の長刀が地面につくのを合図に拍子木を打ち、全体の照明が消され、境内の大松明を倒して消し、内陣では半鐘を乱打する。鬼面をかぶった3人が手引き衆に導かれ30数人の松明を持った白襦袢の若者とともに乱舞する。3人は鬼面をかぶり、鏡餅をもって子供は若衆に抱えられ本堂を駆け回る。
本坊で「精進料理」をいただいて、坂を幟上り、「鬼祭り」会場の本堂前に行く。左手に観覧席があり、2階に上がり座る。
瀧山寺
四天王立像(国重文)
不動明王 2童子
最後に水の入った桶に松明を放り込んで祭りは終わった。最近夜通しの祭りが多かったので、2時間ほどで終わってしまうのは拍子抜けだったが、観客は多かった。
名古屋市中区大須にある七寺は、もと長福寺といい、はじめ行基が尾張国萱津に創建し、平安時代前期に紀是之によって七堂伽藍が整備された。その後荒廃していたのを、平安後期に大中臣安長によって稲沢に移され再建された。桃山時代に清州へ、江戸時代に現在の場所に移された。国重文の観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像が祀られている。ともに戦災で焼失した阿弥陀如来の両脇侍で、座高137.8cmの木像乾漆寄木造り。境内の大日如来像(青銅製)は戦火で焼けてつぎはぎだらけのお姿で鎮座している。
稲沢市六角堂東町の長光寺は尾張六地蔵のひとつで、境内の真ん中に建つ地蔵堂が六角の円堂になっている野で六角堂と呼ばれ、地名にもなった。室町建築で、平頼盛の寄進で創建されたと伝わる。国重文の「鉄造地蔵菩薩立像」が納められている。世の中に悪いことが起きると全身に汗を噴出して人々に知らせると言い伝えられ、「汗かき地蔵」とも呼ばれる。織田信長がこの井戸水を愛飲したといわれる井戸があり、清州城や岐阜城まで取り寄せたと伝えられる。
2日目は雨が降ったが、1日目の火祭りは天気も良く、豪快な松明の炎と3人の鬼の乱舞を見ることができた。鬼に選ばれた3人は祖父、父、孫の三世代の家族で、白い丸いものを持っているなーと思っていたが、遠くてなんだかわからなかった。同じツアーの人で目近で見見ていた方に「鏡餅」だったと教えてもらった。
豆まきでは、観覧席のほうまで来てくれたが豆やたんきリ飴を拾えなかった。隣の人が二つ拾ったからと一つ分けてくれた。岡崎の人はやさしい。名古屋駅でツアーと離れ、東海道線で藤枝に帰った。
長い坂と石段を上ると本堂がある。
厨子の前にはお前立の千手観音が立っているが、今日は出張していておられなかった。
豊川市財賀町観音にある。
鬼面の落雁