瀬戸内2島めぐり3日間

早朝家を出て、東海道線、新幹線、京浜急行で羽田空港へ。9:40発のJAL455便で徳島空港に10:55に着いた。

源平合戦で有名な「屋島」に向かう。屋島は香川県高松市の北東に位置する台地地形の独立峰。白村江の戦いの後に尾嶋城が築かれ、山上の全域が城とされた。唐僧の鑑真が創建したと伝えられる屋島寺がある。東岸の入り江の一帯は源平合戦の屋島古戦場である。屋島の名前の通り、昔は島であったが、江戸時代の塩田開発の後の埋め立てにより陸続きのようになった。 源平合戦の一の谷の戦いで敗れた平氏が安徳天皇を奉じ、翌年におこった屋島の戦いの古戦場でもある。那須与一が平氏の軍船に掲げられた扇の的を射落としたエピソードなどが知られている

H.28.6.26~28

バスに乗り、「鳴門公園」へ向かう。頼んであった「なるとわかめ定食」の昼食をとり、オプションの「渦の道」に向かう。「渦の道」は、大鳴門橋の橋桁空間に設置された遊歩道で、450mある。床に設置されたガラスからは45m下の鳴門海峡が見下ろせる。私達がいた時間帯には渦はできていなかったが、激しい潮流を見ることができた。

鳴門海峡は、孫岬(鳴門側)と門岬(淡路島側)挟まれた幅1340mの狭い海峡である。海峡の鳴門側から約200mのところに裸島、淡路島側から約300mのところに中瀬と呼ばれる岩礁があり、その中間はV字状に深く落ち込み、最深部は約90mある。海峡の南側には水深140m、北側には200mの海釜があり、この海峡の独特の地形が潮の干満に伴う海水の流れと合わさり、鳴門の渦潮を発生させる。最大で直径20mに及ぶ渦潮が発生し、大潮の時の最大流速は時速20kmにも達する。激しい潮流から発生する轟音から鳴る瀬戸「鳴門」の名が生まれた。

淡路島を北上して、「あわじ花さじき」で季節の花を観賞する。今は、バーベナ、サルビア、クレオメなどが咲いていた。売店では、収穫高全国3位という玉ねぎがたくさん売られていた。

しあわせのオリーブ伝説はバスのガイドさんが教えてくれた。ハート形のオリーブの葉を見つけると幸せになるというもの。皆オリーブの木の葉を見つめて探していました。私は家にオリーブの木があるので帰ってから探そうと思ったが、家のオリーブの葉を見たが探せなかった。

オリーブ記念館では、オリーブの女神「アテナ像」が出迎えてくれる。

「小豆島オリーブ公園」は日本のオリーブの発祥の地である。イベント広場にあるモニュメントは、古代ギリシャの「オストラキシモス(陶片追放)」に使用された投票片をモチーフにしている。市民の投票で公職につく人を選んだり、ふさわしくない人を追放したりするときに使用したもので、中心の心棒があれば無罪、なければ有罪を示す。小豆島が平和の島であることを表している。

標高672mの三笠山山頂広場の展望台から、「八月の蝉」のロケ地であった「鷹取展望台」まで降り、更に下って「四望頂」まで歩いた。汗をかきながらまた山頂広場に戻り、ロープウエイ山頂駅から「こううん駅」までロープウエイで下りた。時々霧がかかるお天気だったが、渓谷美を見ることができた。

寒霞渓は、1300万年前の火山活動により誕生し、200万年の歳月が創造した渓谷である。日本三大渓谷美のひとつである。
 (三大渓谷・清津(新潟)黒部(富山)大杉(三重))
 (三大渓谷美・妙義山(群馬)寒霞渓(香川)耶馬渓(大分))

干潮時しか渡ることができない天使の散歩道{エンジェルロード」干上がった砂道を歩いて対岸の島に渡る。

樹齢1000年のオリーブ大樹(写真)

尾崎放哉上陸地(南郷庵はこれより約2km)と書かれている。尾崎放哉は鳥取県出身の自由律俳句の俳人。 「目の前魚がとんで見せる 島の夕陽に来ている

明治40年創業の「マルキン合掌造りの記念館では昔の醤油造りを再現したコーナーもある。諸味から醤油を絞り出す圧縮工場だっこの建物は、合掌造りとしては国内最大規模を誇り、「国登録有形文化財」に指定された。

この先700mの所に「二十四の瞳映画村」がある。再映画化された「二十四の瞳」のロケ用のオープンセットである。ここには行かなかった。見学が終わると待っていたように雨が降り出した。

今日の宿「ベイリゾートホテル小豆島」の前を通って田浦の「岬の分教場」に行く。ホテルの前では支配人が手を振って迎えてくれた。

佃煮店「京宝亭」に寄る。佃煮の試食をして口の中が塩辛くなってしまった。建物は「国登録有形文化財」になっている。予約すれば、佃煮工場見学もできます。

高松東港から神戸行ジャンボフェリーに乗り小豆島の坂手港で下りた。船上には「瀬戸内国際芸術祭」で出品された人形が飾られている。3年ごとに行われていて、前衛芸術作品が瀬戸内の島や高松に飾られてる。今年は「2016祭」が行われている。約1時間15分で坂手港に着いた。

屋島寺には「蓑山大明神」(屋島太三郎狸)が祀られている。弘法大師が屋島で道に迷われた時に蓑傘を着た老人に山上まで案内された。この老人こそ太三郎狸だったといわれている。お店には色々な屋島たぬきが売られていた。

