H.27.04.14~04.15
飛騨高山獅子頭会館の中の「からくりミュージアム」で、カラクリの仕掛けを見学した。
静岡駅前で、少し遅れてきたバスに乗り込み、午前10時に出発した。お酒やつまみを持ったおじさん4人組も乗り込み、朝から早速宴会が始まってうるさい。途中岐阜県高山市荘川町(旧荘川村)の荘川桜に立ち寄った。
恵比寿文字書き・今回は「高山まつり」と書いた。下で操る人が筆を動かしている。文字書き人形。九代目玉屋庄兵衛の作品。
角兵衛獅子・角兵衛獅子が綾から綾へ渡っていく放れカラクリ。八代目玉屋庄兵衛の作品。
御母衣ダム湖岸に移植された樹齢樹齢450年と推定されるエドヒガンの古木が2本ある。樹高20m、幹周目通り6m。御母衣ダム建設時に、ダム湖底に沈む運命にあった桜を、1960年に、移植し、荘川村に因んで、「荘川桜」と名付けた。 開花は、4月中旬ということだが、まだ蕾も硬く、咲きそうな気配もなかった。周囲はまだ雪が残り、冬の気配がただよっていた。
雨の中、高山祭屋台会館へ向かう。
仮牢跡(薪炭小屋跡)・この建物は薪炭小屋として建てられたが、天保年間に仮牢として転用された。本牢は陣屋外のえび坂に設置されていた。
五台山・丸山応挙が描いたとされる下絵を西陣で刺繍した獅子牡丹の刺繍幕、幸野楳嶺の原画による雲龍昇天図などは、圧巻の芸術作品。
高山市の前身である高山町の行政資料を所蔵し、市政の移り変わりを紹介している。
吟味所・御白洲(南)・刑事事件の取り調べを行った。ぐり石敷、屋根付きが特徴。民事は北の御白洲で行った。
秋の祭りで使われる屋台が交代で4台展示されている。
御蔵・元禄8年(1695)高山城三の丸から移築され、年貢米の蔵として使われた。全国で最古・最大の米蔵と言われる。
会館を出ると、雨があがり、青空も出ていた。時間も迫って来たので、バスに急ぐ。雨が上がったので、屋台蔵から出てきた屋台もあったようだが、時間が無くて見に行くことはできなかった。
今回は、二日とも雨にたたられ、屋台の全貌を見ることはできなかった。屋台は背が高いので、3階の屋根の部分が下がるようにできていて、私たちが見ていたものよりずっと大きなものらしい。絵で見ただけだったが、青空の下で曳きまわされる豪華な屋台を見て見たかった。
祭りをテーマに300点余りの獅子頭を展示している。日本で唯一、国指定重要有形民族文化財に指定されている。
茶運び人形・茶碗をのせると動き出し、茶碗をとると止まり、またのせるとくるりと反転してもとに戻っていく座敷からくり。七代目玉屋庄兵衛の作品。
大黒様の獅子舞・大黒様が小槌を振ると、壺からきれいな花が現れ、大黒様の面が獅子に変わり、舞い踊る。28本の糸を操る糸からくり。七代目玉屋庄兵衛の作品。
牛若丸と弁慶・棒カラクリ、七代目玉屋庄兵衛の作品。
会館の横には、桜山八幡宮がある。仁徳天皇の時代に先代の応神天皇を祀ったとされ、江戸時代に、金森氏が領主になった時、氏神として当社を保護、宮川以北の住民を氏子とした。19段全部が一枚石でつくられた大石段を登ると、立派な総檜造りの社殿がある。
仙人台・高山祭の屋台中ただ一台屋根が唐破風で、昔は「久米の仙人と美女」の繰り人形だったが、風紀に良くないということで、現在は仙人像だけが飾られている。
役宅の庭園・天明年間に造り替えられ。その後も手を加えられた。
高山陣屋は全国で唯一現存する郡代・代官所である。元禄5年(1692)徳川幕府は飛騨を幕府直轄領とした。それ以来、明治維新まで、25代の代官・郡代が江戸から派遣され政務を行った。御役所・郡代役宅・御蔵を合わせて「高山陣屋」という。
石橋台の「石橋人形」打掛がめくれると獅子頭が出現するというからくり。からくりは午前10時と午後2時の2回で、午前10時に高山に来て2時に帰るという私達の時間とはあわず、結局見ることはできなかった。
