放水橋まで船に乗り(運河約遊覧20分)、帰りは商店街を歩いて戻った。

新天地

階段を上り放生橋の上から景色を眺める。放水橋は高位の僧侶が魚を放した場所といわれ、橋の上から川へ魚を放つと善行を積むとされ、金魚やドジョウを袋に入れて放流するようにとしつこく纏わりつかれた。(1571年建造、橋長72m、幅5m、高さ7.4m)

古くからある小さな田舎町を中国では「古鎮」と言う。近年、長江下流の江蘇省と浙江省の水郷地帯が残る明、清時代の建物や運河の町並みは「江南水郷古鎮」と称され、脚光を浴びている。朱家角や周荘がある。

朱家角

鐘楼

五重塔

上海、蘇州、朱家角4日間
H.22.1.31〜2.03

玉子炒飯         上海蟹           蟹と野菜のスープ    旬の野菜炒め

豫園

上海に戻り、黄浦河ナイトクルーズ(PM.6:30〜7:20)。オプションで3000円でした。

上海博物館は外観も変わっていて素敵らしいが、雨が降り出して入り口に急いだためしっかり見ることができなかった。  書画、磁器陶器、家具、青銅器、印鑑などすべて清代以前のものが収蔵されている。青銅器を見ただけで60分の見学時間が終わってしまった。さらに、写真撮影が禁止されていなかったのに驚いた。青銅器の展示物の多さにはさすが中国だと思いました。

チャイニーズ・バンブー・サックスと書いた竹笛を売っていた。なぜか、千昌男の「北国の春」や「星影のワルツ」を吹いてくれた。街は春節の準備で華やかに飾られていた。

豫園商城の中にある「緑波廊新楼」で点心の昼食

屋根の上の関羽の彫刻

龍壁(龍は想像上の動物で、頭は牛、角は鹿、口は馬、爪は鷹、体は蛇、鱗は魚で口に玉をくわえている。玉をくわえた龍はよだれを垂らし、そののど元にいる蛙が待ち受けている。)

仰山堂には築山があり、高さ12mで、2000トンの武康石が積まれ、山上には望江亭があり、400年前には黄浦江望めた。

放生橋が見えてきた。

朱家角は「正真正銘の明清時代の街」と形容される宗時代以来の歴史ある古い街である。川沿いには明清時代の建物が並び、「街三里、店舗千個」と称される商店の並ぶ北大街、江南水郷風情にとんだ古色蒼然たる橋が36ヶ所も残っている。運河は街中を「井」の字に走り、元代に造られた石橋が架かる。

蘇州から上海までの道の両側には、魚を養殖する池がたくさんある。この池では釣りをしていた。

昔懐かしい動く自動車に乗る子供

刺繍研究所で作品が出来るまでを見学する。 中国四大刺繍の一つで、双面刺繍、乱針繍、などがある。 三国時代に端を発し、明時代にはすでに刺繍の研究所がもうけられ、清代末期にはパリの万博にも出展した。  刺繍帯は日本に輸出されているそうです。

松鼠桂魚の丸揚げ甘酢餡かけ、 おこげ料理、    大根、           麻婆豆腐 トコロテン   紫玉ねぎ

釈迦如来像

昨年12月に北京を訪れ、以外に近いのと、値段の安さにつられて、また中国旅行を申し込みました。4日間ですが、実質は2日目と3日目が観光できる旅行です。  朝7時に家を出て、浜松西インターに車を置いて、バスに乗り、セントレアには10時35分に着いてしまった。14時55分のCA406で上海空港に17時に着いた。30分ほど到着が遅かったが、着陸の許可がおりなかったようだ。空港で中国人ガイドと合流しバスに乗って蘇州に向かった。蘇州は雨が多いそうだが、早速雨に降られた。明日は晴れるといいが。

仰山堂 

聴鐘石

鑑真

空海

弘法堂には、ここで修行した事のある3人が祀られている。

「林泉耆碩之館」

青梗菜

豫園の周囲は豫園商城と言われる商業エリアで、みやげ物、お茶、漢方薬等の店や上海料理の店がひしめき合い、いわば、「上海の浅草」とも」いえるところ。
 中心は湖心亭と言われる上海最古の銘茶館で、九曲橋を渡って豫園に入るとあるが、私達は違う道を通ったらしくて、商店街を歩いていくと豫園に着いてしまった。