イケメンガイドさんの説明を聞きながら、四国八十八ヶ所の84番目の札所でもある「屋島寺」の境内を通って展望台まで歩く。展望台では「かわら投げ」をする。かわら投げのゆわれは(源平合戦で戦いに勝った源氏が陣笠を投げて勝鬨を挙げた。この言い伝えにならい展望台から素焼きのかわらけを海に向かって投げる)

今日のハイライトは「渦潮クルーズ」です。原寸大に造られた「咸臨丸」に乗り込み大鳴門橋を目指す。今日の渦潮は期待度大の◎がついていた。橋に近づくと、渦が現れては消え、また現れては消えて、「あそこ!あそこ!」と歓声が上がる。しばらく楽しんで、船は福良港に帰った。

3日目

2日目

大鳴門橋を通り、福良港に移動して「淡路人形座」で人形浄瑠璃を見学する。淡路人形座は500年の歴史を持つ淡路人形芝居が上映される常設館。開演前に人形の構造や仕組み、主使い,足使い、左使いなどの役割が紹介された。今日の出し物は「戎舞」で、戎様が庄屋さんで出されたお神酒を呑み舞を舞う。酔った戎様は船に乗り大きな鯛を釣りあげる。えびす顔でプラス思考に生きるという幸せの原点が込められている。映像で見たことはあるが、実際に見たのは初めてで、人形の動きが良く分かり、貴重な体験だった。

大鳴門橋は、兵庫県の南あわじ市の福良丙(淡路島門崎)と徳島県の鳴門市鳴門町土佐泊浦(大毛島孫崎)を結ぶ吊り橋で、1985年(昭和60年)に開通した。橋長は1929m、幅25mである。

すべての観光を終え、草壁港から1時間の瀬戸内海ミニクルーズで高松港に着いた。バスで徳島まで走り、徳島空港から羽田空港まで。無事に家に帰りました。

オリーブの女神像

土生港の緑地公園には「二十四の瞳・平和の群像」がある。

世界一狭い海峡「土渕海峡」を散策する。役場で、「世界一狭い海峡横断証明書」を出してもらう。100円だった。9.93mの海峡の橋を行ったり来たりした。役場には、絵手紙が花崗岩に描かれている。「歴史と文化・アートのまち・土庄」ということで、石の絵手紙ロードを繰り広げている。

肥土山農村歌舞伎

西光寺の五重塔

第4号天然醸造蔵と書かれた蔵の中を覗くと「桶」が並び、発酵している醤油が入っていた。(毎年12月から1月にかけて諸味が蔵に入れられ、1年かけて発酵、熟成が行われる。秋田杉を使用した30石の木桶が4列153本並び、約100mの長さがある。5号蔵、6号蔵も天然醸造蔵で、合計310本の木桶がある。全国の6分の1の木桶がこの工場にある。)

その向こうに井戸があり(この大井戸は、創業当時から使用していた井戸で、小豆島の醤油蔵によくみられる「ミカン掘り」と呼ばれる工法で掘られ、中は縁より広くなっている。直径約8m、深さ約5mで、250tの水が貯えられる。現在は工業用としては使われていない。)

マルキン醤油蔵が続き、中では100個もの巨大な杉桶が並び、諸味が静かに発酵している。

「ひしおの郷」と書かれた5基の醤油桶が置かれている。この樽は約100年前に造られた日本最大規模を誇るマルキン忠勇の天然醸造蔵で使われていた。この桶に住み着いた天然酵母により、約1年間この桶の中で諸味を発酵熟成させ、醤油を生産していた。(杉材、直径2m、高さ約2m、30石・5.4kL)

左海醤油工業は安政4年創業で、醤油つくりに使われた昔の圧縮機が見える。この小屋と醤油醸造蔵が「近代化産業遺産」に設定された。

昨日訪ねた「京宝亭」がある。建物は「国登録有形文化財」に指定されている。

その向かいには、「小豆島八十八ヶ所霊場」第10番札所・西照庵がある。弘法大師が生国の讃岐より京の都への途次に立ち寄られ修行したとされ、島内には八十八か所の小豆島霊場がある。第一番は岩窟にある「洞雲山」、第72番は岩の崖に建つ「笠ヶ瀧」、第58番は尾崎放哉ゆかりの「西光寺」がある。

タケサンフーズがある。記念館「一徳庵」は朝早いので開いていなかった。敷地内には「小豆島佃煮発祥碑」があり、創業者・武部吉次翁の銅像が立っていた。一徳庵の建物は、創業当時佃煮工場として使われていた。戦前は醤油の醸造蔵であったこともあり、小豆島の醤油と佃煮の歴史が凝縮した建物である。

夜中激しく降っていた雨も(知らなかったが)上がったので、朝「醤油蔵通り散策路」に出かけた。

先ほどのホテルに入る。夕食はバイキングだったが、小豆島らしい料理が並び、どれも美味しかった。おすすめの宿です。

壺井栄の本で、高峰秀子で映画化された「二十四の瞳」の舞台となった分教場がある。明治7年に田浦尋常小学校として開校された。明治43年からは苗羽(のうま小学校田浦分校として使用され)昭和46年に廃校になったが、岬の分教場として保存されている。

今日の宿「淡路南粟温泉」ロイヤルホテルに入った。大鳴門大橋が見渡せ景色は良かったが、ロイヤルは食事があまり良くない。食事の後で、「大衆演劇」劇団天華の歌謡ショー」の割引券をもらい、一度も見たことが無かったので、行って見た。宿泊客より、地元の人たちが大勢来ていて、中には「一万円」の御祝儀を襟につける人もいて、初めての雰囲気を味わえた。