7日目
茂県のホテルをバスで出発する。途中、果物を売っているところでトイレ休憩をする。夫はアケビを買って食べていた。ひまわりの種を花の形のまま売っていた。バスの運転手さんがそのままはずして食べているのを見た。ラマ僧も買い物をしていた。 茂県は、四川省アバ・チベット族チャン族自治省東南部に位置する県で、茂県は、岷江の上流にあり、チベット高原から成都平原にいたる過度地帯で、高山と峡谷が県の大半を占める。これまでたびたび大きな地震に見舞われてきた。2008年の四川大地震でも茂県の農家などの倒壊率は70〜80%に達し、人的被害や交通の遮断による経済被害が大きかった。
最後の夜は、オプションの川劇観賞です。三国志、影絵、人形遣い、コメディーなどがありましたが、お目当ては変面(変れん)といわれる隈取をした面を一瞬にして変えるというものです。どのような仕組みかは一子相伝の秘伝とされている。大連でも見たが、ここは、3人も出てきて、人形も変面とした。不思議なショーです。
都江堰は、四川省都江堰市の岷江にある古代の水利・灌漑施設である。都江堰は、岷江が龍門山脈を抜けて、成都平原に出る所に形成された扇状地の扇頂部に設けられ、岷江の水を左岸(東側)一帯に分水している。2000年にユネスコの世界遺産に認定された。 紀元前3世紀、戦国時代の秦国の蜀郡の太守リショウが洪水に悩む人々を救うため、原型となる堰を築造した。川の中に堤防を作り、水の一部を本流から分けて、山を切り開いた運河を通して、、岷江左岸の成都盆地に水を流すことにした。岩盤を火で暖めて水で冷やすことを、亀裂が入るまで繰り返し、少しづつ岩山が崩されていった。8年の工事で20m幅の運河が山の中に建設された。流れを本流と灌江に分ける魚嘴は最も重要な構造物である。
都江堰
走っていると、所々に「大地震遺跡」と書かれた看板が目に付き、地震の爪あとが残されている。ニュースでも話題になった壊れた中学校は、壊れたままの校舎の隣に、新しい中学校が建っている。 3年で表面的にはすっかり綺麗な建物も出来、道路も新しくなっている。私有地を認めない中国では、強制的に引越しなどの出来るから、復興もはやかったようだ。「全部政府がお金を出して造った。」とガイドは言っていた。
中国最後の晩餐は、「陳麻婆豆腐点」で、飲み放題だった。唐辛子と山椒の利いた極辛の料理をいただいた。今回の旅行では、このような中華料理がどの食事でも出た。沈さんが「あまり美味しくない。」と言っていた田舎の食事も案外美味しかったし、満足しました。
武候祠は、中国・三国時代の諸葛孔明を祀った廟のこと。「武候祠」とは、諸葛孔明ことである。ここには、劉備玄徳の陵もある。。
武候祠
昔の石を詰めた堰
変面
中国は今回で6回目だが、今回の旅行は、充実した感動のある旅行だった。時間をかけて自然が作り出した風景に感動しました。体力的や高所でもあるということで、誰でもいけるというところではないが、是非行くことをお勧めしたい所です。今回は、日中の関係が悪化している中で、心配して出かけましたが、都市部と違って、この辺りでは何事もなく、受け入れていただきました。日本に住んでいるという添乗員の沈さんは、奥様は日本に帰化され、日本で生まれた子供達は日本人と言うことで、微妙な立場のようです。「日本も中国もこんな状態で両方嫌いになる。」と言っていました。 行って良かったところの一つになりました。
現在の魚嘴