2018.9.8~11
孔府
午前10時に家を出て、車で東名浜松西インターの遠鉄バス乗り場にむかう。車を預けてバスで、中部国際空港に向かう。定刻に着いて、手続きを済ませる。 中国東方航空直行便で17時10分に離陸し現地時間18時55分に青島(QINGDAO)空港に着いた。約2時間45分のフライトで、空港からバスで約8Km走りホテルに入る。飛行機も定刻に着いて、近距離のフライトは楽だった。日本より1時間の時差である。
碧霞祠
3日目
すべての観光を終えて、青島発MU-2005機で帰国の途につく。約2時間20分のフライトで、定刻に中部国際空港に着いた。今回は、お天気にも恵まれ、交通事故を2回見たりしたが私達は事故も無く、旅行を楽しめました。青島空港での入国に際して、指紋をとられたのには驚きました。手が乾燥している私はなかなかOKが出ず、苦戦しました。後で聞くと、70歳以上はしなくても良かったようです。また、中部空港でのに入国もパスポートを機械にかざすだけになっていました。機械化されつつあるような、面倒な手続きが増えるようでもありました。 中国の古い歴史に触れた4日間でした。
ビールを飲んで幸福になった後、「小魚山公園」に行く。青島市の中心部にある小高い丘の上にある。楼閣に上るとドイツ時代に建てられた赤い屋根の建物が印象的なドイツ風旧市が見える。邸内では、結婚式の前撮りか、ウエディングドレス姿の花嫁さんが写真を撮っていた。南の方角には湾が見え、青島の人が好きな海水浴をしている人たちが見えた。
「青島人的幸福三宝」「喝啤酒」「吃蛤蜊」「洗海澡」青島の人の幸福はビールを飲んで、貝を食べ、海水浴をすることである。
1903年にドイツの租借地になり、租借地経営の一環としてビール生産の技術移転を行った。1903年、ドイツから日本が引き継ぎ、大日本麦酒が買収し経営を行った。1945年、日本の敗戦により、中国側に接収される。ビールの試飲をする。
山東半島の港は半島の北部に集中し、半島南岸に位置する青島は辺鄙な漁村に過ぎなかった。日清戦争後、三国干渉で中国に恩を売ったドイツは膠州湾に目をつけ、宣教師が山東で殺された事件を口実に上陸し、1898年に膠州湾を999年間の租借地とした。青島はドイツのモデル植民地として、街並みや街路樹、上下水道などを整えた。今なお残る西洋風の街並みや青島ビールなどドイツの影響が大きい。
約4時間あまりバスで走って青島に着いた。夕食は青島ビールの飲み放題の海鮮しゃぶしゃぶだった。海鮮より、野菜が多かった。1日目と同じホテルに入ったのは10時を過ぎていた。
子供時代を過ごしたということで、記念して建てられた記念館で、ほとんど見るべきものは無かった。壁には絵が描かれていた。「三顧の礼」や「赤壁の戦い」などが描かれている。
昼食後、バスで臨沂市に移動する。約2時間20分で「諸葛亮孔明記念館」に着いた。諸葛亮の生まれた所である。諸葛孔明は、漢王朝時代の後期に三つに分裂した戦乱で活躍した軍師の1人。当時中国は「魏」「呉」「蜀」に分かれて戦っていた。孔明は蜀の皇帝・劉備に仕え、その子・劉禅の補佐をした。
昼食は、曲阜名物・孔府宴をいただく。宮廷料理だそうです。
孔子の墓
墓門
桃売り
孔林
孔子が使ったとされる「古井戸」の傍に「魯壁」がある。孔子9代目の孔鮒を記念して造られた。始皇帝の「焚書坑儒」の際に儒家の著作を壁の中に隠して保存した。
杏壇
ホテルにて朝食後曲阜に向かう。1時間30分で曲阜に着いた。春秋時代の魯に思想家・孔子が現れた。彼の思想は後に「儒教」と呼ばれる。前漢に入ると高祖・劉邦は大々的に孔子を祀る儀式を行った。孔子の子孫たちは曲阜に代々居住し、中国でも第一の名家となった。その一族は21世紀の今日まで続き、曲阜周辺には10万人を超える孔姓の人々が住んでいる。
、曲阜は春秋時代の魯国の故地であるほか、孔子の生地として知られている。「国家歴史文化名城」の称号があたえられ、1994年世界遺産になった。
泰安は楊貴妃が愛したといわれる「肥城桃]が有名で、不老不死の果実と言われている。先のとがった桃。町の中心街に桃を頭上に掲げた像が立っている。
