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高遠城址公園の小彼岸桜

新城藤原神社・7代藩主内藤頼寧は、天正10年織田の大軍を引き受け壮絶な最期を遂げた信玄男5男、仁科五郎盛信の霊を五郎山より城内に迎え「新城神」として祀った。以前より城内には藤原鎌足を祀った藤原社があったため、合祀して今日に至る。

静岡駅からツアーバスに乗り、第二東名、中央道を走り諏訪インターで降りる。杖付き峠を通って、おぎのや諏訪店で休憩、買い物をする。バスに戻ると、「峠の釜飯」が置いてあった。まだ10時前で早いが早速いただく。10時40分高遠城址公園に着いた。

早太郎伝説(700年前、光前寺では早太郎という山犬が飼われていた。遠州見附天神では、毎年祭りの夜に神前に人身御供として子女を供えていた。子女をさらう怪物が信州の早太郎を恐れていることを知り、子女の身代わりとなった早太郎の力によって怪物は退治され、村の災難が除かれた。早太郎は不動明王の化身であり、霊犬として信仰を集めた。今なお見附より報恩の参拝が続いている。)

信州名物ソースかつ丼」の弁当を少し早いがバスの中で食べた。冷えていたのであまりおいしくなかった。はじめて食べたときはキャベツの上にソースのかかったカツが乗っていたのには驚いたが、最近では家でも時々作ります。

太鼓櫓・江戸時代、時を報じる太鼓を打っていた。鼓楼は搦手門のそばにあって、楼上に三太鼓を備え、時刻が来ると、時の数だけ打って時を報せた。現在太鼓は高遠歴史博物館に展示されている。

高遠城は三峰川と藤沢川に削られた河岸段丘の突端に位置している。段丘上から見ると平城に見えるが、他の三方から見ると川敷から80mも高く、山城の姿をしているため「平山城」と言われている。古くから諏訪氏の勢力圏で、南北朝のころはその支族である高遠氏が治めていた。ここが諏訪から伊那に抜ける交通の要衝であり、南信濃から駿河に進出するための重要な地点であったことから、武田信玄の侵略にあい、その旗下に属した。 武田氏による高遠支配は35年間続いたが、高遠城が南信州の拠点として重要視されたため、城主は諏訪(武田)勝頼仁科五郎盛信など信玄の近親者が就いている。天正10年(1582)織田軍と戦った盛信の姿は後々まで語り継がれ、盛信の流した血は境内に植えられている小彼岸桜の赤みにもなぞられている。城址は旧藩士により「桜の馬場」から桜が移植され、明治8年に公園となった。 高遠城は日本100名城に認定されている。

この門は高遠城下、本町の問屋役所にあった門である。江戸時代主な街道には宿駅が定められ、問屋とんや)と呼ばれる公用荷物の継ぎ送り、旅人の宿泊、運輸をとり扱う町役人を置いていた。昭和20年代、問屋役所取り壊しの際に、売却されたが、有志が買い戻し現在地に移築したものである。

門を入ると「本丸跡」に出る。江戸時代本丸には天守閣はなく、平屋造りの御殿や櫓、倉などがあった。

裏面は河東碧梧桐の句碑。「西駒は 斑雪てし尾を 肌脱ぐ雲を」高頭出身の書家 中村不折の揮毫

三峰川と高遠湖と歴史博物館

南ゲートを出て桜のトンネルの階段を降り、歩道橋を渡ると「絵島囲み屋敷」がある。絵島生島事件により高遠に流され、屋敷に幽閉される。朝夕2度の一汁一菜の食事、木綿の着物、酒、菓子を禁じる。大奥のことを一切口にしない清廉な姿勢が高遠藩主に一目置かれるようになった。往時は城下から一里離れた非持村にあったが、現在の場所に復元された。

蓮華寺にある絵島の墓

法幢院曲輪は二ノ丸から堀内道で通じていた。城郭の南端に位置し、曲輪の東方には幅6m、長さ170mの馬場が続いていた。ここにはかって法幢院という寺があった。ここからは中央アルプス、南アルプスが見えるというが今日は見えなかった。

南曲輪 本丸の南に位置する。保科正之が幼少のころ、母お静の方と居住したといわれている。

二ノ丸跡 二ノ丸には、役所むきの多くの建物が建てられ、厩、土蔵等もあった。

光前寺

咲いていれば見事な枝垂れ桜

桜雲橋(緩やかな太鼓橋)橋を渡ると問屋門がある。

タカトウコヒガンザクラは明治8年から植えはじめ、樹齢130年を超える老木を含め、約1500本の樹林となっている。花形はやや小ぶりで赤みを帯び「天下一の桜」と称され、県の天然記念物の指定を受け、平成2年には桜100選に選ばれている。

表面は広瀬奇壁の句碑 「班雪 高根 朝光 鶯 啼いて居」(はだれ たかね あさかげ うぐいす ないてい)遠く東の仙丈ケ岳を眺めて読んだもの。

保科正之公像、お静顕彰碑

保科正之は、秀忠の庶子。信州高遠藩藩主保科正光の養子。会津23万石の領主となり、幼少将軍家綱を補佐し幕政に参与した。民生の安定、社会政策の実施に尽力した。

遠照寺に分骨の墓がある。

高遠閣」昭和11年に観光客の休憩所や町内の集会所として建てられた。木造2階建て、鉄板葺入母屋造りの大規模な建物で、千鳥破風、唐破風を備え持つ。

桜のトンネル

白兎橋

駒ケ根市赤穂にある「光前寺」に向かう。枝垂れ桜で有名だが、行ってみると一輪も咲いていなかった。樹齢数百年の杉の巨木に囲まれた境内を歩く。

三門 三解解脱で迷より悟りに入る門の意味。楼上に十六羅漢を安置している。

本堂 本尊不動明王,八大童子を祀る祈願霊場。そばに霊犬・早太郎の木造がある。

三本杉

弁天堂 当寺で最も古い建物で重要文化財に指定されている。室町期の様式をうかがう古建築。中に弁財天が祀られている。

一切経蔵 600年前に遠州見附の天満宮から奉納された大般若経600巻他多数の宝物が収蔵されている。

三重塔 文化5年(1808)再建。五智如来を安置。

霊犬早太郎の像と墓

上穂十一騎ノ碑 大坂夏の陣で真田幸村の配下で戦った,上穂郷の農家の次男、三男の十一人。全員戦死した。