アラビア半島のメッカに生まれたムハンマドが、7世紀ごろ創始したのがイスラム教である。ユダヤ教、キリスト教と同系の一神教で、「アッラーのほかに神なし」「ムハンマドは神の使徒なり」が根本原理。 唯一至高のアッラーの教えに従って生きることを教える。「イスラム」は「帰依する」を意味し、信徒を表す「ムスリム」とは、「帰依するもの」という意味。
ローマ劇場 ローマ皇帝アントニウス・ピウスが169〜177年に造らせた野外劇場。一つの丘の半円のカーブに沿ってすっぽり観客席がはまるように造られているが、現在は密集する住宅にかこまれてしまった。収容人員は6000人で、現在でもさまざまな催しに使われている。
イスラム圏への旅行は、以前にモロッコ、チュニジア、トルコに行ったことがある。国によってイスラムの厳しさに差があるが、ラマダーンの期間に言ったことは無かった。ガイドさんが食事を取らなかったり、飛行機で、隣のイスラムの服装をした女性が、日没を見計らって食事を始めたのを見た。 ペトラやパルミラを初めとして、一度見てみたかった遺跡を見ることが出来て、感激した。 また、死海での、浮遊体験は楽しかった。 砂漠の国にきたという実感は、バスに水がためられないように栓が無かったことだ。 また、パルミラでは、参加者の親戚に不幸があり、シクの入り口で訳が分からず待たされたこと。 結局、彼女はパルミラのエル・カズネを見た後、一人で日本に向かった。賛否両論があったが、心配しながら旅行を続けても楽しくないだろうから、よかったのかも知れない。お葬式に間に合ったようでよかったです。暑くて、埃っぽかったが、これがこのあたりの現実かもしれない。 また、事前に他の方のHPを見て、調べたり、帰ってきてから見たりしたが、年次が変わると、中に入れたのに入れなくなっていたり(パルミラ三兄弟の墓)、ジェラシュの凱旋門が修復が終わって形が違っていたりしていた。ペトラなどもまだ発掘されたのは1パーセントに過ぎないようなので、何年か経って行くとまた違った遺跡に出会えるかもしれません。 また 私は遺跡をあまり修復してしまうのは賛成しません。最小限にとどめて欲しい。こんなだったのではないか?という思い込みで再現してしまうのは良くない。はっきり分からないのだから、残った物を見たい。
イスラム暦9月ラマダーン期間中の義務の断食と、任意の断食がある。肉眼で新月が確認されてから始まるので、いつから始まるか直前にならないと分からない。日没までは何も口にしない。ただし、妊婦や授乳中の女性、きつい仕事をしている人は免除される。 日を改めてやる人もいるようだ。厳格な人はつばも飲み込まない人もいるらしい。
禁忌(ハラーム)は、酒を飲まない。豚肉を食べない。酒は国によって、厳しさに差がある。 観光客もだめな国と、お店によってアルコールがあったり、無かったり。シリア・ヨルダンは観光客にはやさしいようだ。
アンマン城
ダウンタウンを見渡せる丘の上に立つのがアンマン城である。起源は古代のアクロポリスにあるといわれているが、ローマ、ビザンチン、イスラム期と格時代で重要な役割を果たす。が、破壊と再建を繰り返す。
広大な王様の宮殿の壁。ところどころに監視塔がある。
野菜を積んで走る綺麗な模様のトラック
国立考古学博物館
ナバタイ人の女神像
ビザンチン教会の跡
内部のフレスコ画が有名だが、古くてよく分からなくなっているので、再現した絵を別の部屋に飾ってあり、これで勉強してから見たほうが分かりやすいようだ。
砂漠の中にぽつんと立っている。
井戸の深さは30mあり、綱を巻き上げて水を汲む。 浴場などに使った。
裸の女性が描かれている。イスラムにしては珍しい。
中には、レセプションホールや3っの浴室がある。