2日目
泰安のホテルに着き、豆腐料理をいただく。豆腐料理は2種類しか出なかったが。夕食のあと泰安のホテルに入る。
売店では、昨日食べた「トウモロコシ煎餅]が売られていた。中国語でも煎餅と言うらしい。
石段をおりて帰り、「青帝宮」をお参りする。大きな線香を売る店が出ていた。途中「道教」の寺院があった。
600段の石段を上りきり「玉皇頂」に着いた。お参りをして後ろ側に回りこむと奥に「日観峰]が見える。ホテルと気象台の建物が建っている。
神門をくぐり石段を皿に上ると、「一唐魔崖」の広場が現れる。いろいろな文字が刻まれている、一番右の金色に輝く文字は726年に「玄宗皇帝」が封禅儀式を行った時の物である。
聖水井
天街の土産物屋を過ぎると、西神門の石段が見えてくる。石段を上り下を見下ろす。
ロープウエイ山頂駅から天空橋を渡った先に「南天門」が見えてくる。その門に向かって石段が下から突き上げてくる。750年前の元の時代の創建でこの門の正面から下にほぼ直線状の石段が数キロにもわたって続いている。この門を過ぎた所が「天街」である。
麓でシャトルバスに乗り換え、ロープウエイの乗り場まで行く。そこから歩きで6300段の石段を歩くと約5時間かかるそうです。私達はロープウエイで山頂直下迄行く。南天門から延びる石段が見える。最後の所は斜度が60後もあるという急坂で、この石段が人で埋まる時もあるそうです。
ホテルの入り口には「ヤ楽亦不来方遠自朋有」と書かれていた。
楼閣を下り、坂を下りていくと突き出た桟橋の先に八角の回瀾閣が建っている。青島ビールのラベルにもなっている。
沢山の門を抜けていくと「大成殿」がある。横54m、奥行き34m、高さ32mの巨大な建物である。28本の装飾を施された柱によって支えられているが、6mの高さと0.8mの直径で、一つの石から切り出されている。宮殿正面の10本の柱は、渦を巻いた龍で飾られている。これらの柱は皇帝が孔廟を訪れた時に嫉妬心で持ち去られないように覆いを掛けられたといわれている。大成殿の前庭には「杏壇」があり、孔子が弟子に講学を行った所とされる。杏の木の下で教えたことを記念している。
2日目
孔林は孔子一族の墓所である。10万を超える孔子の子孫たちの墓が散在している。広いので、カートに乗って廻ることにした。
孔廟
泰山は道教の聖地である五岳のひとつ。華北平原の丘陵を見下す壮観な絶頂は五岳独尊ともいわれ、ユネスコの複合世界遺産に登録されている。
ホテルでバイキングの朝食をとり、泰安に向けてバスで出発する。ガイドは楊さんと言う若い青年だった。4時間以上かかって泰安に着いた。まず、昼食をとる。山東省はトウモロコシ、ネギ、白菜などがとれる。名物料理はトウモロコシの粉を練って薄く伸ばした生地を焼いて、ネギ、肉、香辛料を巻いて食べる山東煎餅。あとは山東料理が並んだ。カリカリのオクラが美味しかった。
泰安は、山東省南西部にある地級市である。封禅の儀式が行われる山で五岳のひとつである泰山が位置し、道教、仏教の中心として多くの文化人や参拝客を集めて来た。人口の98.7%は漢民族で、他に回族が居住する。 泰山は大きな山で、最高峰は玉皇頂で1545mある。封禅の儀式が行われる山である。(帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下泰平であることを感謝する儀式である。始皇帝以前には72人の皇帝がこの儀式を行ったと「史記」には記されているが、伝説の時代のため真偽は不明。始皇帝の後は前漢の武帝や北宋の真宗など数十人がこの儀式を行った。)
向かい側の山の中腹には、旧総督官邸の青島迎賓館が見える。
谷筋に6300段の石段が見える。人で埋まる時もあるそうです。ここが石段の始まり。
ガイドの楊さん
孔府は孔子の直径子孫とその家族が住んだ邸宅。孔廟の東側に位置する。孔家は中華人民共和国建国後、台湾に移住したため、観光地として公開されている。
旧市街は城壁に囲まれていて、大成殿より高い建物はない。
岩峰の向こうに泰安の町が見える。