今回も、格安ツアーだったが、ガイドさんによると、内需拡大のため、政府が国民に金券を配っている。観光客の誘致の為にも、補助が出ているそうだ。「安いけれど、ホテルも食事も良かったでしょ。ガイドも良かったでしょ。」と言われてしまった。 今は寒くて観光シーズンをはずれていることもあり、「この値段で頑張っているので、宣伝してください。」とも。 中国は飛行機に乗っている時間も短いし、世界遺産や見所も沢山あるので、また行きたいです。

上海空港

AM.7:50 ホテルを出発し50KM離れた上海空港に、2時間20分で中部国際空港に着いた。

4日目

オプションでひとり3900円だった。北京と同じ出し物もあったが、球の中で5台のオートバイが走るのは圧巻だった。子供の時サーカスで1台走るのを見た記憶がある。  ガイドによると、今中国は一人っ子政策で、小皇帝と呼ばれるわがままな子供達が増えて、親も危険なことはさせたがらないので、地方出身の人が多いらしい。

上海雑技観賞

花窓(漏窓)

中国四大庭園(宗代の滄浪亭、元代の獅子林、明代の拙政亭、清代の留園)の一つ。明代万歴年間に太朴寺少卿徐泰時の私家庭園の東園として建築される。(西園は現在寺院)清代に改築され、園主劉怒の名にちなんで劉怒園、後に留園と呼ばれる。

 上有天堂、下有蘇抗(天には極楽があり、地には蘇州・杭州がある。)  運河の張り巡らされた街中の風流な庭園が点在する古都で、「東洋のベニス」と呼ばれる。  世界遺産に指定された「拙政園」や、唐代の詩人、張継が「楓羽橋夜泊」を詠んだ「寒山寺」、斜塔のある「虎丘」など見所が多い。2500年の歴史を持つ蘇州には、刺繍や絹織物、白檀の扇子などの、伝統の技が今も受け継がれている。

海老とグリンピースと人参  紫玉ねぎと豚肉    青梗菜           炒飯            麻婆豆腐  

1日目

椎茸のスープ      キュウリと鶏肉       セロリ           玉子豆腐のようなもの   大根の煮物

16世紀、明の時代に四川省の役人をしていた藩允端が、両親のために19年かけて造った私庭が始まりで、その後歴史に翻弄され、1961年に現在の形になった。
 園内は五つの風景区と内園に分かれていて、おのおの趣きの異なる風景がひろがる。池、回廊、楼閣が巧みに配置された庭園で、建物、花木、石がたくみに配置されている。

寅年と言うことで、空き缶で作った虎

豫園商城

ビルにはベランダがないものが多く、壁から鉄棒が突き出ていて、それに竿を置いて洗濯物を干している。なんだか怖い風景だった。

茶芸館にて中国茶の試飲とショッピング

上海の街は万博に向けて、建築ラッシュの真っ只中にあり、どこも作りかけの建物や、掘り返された道路でごった返している。 万博の建物もまだ完成されたものは少なく、これで開催できるのかと不安になった。(帰ってきてから新聞に完成を危ぶむ記事が出ていた。)

3日目

pm.9:20 ホテルに着いた。このツアーの売りである、5つ星ホテル「上海マリオットホテル虹橋」に連泊する。

上海の夜景を堪能し、船を下り、オプションの全身マッサージを受けた。足裏マッサージは3000円で、全身は3500円です。

東岸には、21世紀の超高層ビル群が見える。テレビ塔(東方明珠電視塔)は高さ467.9mで、アジアで一位。世界ではカナダのトロントにあるCNタワー、ロシアのオスタンキノ・タワーについで三位の高さを誇る。 (2007年までで、現在はドバイにあるブルジュ・ハリファが一位。)反対側には、1920年代のアールデコ長調の石造りの建物が並ぶ。

美羅城 電脳ショップを中心とした店が入るビル

東方明珠塔 テレビ塔

                お饅頭に野菜の餡を入れて食べる。           ラーメン(日本の方が美味しい)  白菜 

麻婆豆腐           スープ                           魚の揚げ物        なす

夕食は四川料理

豚足            色々な乾燥物        御餅(東北の大間で買ったべこもちに似ている。)

蟹味噌とナマコの煮込み  蟹味噌と海老の炒め   蟹味噌と魚の炒め  蟹と野菜の味噌いため  蟹味噌豆腐

「図安蟹味館」で上海蟹のフルコースとパンフレットには書いてあったので期待していたが、出てきたのは小さな蟹が一匹だった。よく読むと蟹味噌入りと書いてあった。全体にオレンジ色なのは蟹味噌のいろだそうだ。期待しすぎて、がっかりした。