天井に描かれた、星座。
ハラナ城
K氏からの差し入れ。昨晩毎日同じような食事に飽きてしまったk氏は仲間と二人でアンマンの町に繰り出し、食事を楽しんだ。その後、市場に行って仕入れた生ナツメヤシで、渋甘いが美味しかった。乾燥は売っていて食べたことあるが生は初めてです。
食事の後、アンマン空港に向かい、17:30 ドバイに向けて出発しました。ドバイでは約5時間の待ち時間があり、空港で軽い食事のサービスがあった。ドバイ時間のAM2:50 日本に向けて飛び立ち、17:15中部国際空港に着きました。
結婚観
7日目
アンマン市内観光
数千年の歴史と現代的な都市空間が融合したヨルダンの首都アンマンは、旧約聖書の「創世記」にラバス・アモンとして記されている。ローマ時代にはローマ都市のひとつフィラデルフィアとして繁栄を極め、数々のモニュメントが建造された。 その後衰退するが、19世紀末にコーカサス人が移住して、町を再建した。ローマ劇場を中心に、7つの丘に形成された起伏にとんだ都市である。(現在は26の丘からなった大都市で、建設ラッシュの真っ只中です。)
時折り、モスクから独特の節回しの詠唱が流れてくるが、礼拝の時間を告げる呼びかけ「アザーン」。それを合図に1日5回、メッカに向かって礼拝が行なわれる。
2階建てで、中庭もある建物だったが、何も無く、ただの建物だった。
地震により倒壊した神殿の石でビザンチン教会を造り、また倒壊した教会の石でこのモスクを造るという遺跡のリサイクルが行なわれた。これはあちこちの遺跡でおこっている。
ちなみにアラビア語ではヨルダンをアルオルドンと言うそうです。
礼拝
ホテルの中で
丘の上(850m)からのアンマンの町
イスラムの聖典で、アッラーの言葉。イスラムの世界観、信条、倫理、行動規範がアラビア語の散文詩体で記されている。音読されることを前提として、編まれている。
19世紀の建物を改装して使っているレストランで、なかなか美味しかった。イケメンのお兄さんが昨晩食べた「ひき肉を皮に包んだもの」を作っていた。インゲン豆の入ったハヤシライス風の料理が美味しかったので、ライスにかけてお代わりしてしまった。
イスラムについて
食生活の禁忌
断食
暦
イスラムの国々では、太陽暦の西暦とともに、太陰暦のヒジュラ暦が使われている。 ヒジュラ暦では1年は354日になる。西暦を基準にすると、イスラムの祭日は毎年11日づつずれていく。
アンマンから東80kmの所にある。もともとあった隊商宿(キャラバン・サライ)を、ウマイア朝の王ワリード1世が改築して離宮として使った。世界遺産である。
4人まで妻を持っていいという制度は、イスラム誕生の時代は、戦死者も多く、寡婦や孤児をが増加し、救済のため多妻が奨励された。コーランでは、「公平にしてやれないなら、ただひとりだけ」といっている。今は現実とはかけ離れているようだ。 アラブ諸国では、女性が外で働く姿はあまり見かけない。レストラン、ホテル、お店はほとんど男性だ。
城壁の南側に位置し、2世紀頃建てられた。マルクス・アウレリウス帝のために建てられた。ファサード(建物の正面)には、4本のコリント式円柱があったが、今残るには、3層の横石を先端に載せた2本の円柱のみである。
前3000年の青銅器時代から人が住んでいる。 ここには、旧石器時代からオスマントルコ時代にかけての遺物が展示されている。
世界一大きなヨルダンの国旗。残念ながら、翻っていない。
アムラ城
アムラ城は城ではない。という声に予定では行くことになっていないハラナ城によっていくことになった。来る時に街道沿いにあった建物だ。
ヨルダン最後の食事です。
ヨルダンについて (ヨルダン・ハシミテ王国)