一日目は「夜祭」を見学する予定だったが、あいにくの雨で、自分たちが、各屋台蔵を見にまわることになった。三番叟・龍神台・石橋台は、からくり奉納をするそうだが、それも見ることができなかった。 夜祭は、それぞれが、百個もの提灯を灯し、12台が町を巡り、闇夜を照らす。順道場を過ぎると、曳き別れ歌「高い山」の調と共に各屋台蔵へ曳いていかれます。
高山市を流れる宮川に架かる中橋。
高山祭りは、日本三大美祭りのひとつで、春の「山王祭り」と秋の「八幡祭り」の総称で、その起源は16世紀後半から17世紀と言われてる。毎年4月14日、15日に行われる「山王祭り」は、旧高山城下町南半分の氏神様である日枝神社(山王様)の祭礼で、国の重要有形民族文化財である。12台の屋台が曳き揃えられ、からくり奉納や夜祭などの伝統行事が行われる。
開花時の写真
秋の高山祭りの「布袋台」は享保年間の創建で、布袋の繰人形を主題として建造された。布袋和尚と唐子2体は、繰り手綱36条と9人の綱方を要する極めて複雑巧妙なからくり人形で、離れからくり人形中最高のものである。
飛騨の国は、大和朝廷に税の代わりに匠を毎年送り出していた。選ばれて都に出た匠たちは、奈良の都の宮殿やお寺の建築に従事して、その腕を振るった。凡そ600年の間匠が都に送られ、延べにして7~8千人の飛騨人が都で働いたことになる。この人たちを「飛騨の匠」と呼んでいる。江戸時代中期に大輪の牡丹のように花開いたのが高山祭りの屋台である。
桜山八幡宮神輿・重さ2トン半の大神輿は最近は担ぎ手不足のためここに展示されている。祭りには小さめの神輿を担いでいるようです。
陣屋前で奉納される闘鶏楽・闘鶏楽は古くから飛騨に伝わる独特の神事で、鳥毛の付いた花笠をかぶり、色模様の着物姿で、鉦を鳴らす。
青龍台・屋根は全屋台中唯一の入母屋造り。高山城天守閣を模したもので、棟には金シャチを飾る。最大級の大きさを誇る屋台。
鳳凰台・遠くからでも目を引く高さ2.37mの鉾。オランダ古渡りの赤・黒・黄の三色建堅幕、色彩の施された八頭の麒麟の彫刻。
神楽台・楽人が屋台囃子を奏でて屋台の行列を先導する。直径1.18mの大太鼓や金色の鳳凰、豪華な御所車など。獅子頭は徳兵衛獅子
2日目
三番叟・かわいらしい童が一瞬で翁に変身するからくり奉納。あざやかな早変わりの演舞は、綱を操る熟練の綱方たちのなせる業。
龍神台・龍神と唐子のからくり奉納。唐子が置いた壺の中から、その倍の大きな龍神が出現し舞い踊る。
旧高山町役場(高山市政記念館)
高山の街並
宿泊した下呂温泉のホテルをバスで出発し、午前10時に高山に着いた。今日も雨で、御巡幸・屋台曳き揃えの中止で、昨日同様、自分たちで、屋台蔵をまわることになった。昨日閉まっていて見られなかった屋台を見に行くことにした。
玄関の間・文化3年(1816)改築時のままの御役所玄関。2間半の大床、壁一面の青海波。
恵比須台・見送り幕の左右を飾る、手長・足長の彫刻が大人気。人間の十面相を模した獅子彫刻など、飛騨の匠の遊び心が鑑賞できる。
石橋台・編み笠の美女「石橋人形」のからくり奉納が人気。打掛がめくれると獅子頭が出現し、再び美女に戻る。
琴高台・金糸の波浪や色糸の鯉が鮮やかな緋幕が目印。鯉の彫刻や滝登りの錺金具なども「琴高、赤鯉に座し来る。」の故事にちなんだもの。
崑崗台・屋根飾りの金弊や金塊を表した蕪型の宝珠など、目にもまばゆい金の意匠。中国の金の産地・崑崗に由来する。
照蓮寺の桜
光輪寺の桜
大国台・祭神は大黒天。屋台曳行の際に前後左右に屋根が揺れる構造で、綿密に計算された高山の屋台の動きの美しさを楽しめる。
麒麟台・飛騨の名工・田口与鹿の唐子群游彫刻。一本をくりぬいて龍と中の鶏を彫りあげた屋台彫刻の傑作。
春の高山祭り