上海建築の代表とされる石庫門 (市民の共同住宅)を中心に改造し、1920年〜30年に存在したフランス租界の町並みを再現し、2001年にオープンした。上海では最先端の流行発信地になっている。  しかし、今日は雨でオープンカフェもなく、30分の散策時間をもてあまし、見つけたスターバックスでコーヒーを飲んで、やっと温まった。1杯25元もして、中国人には高いコーヒーだと思った

スターバックス

日本館の写真

2010上海万博展示センター

夏代晩期(BC18〜16)に始まった中国の青銅器は殷代に大きく発展し、神々を表す獣面文で飾られた酒器や豪華で華麗な祭器が多く作られた。殷代晩期から西周早期(BC13〜11)がその最盛期。  西周〜春秋晩期になると酒器が少なくなり、食物を盛る器が多くなる。  春秋後期〜戦国時代になると、音楽演奏用の鐘の大きなセットが作られる。漢代でも作られるが段々下火になってくる。

上海博物館

春巻き           饅頭            水餃子          金柑

茶梅

日本では詩人として名高い白居易(はくきょい 字は楽天)が蘇州の知事として赴任してまもなく、虎丘に出かけた。周囲の水路が埋まってしまい、水利が不便な様子を目にする。すぐさま、商業街だったチャン門から虎丘にかけて山塘河を開拓して、灌漑と交通の便が改善され、一大遊行商業都市として発展する。  乾隆皇帝は1792年、太后70歳のお祝いに北京の「頤和園」の北に山塘街を模して蘇州街を建造している。

小間物屋          味神(珍味屋)        揚げパン           野菜             木の実

昔ながらの街並みを再現した山塘街を散策する。白壁に黒い屋根、疎水に架かる石橋。蘇州旧市街でも昔ながらの水郷の風情が残る地区の一つ。

一曲30元の流し

トマトのスープ      白菜、キュウリ、ねぎの炒め物    青梗菜

江蘇料理といい、中国八大料理の一つ(余談ですが、日本では3大○○というが、中国では4大○○と言うらしい。) 味は淡白で旬の素材の旨みを生かす。

昼食は蘇州料理

シルク店で、蚕から糸を取る過程を見学し、双子の蚕から真綿を作り、真綿をひろげて布団にするのを見た。何人かの方は布団を購入していた。 左は、桃の種を入れた枕です。

唐代の詩人張継の七言絶句「楓橋夜泊」の石碑があり、ガイドさんが中国語で読んでくれた。 (都落ちした旅人が、楓江にかけられた楓橋のあたりで船中に泊まった。眠れぬまま寒山寺の鐘の音を聞いたという様子をうたっている。)

三蔵法師

この鐘は、もとあった鐘を日本人が持ち出したという話を聞いて、伊藤博文が二つ造り、一つをここ寒山寺に、もう一つを浜松の舘山寺に奉納したと言う話をガイドさんがしている所です。

臨済宗の仏教寺院。寒山拾得(かんざんじっとく)の故事で名高い。寒山拾得は唐代の脱俗的な人物で、詳細はよく分かっていない。  楓羽橋路に面し、唐代の詩人張継の詠んだ「楓橋夜泊」の石碑がある。

寒山寺

山水画のような模様の大理石

高さ6.5mの太古石 冠雲峰

盆栽の並ぶ庭

豆腐屋            豆などを揚げている   乾燥海老、小魚、貝、など   ナッツ類           

2日目

留園(世界遺産)

照壁とは、宮殿や寺院、住宅などの正面に目隠しのために建てられたものをいう。

途中で、夕食をとった。麺料理とあったが、麺はでなかった。

ガイドの張さん、助手の張さん(中国で一番多い名前だそうです。)

濱江大道は約2.5Kmniわたり黄浦江沿いに延びる散歩道。きのうクルーズで見た夜景を思い出す。向こう側、外灘(わいたん)は、租界時代を彩ったノスタルジックなビルが並ぶ黄浦江の西岸エリア。イギリスはじめ各国の銀行や商社が建てられて当時は東方のウオール街とも呼ばれていた。

マスコットの海宝君

中国パピリオンの模型

ピーナッツ        セロリ    ミズクワイ   スープ           青梗菜          チマキ

玉華堂  真ん中の石は玉玲瓏(ぎょくれいろう)

「五峰仙館」このような説明書がところどころにある。

園内は中、東、西、北の四つに分かれ、中部は池と築山、東は建物がメインで、園内の楼閣は長い回廊で結ばれ、「花窓」という透かし彫りの窓から見える景色は一枚の絵のようである。太湖石の名石冠雲峰、歴代の書道家の書が彫られ、留園法帖と言われる壁の石碑もすばらしい。

蘇州