鹿島踊りは江戸時代の中頃、島田宿に疫病が蔓延した時に、大井神社の境内に春日神社を祀り、疫病の退散を願って踊ったのが始まり。神様の心をお慰めする神事舞である。

こちらの舞台では5歳の男の子が「浦島」「供奴」を踊っていた。

行列は続き、天狗の面をつけた「猿田彦」が所々で紙吹雪をまく。金と銀の紙片を拾った人はその年縁起が良いとされ、沿道の人は競って拾っていた。私の付近には紙片しかなかった。輿丁20人に担がれた「神輿」が通り、伶人(ヒチリキ、龍笛、鳳笙)等が続く。

大名行列や帯を下げた大奴は以前見たことがあるので見なかったが十分楽しめた。

2019.10.14

島田大祭 帯祭り

三年に一度行われる「島田大祭」が10月11,12,13,14日に行われた。14日の最終日は大井神社から御旅所までのお渡りの日で、行列は大名行列、神輿渡御、鹿島踊り、屋台と続く。
 夫は大井神社から出るところを見たいというので、朝早く藤枝駅に送って言った。私は昼前に島田駅に着いた。もう大名行列は終盤で鹿島踊りが行われていた。

屋台上踊りでは、2歳から10歳くらいまでの踊り子が本格的な衣装を着て踊ります。江戸時代、旅の長唄芸人を助けたことが縁で、島田大祭に江戸の芸人が駆けつけるようになったと伝えられている。舞台では歌舞伎の早変わりのように何度も衣装を変えて踊る。[汐汲み」「神田祭り」を踊る。

新鹿の子」「あやめ浴衣」を踊る。

その後を各町内の「屋台」が続く。地踊りと屋台の上で踊る上踊りがある。東西一流の名演により、通称「長唄踊り」と言われている。