静岡歩こう会山辺の道田中城址

H.29.7.9

道端に「東の谷の庚申塔」が祀られている。(庚申の日の夜に寝ると、人身中のサンシの虫が罪を上帝に密告すると言い、それを避けるため、青面金剛を祀って寝ないで過ごした。現在の庚申塔は安永7年(1778)に建立された。)

静岡歩こう会に初めて参加する。焼津駅から歩いて100mほどの焼津北公園に集合する。参加費を払い、会員以外の参加者の自己紹介をする。準備運動をして9:00に歩き始める。

六間川に沿って歩き、「田中城址下屋敷」を見学する。係の方が城址について説明してくれた。(今から500年ほど前、この地の豪族、一式伸茂が今川氏の命により築城し、江戸時代には西の守りとして重要だった。湧水地帯と湿地地帯に囲まれて円形の平城亀城と呼ばれていた。晩年の徳川家康が鷹狩の時、御成街道を通り田中城を訪れていた。また、余談ですが、そこで食べた鯛の天ぷらにあたって命を落としたという話もあるが、家康は胃癌だったのではないかという説もあるらしい。

国道を横断する歩道橋の手前には「従是東岩村領横内」の標柱があり、歩道橋を渡ると、「従是西田中領」の石柱が建っている。しばらく歩くと、「鬼島一里塚跡」がある。東海道の一里塚である。

10:37 常昌寺に着いた。兵隊寺とも言い、兵隊さんの人形が祀られている。を見る。以前見ているのでパスした。

瀬戸川を渡り、川に沿って歩く。以前、さわやかウオーキングで歩いた「河津桜の並木」を見ながら歩き、川から離れ「神神社(みわじんじゃ)」で休憩をする。説明板によると(神神社には本殿右前に「三輪鳥居(三つの鳥居)」があり、その奥に「岩境(いわさか)」がある。神神社に本殿ができる前の古来の祭祀場である。例祭、新嘗祭にはこの岩堺に五対の大きな御幣を立て、本殿と同じものをお供えして神を祀る。三輪鳥居は三輪系神社の独特ののもので、神界と人間界を区切る鳥居である。)

1時間の休憩の後、歩き始める。大旅籠を出て、岡部川に沿って歩き、「里山の道」入口から山に入る。一人しか歩けない狭いミカン畑を上っていく。石段を上っていくと視界が開け眼下に朝比奈川や畑が広がる。ここでうれしいことにアイスの差し入れがあった。美味しくいただきました。

旧東海道を歩き、「岡部宿大旅籠柏屋」に11:30に着いた。ここで昼食休憩をとる。大旅籠柏屋は、江戸時代に建てられ、資料館になっている。当時の旅籠の様子や、人々の暮らしぶりが分かる貴重な建物である。 隣には「内野本陣」史跡広場があり、雪隠、湯殿、井戸、上段の間などの立札が立っている。

しばらく国道を歩き、立花2丁目交差点を左折する。西益津小学校は田中城の本丸跡で「田中城大手二の門付近から出土した石垣石」が飾られ、玄関の前の庭には城や櫓、堀を再現していた。

須賀神社では、御祭りがあったようで、子供たちが整列してお菓子をもらっていた。神社には樹齢500年以上の古木・楠がそびえている。樹高23.7m、根回り15.2mである。

朝比奈川にそって歩く。沿道には「川除地蔵」が祀られている。横内で橋を渡り旧東海道を歩くと、残された松並木があり、そこで休憩する。

里山の道」田園空間展示事業の目的が書かれている。(沿道のミカン園、里山の自然と調和した農村生活、志太平野に広がる駿河岡部の田園が持つ原風景を展示することにより、訪れた人や地元住民が田園の風景を楽しみながら、農業、農村に対する理解を深めることができる遊歩道として整備された。遊歩道からは、東に岡部の街並み、南に志太平野と駿河湾、西に朝比奈川と田圃、茶園を一望しることができる。岡部氏の墓のある萬松院や長屋門などの史跡も多く残っている。)

立石神社を過ぎ、天保14年(1843)建立の「秋葉神社の常夜燈」を過ぎ「光泰禅寺」を過ぎると旧東海道に出る。

15分程山道を歩くと、「十輪寺」がある。モクレンで有名で、前に訪れたことがある。坂を下りると「興福寺」のお堂が建っている。秘仏「薬師如来立像」が祀られているが、33年ごとの御開帳であると書かれていた。

神神社の裏側から「山辺の道」に入る。(山辺の道神神社から慶應院に至るコースで、豊かな自然と文化財として価値ある寺院も多く、農村の文化や住人の地域に対するやさしさを感じられる道である。奈良盆地にある三輪山のふもとの「山辺の道」になぞらえて名付けられた。)

芸術的な?大根

7月9日のカサブランカ

「おかべ巨石の森公園」に着いた。隣接するグラウンドでは暑さをものともせず、少年サッカーが行われていた。藤枝出身の彫刻家・杉村孝氏の作品が展示されている。私の家にも杉村氏の童地蔵があります。

ここからはうれしい下り坂で、カヤノキのある「常願寺」がある。樹高20m、根周り5.3mの巨木である。  その先には鴫谷家の長屋門がある。(安政5年(1858)鴫谷家14代の一元により建立された。平屋造りの茅葺屋根で松を使用している。現在の屋根は平成13年吹き替えをし、大幅な復元を行った。5代目のころに新谷を鴫谷に変え、医術を甲斐の徳本に学び、当地で医業を営んでいた。以後7代にわたって医業を継承してきた。その際に長屋門の和室を診察・治療の部屋に使っていた。)

あとはひたすら歩いて「西焼津駅」に15:30に到着し、「完歩証明書」をいただき、散会となった。15:47のJRで藤枝に帰り、遅れていたバスに乗れて自宅に帰った。今日は歩くのには最悪のコンディションで、500mlのペットボトルを4本飲み、汗だくで歩いた。後日、十輪寺で撮った集合写真を送って頂いた。「山辺の道」「里山の道」は、気候の良い時に散策すると良いところだと思う。暑い中、43名の参加者が22km歩き、盛会だった。