H.22.10.31〜11.01
名宝・秘仏と出逢う秋色大和路というバスツアーに参加した。朝一番の新幹線で名古屋へ、40名の参加者と合流し、AM.7:40大和に向かって出発した。 明日香に早く着いたので、食事場所の近くにある、石舞台(予定には入っていない。)を見学した。入場料は250円だったが(昔来た時は無料だったような)あとで添乗員が交渉して、団体割引になり50円返してくれた。
みたらい渓谷は山上川の下流で、大岸壁と岩肌を走る清流、大小の滝があり、新緑、紅葉が見事らしい。 雨がひどく、入り口まで20分歩いたが、道が滑って危ないと言うことで、引き返した。この後、すれ違いも難しい道を洞川温泉まで走り、5件の宿に分宿した。 洞川温泉は、大峯山登山の基点として栄えた。現在も多くの文化遺産や、自然が残され、2004年7月に世界遺産として登録された。 温泉街は、整然として、あちこちに水が流れ、豆腐が美味しく、夕食にはやっこ、朝には湯豆腐がでた。 陀羅尼助の看板が多く、名前は違うが、みな同じ工場で作って、内容物は同じ。
陀羅尼助丸は、1300年前に大峯山中で、修行した役行者が山中の黄柏の木の皮をはいで煎じ薬として飲ませ、疫病から救った。役行者の従者「後鬼」の子孫の村、洞川(現在の吉野郡天川村洞川)で村人が製法を伝授された。 胃腸薬として、今でも製造販売している。
16年ぶりに「螺鈿紫檀五弦琵琶」が出展された。花の文様など背面一面に施した琵琶は、世界唯一の五弦琵琶とされる。
他にも、聖武天皇の身近にあった、「山水夾けち屏風」、皇后が東大寺に奉納した薬の目録「種々薬帳」などが出展されていた。 入るのにはあまり待たなかったが、琵琶を一列目で見られるという列に付いたので30分ほどかかったが、まじかで見ることが出来てよかった。
大極殿 古代の朝廷の正殿。 宮城の朝堂院の北端中央にあり、殿内には高御座がおかれ、即位の大礼や国家的儀式が行なわれた。
高御座 天皇の正式な所在地を示す特別な玉座
吉野・金峯山寺は世界遺産に指定されている。白凰年間に修験道の開祖役行者が開いたとされる修験信仰の根本道場。秘仏三体のご本尊金剛蔵王権現を安置し、本堂蔵王堂と仁王門は国宝、銅鳥居は重文に指定されている。現在も金峰山修験本宗の総本山として偉容を誇っている。
本尊の蔵王権現は秘仏で、今回平城遷都1300年祭にあわせて100日間のご開帳ということで、込み合っていた。本堂で和尚さんから説明を聞いて、拝ましていただき、内陣には列に並んで入ることができた。少しの間仏様と対話できた。
写真では見ていたが、秘仏だったため、青い色がそのまま残り、迫力があった。
石舞台古墳は、横穴式石室をもつ方形墓で、築造は7世紀の初め頃と推定される。古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が露出している。 6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われている。墓の中では、ボランティアガイドの男性が、資料を見せて説明をしていた。
時間があったので、東大寺足を伸ばした。
大仏殿
南大門
みたらい渓谷入り口
2日目
第62回正倉院展(奈良国立博物館)
古代の衣装を貸し出していて、3人の姉妹が通ったので、写させてもらった。一人200円だそうです。
朱雀門 条坊都市の宮城において南面する正門
シビ 瓦屋根の大棟の両端に付けられる飾りで、火除けのまじない。
平城遷都1300年祭
大峯山は古来から修験場の道場であり、近年まで女人禁制で、吉野から先は女性は入れなかった。今でも大峯山には女性は上れない。絶景を原生林に覆われている。
愛染明王
愛染堂
蔵王権現は日本仏教における信仰対象のひとつ。権現とは「かりの姿で現れた神仏」の意味で、釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)の三尊の合体したものとされ、三体の蔵王権現が並んでいる。 権現は、激しい憤怒相をし、怒髪天をつき、右手右足を高く揚げ、左手は腰にあてている。日本最古の蔵王権現は前に訪れた鳥取・三仏寺にある。
金峯山寺 蔵王堂は、重層入母屋造り桧皮葺、高さ34m、四方36m、平安期から幾度も焼失、再建を繰り返し、現在のものは1592年に完成した。
仁王門
黒門
銅の鳥居
金峯山寺 (世界遺産)
玄室は長さ7.7m、幅3.5m、高さ4.7m。約30個の石が総重量は2300トン。 石は古墳のかたわらを流れ冬野川の上流3キロの多武峰の麓から運ばれた。